馬車の窓から差し込む光が、揺れるカーテンの隙間から車内を照らしていた。
街道を走る音に混じって、遠くに聞こえてきたのは、賑わいと喧騒の兆しだった。
王都が近い。
「すごい……!」
隣で小さく声を上げたのは、エリナだった。
彼女の瞳はきらきらと輝き、開けた窓の外に夢中になっていた。
「これが、王都……」
馬車の進行方向、丘を越えた先に広がるのは、巨大な石壁に囲まれた大都市。
その中央には白亜の王城がそびえ立ち、麓には壮麗な学舎が並んでいる。
王城の真下、つまり王国の心臓部に建つのが、我々の向かう中央学園だった。
そこは、王族、貴族、優秀な平民が一堂に集う場。
各区画から選抜された生徒たちが学び、将来の幹部や宮廷人を育てる養成機関。
「……王都って、こんなに広いんですね。あの壁、いくつあるんだろう?」
無邪気に尋ねるエリナに、ドイルがにこやかに応じた。
「王都は大きく四つの区画に分かれております。東区は商人と職人の街、西区は軍部と騎士団の駐屯地。南区は神殿や医療施設が集中し、北区は貴族たちの屋敷が並ぶ高級地帯。そして中央には王城と、学園があるのです」
「へぇ……じゃあ、みんな違うところから通ってくるんですね!」
「そういうことです、エリナ様。通学のたびに各区画を隔てる壁を抜ける必要があり、誰がどこを通過したかはすべて管理されております。王都は治安に厳しいのです」
リュシアが頬杖をつきながら、窓の外に目を向けた。
「要するに、見られてる街ってわけね。管理される安心と、支配される息苦しさは紙一重。人の欲と恐れがぎゅっと詰まった都市……アハっ! それが王都なのね」
そんな言い方をすれば、エリナが怖がるだろうと思ったが、彼女は笑った。
「それでも、私は楽しみです。魔法を学べて、たくさんの人と出会える場所なんですから」
彼女の言葉には、まったく濁りがなかった。
心からそう思っているのがわかる。
この時代のエリナは、まだ穢れていない。
そんな彼女が、あの未来で僕の処刑を見て、泣いていた理由を、僕はわからない。
馬車は、王都の南門へと差しかかる。
中央学園で待つ出会いの数々。過去を知る僕にとって、それは試練であり、未来を変える機会でもある。
その先に、何が待っているのか。
再び窓の外に目を向けた。
王都南門を抜けてほどなく、馬車は滑らかに石畳を進んでいた。
街を縫うように走る道には、商人たちの声が響き、人々の笑い声が重なる。街路樹の下、衛兵たちが巡回し、騎士団の旗が風にたなびいていた。
窓の外を眺めるエリナの目は輝いている。
「わあ……これが、王都……本当に大きい……!」
夢見る少女の瞳には、すべてが眩しく映っているのだろう。王都を目指す者にとって、ここは希望そのものだ。
「エリナ、君を送るのはここまでだ」
馬車が学生寮の前に停まると、僕は静かに言った。
彼女は驚いたように振り向く。
「え……あ、はい。ありがとうございます……! 本当に、助けてくれて……」
彼女は丁寧に頭を下げると、名残惜しげに馬車から降りた。
ドイルが彼女の荷物を手渡し、リュシアは相変わらず無表情に見下ろしている。
「また……学園で、お会いできたら嬉しいです!」
最後の言葉を残し、エリナは学生寮の扉の向こうへと消えていった。
その背中を見送りながら、リュシアが囁く。
「本当に純粋だったわね。……でも、それだけじゃ世界は壊せないわ」
「誰も、壊すとは言っていない」
「ふふ……そうかしら?」
馬車が再び走り出す。向かうは、王都にあるアースレイン家の別邸。
城下の北側、高台に位置するその屋敷は、白い石造りの館であり、格式と歴史の重みを備えていた。
大きな鉄製の門が開き、舗装された私道を抜けて中庭へ入ると、使用人たちが整列して出迎えていた。
馬車が止まり、ドイルが先に飛び降りて扉を開ける。
「ご主人様、お迎えの準備は整っております」
リュシアが先に降りると、周囲の者たちが圧倒されたように言葉を失う。彼女の雰囲気は、それほどまでに異質だった。
そして、最後に僕が馬車から降りた瞬間、屋敷の扉が静かに開かれ、一人の壮年の男がゆっくりと歩み寄ってきた。
背筋をぴんと伸ばし、銀の眼鏡をかけたその姿は、まさしく「執事」の象徴と呼ぶに相応しい。
「ようこそお越しくださいました。ヴィクター様。私はこの屋敷の管理を任されております、グレンと申します」
静かに頭を下げたその仕草には、一切の無駄がない。
「父上から話は通っていると聞いている。案内を」
「かしこまりました」
館へと続く回廊には、花が生けられ、磨き上げられた床が光を返している。
格式の高さは本家と遜色ない。いや、王都の屋敷だけあり、より洗練されていた。
そして、館の中心の書斎に通されたとき、グレンが再び頭を下げて言った。
「本日より、アースレイン侯爵家・王都屋敷の主は、ヴィクター様となります」
「……僕が?」
「はい。侯爵様より、すでに文書で命が届いております」
机の上に置かれたそれには、父の筆跡で確かに記されていた。
『学園での行動、および王都での交渉において、自由裁量を認める』
「……なるほど」
つまり、表向きは「侯爵家の代理人」、実質的には「王都でのアースレイン家の代表」というわけだ。
任せる、というよりは試すという意味が強いだろう。
だがそれでもいい。王都という巨大な舞台で、主導権を握る権利を与えられたのだから。
「わかった。今日から、ここは僕の家で、僕が主だ」
「光栄です、ご主人様」
グレンが静かに頭を下げる。使用人たちもそれに倣い、膝をつく。
静かな屋敷に、確かな“始まり”の音が響いた。
これは、復讐の序章であり、新たな権力の根を下ろす第一歩だ。