《side:リュシア》
目の前で爆風が戦場を覆い尽くす。
ありえない光景が広がっていた。
空気が凍っていく。
いや、違う。止まったのだ。全てが物語の一頁を破り捨てたかのように。
脳が追いつかない。
アースレイン軍に衝撃が走った。
目の前で、マリスティーナ王女に手を差し伸べたご主人様が、爆風の中心に呑まれていった。
「……うそ……」
誰の声なのかも、わからなかった。
ただ、音が消えた。爆発の音すら、もう記憶のなかでしか鳴っていない。
炎と光。砕ける石、弾け飛ぶ瓦礫。空が裂け、風が咆哮を上げたあの一瞬。
誰も、動けなかった。誰一人、声も、叫びも、命令すら互いの戦士たちが動きを止める。
「リュ、リュシア……っ! あそこ……あそこにヴィクター様が……!」
振り返ると、エリスがいた。青ざめた顔で、震える手を胸に当てている。
彼女の瞳の奥には恐怖があった。
そうだ、彼女は、心からご主人様を信じていた。だからこそ、耐えられないのだろう。
「大丈夫……のはずよ」
そう答えながらも、私の足は前に進めなかった。
言葉とは裏腹に、あの光の中に消えたご主人様の姿が焼きついて離れない。
目の前で消えた。
私は魔族でご主人様に服従の魔術を返されただけの存在……。
……彼は勝っていた。
絶望の淵にいるのに、希望を人々に与えるように、王女にも手を差し伸べた。
止まらなかった理由。剣を抜いた理由。マリスティーナの手を取った、あの選択。
あれは、きっと、未来を変える覚悟をご主人様はしていた。
けれど、代償が……この、爆炎だというの……?
「……どこだ……っ」
低い声が聞こえた。
ジェイだ。誰よりも冷静で、誰よりも沈着な軍師の彼が、今はかすかに、震えていた。
彼の視線もまた、瓦礫の中に向けられていた。
爆心地のあたりを彷徨っている。
「……爆心の中心。制御された魔術……それとも暴走か……いや、違う。あれは……二つの力が、衝突した……大将! ヴィクターを探せ!」
ジェイの叫びは、自分に言い聞かせるようでもあった。
マリスティーナの《烈焔の加護》はこの辺り一帯を飲み込むほどの爆発を生み出すはずだった。
だけど、ご主人様が爆炎を飲み込んでくれたから、この程度で止めたという。
信じられない。でも、彼なら……。
風が流れた。
焦げた匂いと、熱風と、破壊の残骸。その中に、まだ剣を掲げる兵士たちの姿が遠く揺れている。
でも、誰も、動かない。
剣を交えることすら忘れ、敵も味方も、ただそこに立ち尽くしている。
中心にいたのは、ヴィクター様と、マリスティーナ。
その二人がいなくなった戦場など、もう、意味を持たない。
皆、それを理解している。
「リュシア……私……っ、私、行っていい?」
再び、エリスが縋るような声で問うてくる。
私は小さく頷いた。
「一緒に、行こう。きっと……無事だから」
そう。あの人は、負けない。誰よりも強く、誰よりも真っすぐで、誰よりも優しい。
だからこそ、この戦場を終わらせに行った。
私の足が、ようやく前に出た。
瓦礫の向こう、爆風の先。
その先に、ご主人様はいる。そう信じている。
私たちが戦場を走り出した瞬間、戦場に響く。
……聞こえる。ありえないはずの戦場に。
笑い声が。
「ハハ……ハハハ……やっぱり、大成功じゃないか! アースレイン家の当主も大したことないな」
乾いた風に乗って、笑いが降ってくる。
その音を聞いた瞬間、空気が変わった。
剣を手にしていた者たちが、糸を切られた人形のように動きを止める。敵も味方も、一斉にその声の発信源を探して、王城の瓦礫の上へと視線を向けた。
立っていた。
そこに、一人の男が。
真っ白だった。肌も、髪も、あまりに白くて、目に痛いほど。
そして、瞳だけが異様なほど赤く……狂気に似た、無垢な色を宿していた。
「……誰……?」
エリスが、息を呑むように声を漏らす。
誰だろう? でも、私の心は、叫んでいた。
知ってる。あの声を、あの姿を、あの気配を。
「っ――あ……あ……!」
膝が砕けた。耐えきれない。
頭の奥が焼けるように熱い。思い出したくない記憶が、無理やりこじ開けられていく。
砂に埋もれた北の地。吹雪と、血と、灰と、そして、あの笑い声。
「……嘘……うそ……」
頭を抱えた。止まらない。目の奥が痛い。記憶が、流れ込んでくる。
「お前は俺の妹だ。だから、俺がすべて守るよ、リュシア」
その記憶の中にいたのは、彼だった。
忘れかけていた声。
それが、今、王都の中心に立っていた。
「おかえり、リュシア。ようやく……君を迎えに来れた」
彼が笑った。穏やかに、優しく。まるで、かつての兄のように。
でも、違う。あれはもう……人じゃない。
「ちがう……あなたは……そんな……っ……!」
崩れるように地面に倒れ込む。
冷たい石畳が、肌に触れても何も感じなかった。
戦場が、再び凍りつく。
誰もが、その存在に、言葉を失っていた。
「さぁ、我々が全てを手に入れる時が来たんだ」
私はその声を受けて、頭の中に流れる記憶によって意識を手放した。