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第121話

《side:リュシア》


 目の前で爆風が戦場を覆い尽くす。


 ありえない光景が広がっていた。


 空気が凍っていく。


 いや、違う。止まったのだ。全てが物語の一頁を破り捨てたかのように。


 脳が追いつかない。


 アースレイン軍に衝撃が走った。


 目の前で、マリスティーナ王女に手を差し伸べたご主人様が、爆風の中心に呑まれていった。


「……うそ……」


 誰の声なのかも、わからなかった。


 ただ、音が消えた。爆発の音すら、もう記憶のなかでしか鳴っていない。


 炎と光。砕ける石、弾け飛ぶ瓦礫。空が裂け、風が咆哮を上げたあの一瞬。


 誰も、動けなかった。誰一人、声も、叫びも、命令すら互いの戦士たちが動きを止める。


「リュ、リュシア……っ! あそこ……あそこにヴィクター様が……!」


 振り返ると、エリスがいた。青ざめた顔で、震える手を胸に当てている。


 彼女の瞳の奥には恐怖があった。


 そうだ、彼女は、心からご主人様を信じていた。だからこそ、耐えられないのだろう。


「大丈夫……のはずよ」


 そう答えながらも、私の足は前に進めなかった。


 言葉とは裏腹に、あの光の中に消えたご主人様の姿が焼きついて離れない。


 目の前で消えた。


 私は魔族でご主人様に服従の魔術を返されただけの存在……。


 ……彼は勝っていた。


 絶望の淵にいるのに、希望を人々に与えるように、王女にも手を差し伸べた。


 止まらなかった理由。剣を抜いた理由。マリスティーナの手を取った、あの選択。


 あれは、きっと、未来を変える覚悟をご主人様はしていた。


 けれど、代償が……この、爆炎だというの……?


「……どこだ……っ」


 低い声が聞こえた。


 ジェイだ。誰よりも冷静で、誰よりも沈着な軍師の彼が、今はかすかに、震えていた。


 彼の視線もまた、瓦礫の中に向けられていた。


 爆心地のあたりを彷徨っている。


「……爆心の中心。制御された魔術……それとも暴走か……いや、違う。あれは……二つの力が、衝突した……大将! ヴィクターを探せ!」


 ジェイの叫びは、自分に言い聞かせるようでもあった。


 マリスティーナの《烈焔の加護》はこの辺り一帯を飲み込むほどの爆発を生み出すはずだった。


 だけど、ご主人様が爆炎を飲み込んでくれたから、この程度で止めたという。


 信じられない。でも、彼なら……。


 風が流れた。


 焦げた匂いと、熱風と、破壊の残骸。その中に、まだ剣を掲げる兵士たちの姿が遠く揺れている。


 でも、誰も、動かない。


 剣を交えることすら忘れ、敵も味方も、ただそこに立ち尽くしている。


 中心にいたのは、ヴィクター様と、マリスティーナ。


 その二人がいなくなった戦場など、もう、意味を持たない。


 皆、それを理解している。


「リュシア……私……っ、私、行っていい?」


 再び、エリスが縋るような声で問うてくる。


 私は小さく頷いた。


「一緒に、行こう。きっと……無事だから」


 そう。あの人は、負けない。誰よりも強く、誰よりも真っすぐで、誰よりも優しい。


 だからこそ、この戦場を終わらせに行った。


 私の足が、ようやく前に出た。


 瓦礫の向こう、爆風の先。


 その先に、ご主人様はいる。そう信じている。


 私たちが戦場を走り出した瞬間、戦場に響く。


 ……聞こえる。ありえないはずの戦場に。


 笑い声が。


「ハハ……ハハハ……やっぱり、大成功じゃないか! アースレイン家の当主も大したことないな」


 乾いた風に乗って、笑いが降ってくる。


 その音を聞いた瞬間、空気が変わった。


 剣を手にしていた者たちが、糸を切られた人形のように動きを止める。敵も味方も、一斉にその声の発信源を探して、王城の瓦礫の上へと視線を向けた。


 立っていた。


 そこに、一人の男が。


 真っ白だった。肌も、髪も、あまりに白くて、目に痛いほど。

 そして、瞳だけが異様なほど赤く……狂気に似た、無垢な色を宿していた。


「……誰……?」


 エリスが、息を呑むように声を漏らす。


 誰だろう? でも、私の心は、叫んでいた。


 知ってる。あの声を、あの姿を、あの気配を。


「っ――あ……あ……!」


 膝が砕けた。耐えきれない。


 頭の奥が焼けるように熱い。思い出したくない記憶が、無理やりこじ開けられていく。


 砂に埋もれた北の地。吹雪と、血と、灰と、そして、あの笑い声。


「……嘘……うそ……」


 頭を抱えた。止まらない。目の奥が痛い。記憶が、流れ込んでくる。


「お前は俺の妹だ。だから、俺がすべて守るよ、リュシア」


 その記憶の中にいたのは、彼だった。


 忘れかけていた声。


 それが、今、王都の中心に立っていた。


「おかえり、リュシア。ようやく……君を迎えに来れた」


 彼が笑った。穏やかに、優しく。まるで、かつての兄のように。


 でも、違う。あれはもう……人じゃない。


「ちがう……あなたは……そんな……っ……!」


 崩れるように地面に倒れ込む。


 冷たい石畳が、肌に触れても何も感じなかった。


 戦場が、再び凍りつく。


 誰もが、その存在に、言葉を失っていた。


「さぁ、我々が全てを手に入れる時が来たんだ」


 私はその声を受けて、頭の中に流れる記憶によって意識を手放した。


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