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第46話

 馬車の窓から差し込む光が、揺れるカーテンの隙間から車内を照らしていた。


 街道を走る音に混じって、遠くに聞こえてきたのは、賑わいと喧騒の兆しだった。


 王都が近い。


「すごい……!」


 隣で小さく声を上げたのは、エリナだった。


 彼女の瞳はきらきらと輝き、開けた窓の外に夢中になっていた。


「これが、王都……」


 馬車の進行方向、丘を越えた先に広がるのは、巨大な石壁に囲まれた大都市。


 その中央には白亜の王城がそびえ立ち、麓には壮麗な学舎が並んでいる。


 王城の真下、つまり王国の心臓部に建つのが、我々の向かう中央学園だった。


 そこは、王族、貴族、優秀な平民が一堂に集う場。


 各区画から選抜された生徒たちが学び、将来の幹部や宮廷人を育てる養成機関。


「……王都って、こんなに広いんですね。あの壁、いくつあるんだろう?」


 無邪気に尋ねるエリナに、ドイルがにこやかに応じた。


「王都は大きく四つの区画に分かれております。東区は商人と職人の街、西区は軍部と騎士団の駐屯地。南区は神殿や医療施設が集中し、北区は貴族たちの屋敷が並ぶ高級地帯。そして中央には王城と、学園があるのです」


「へぇ……じゃあ、みんな違うところから通ってくるんですね!」


「そういうことです、エリナ様。通学のたびに各区画を隔てる壁を抜ける必要があり、誰がどこを通過したかはすべて管理されております。王都は治安に厳しいのです」


 リュシアが頬杖をつきながら、窓の外に目を向けた。


「要するに、見られてる街ってわけね。管理される安心と、支配される息苦しさは紙一重。人の欲と恐れがぎゅっと詰まった都市……アハっ! それが王都なのね」


 そんな言い方をすれば、エリナが怖がるだろうと思ったが、彼女は笑った。


「それでも、私は楽しみです。魔法を学べて、たくさんの人と出会える場所なんですから」


 彼女の言葉には、まったく濁りがなかった。


 心からそう思っているのがわかる。


 この時代のエリナは、まだ穢れていない。


 そんな彼女が、あの未来で僕の処刑を見て、泣いていた理由を、僕はわからない。


 馬車は、王都の南門へと差しかかる。


 中央学園で待つ出会いの数々。過去を知る僕にとって、それは試練であり、未来を変える機会でもある。


 その先に、何が待っているのか。


 再び窓の外に目を向けた。


 王都南門を抜けてほどなく、馬車は滑らかに石畳を進んでいた。


 街を縫うように走る道には、商人たちの声が響き、人々の笑い声が重なる。街路樹の下、衛兵たちが巡回し、騎士団の旗が風にたなびいていた。


 窓の外を眺めるエリナの目は輝いている。


「わあ……これが、王都……本当に大きい……!」


 夢見る少女の瞳には、すべてが眩しく映っているのだろう。王都を目指す者にとって、ここは希望そのものだ。


「エリナ、君を送るのはここまでだ」


 馬車が学生寮の前に停まると、僕は静かに言った。


 彼女は驚いたように振り向く。


「え……あ、はい。ありがとうございます……! 本当に、助けてくれて……」


 彼女は丁寧に頭を下げると、名残惜しげに馬車から降りた。


 ドイルが彼女の荷物を手渡し、リュシアは相変わらず無表情に見下ろしている。


「また……学園で、お会いできたら嬉しいです!」


 最後の言葉を残し、エリナは学生寮の扉の向こうへと消えていった。


 その背中を見送りながら、リュシアが囁く。


「本当に純粋だったわね。……でも、それだけじゃ世界は壊せないわ」

「誰も、壊すとは言っていない」

「ふふ……そうかしら?」


 馬車が再び走り出す。向かうは、王都にあるアースレイン家の別邸。


 城下の北側、高台に位置するその屋敷は、白い石造りの館であり、格式と歴史の重みを備えていた。


 大きな鉄製の門が開き、舗装された私道を抜けて中庭へ入ると、使用人たちが整列して出迎えていた。


 馬車が止まり、ドイルが先に飛び降りて扉を開ける。


「ご主人様、お迎えの準備は整っております」


 リュシアが先に降りると、周囲の者たちが圧倒されたように言葉を失う。彼女の雰囲気は、それほどまでに異質だった。


 そして、最後に僕が馬車から降りた瞬間、屋敷の扉が静かに開かれ、一人の壮年の男がゆっくりと歩み寄ってきた。


 背筋をぴんと伸ばし、銀の眼鏡をかけたその姿は、まさしく「執事」の象徴と呼ぶに相応しい。


「ようこそお越しくださいました。ヴィクター様。私はこの屋敷の管理を任されております、グレンと申します」


 静かに頭を下げたその仕草には、一切の無駄がない。


「父上から話は通っていると聞いている。案内を」

「かしこまりました」


 館へと続く回廊には、花が生けられ、磨き上げられた床が光を返している。


 格式の高さは本家と遜色ない。いや、王都の屋敷だけあり、より洗練されていた。


 そして、館の中心の書斎に通されたとき、グレンが再び頭を下げて言った。


「本日より、アースレイン侯爵家・王都屋敷の主は、ヴィクター様となります」

「……僕が?」

「はい。侯爵様より、すでに文書で命が届いております」


 机の上に置かれたそれには、父の筆跡で確かに記されていた。


『学園での行動、および王都での交渉において、自由裁量を認める』


「……なるほど」


 つまり、表向きは「侯爵家の代理人」、実質的には「王都でのアースレイン家の代表」というわけだ。


 任せる、というよりは試すという意味が強いだろう。


 だがそれでもいい。王都という巨大な舞台で、主導権を握る権利を与えられたのだから。


「わかった。今日から、ここは僕の家で、僕が主だ」

「光栄です、ご主人様」


 グレンが静かに頭を下げる。使用人たちもそれに倣い、膝をつく。


 静かな屋敷に、確かな“始まり”の音が響いた。


 これは、復讐の序章であり、新たな権力の根を下ろす第一歩だ。



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