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第120話

 王宮の門前、僕は足を止めた。


 その先に立つマリスティーナの姿が、誰よりも荘厳に見えたからだ。


 黒衣の裾が、朝の風に揺れる。


 悲しみに沈むはずの王女が、剣を携え、こちらを見据えている。


「……あなたが剣を取るとは、思わなかった」

「この国を継ぐ者として、玉座に座る覚悟のない者など、名乗る資格もないでしょう?」


 声音は静かだった。けれどその瞳には、剣以上の鋭さがあった。


 僕は剣を抜き、彼女に向けてゆっくりと構える。


 全軍が静まり返る中、僕とマリスティーナだけが、風の中で動いていた。


「だったら、剣で語る。あなたが望む継承に異を唱える者として」

「いいえ、ヴィクター・アースレイン。あなたは王座を奪いに来た者です」


 言葉が終わる前に、彼女は踏み込んできた。


 鋭い。一切の迷いがない。


 未来の王にふさわしいとすら思える一撃だった。


 けれど、それを受けることはできない。


 僕は一歩退き、魔剣を横に払う。


 風が、斬られた。


 次の瞬間、マリスティーナの姿が消えた。


「リュシア、上!」


 俺の声に反応し、リュシアが上空へ跳躍する。


 そこには、空中から斬りかかる本物のマリスティーナがいた。


「なるほど……やるじゃない」


 リュシアが剣を受け、マリスティーナは軽やかに後方に着地する。


「私一人ではない。王女親衛隊は、まだ残っています」


 その言葉を合図に、城門の上から弓兵、魔導士、騎士が次々と姿を現す。


 包囲された? 


「ジェイ」

「了解」


 ジェイの軍が背後から斜面を下り、城門の後方を急襲する。外からは見えない道を、予め制圧しておいたのだ。


 挟撃。マリスティーナの目が、初めて揺れた。


「読まれていた……!」

「悪いが、これは戦争だ。美しさより、勝利を選ぶ」


 俺は再び剣を構えた。


「終わらせよう、マリスティーナ。この国の、偽りの時代を」

「ならば、私はあなたを斬ることで、真の継承を証明してみせます!」


 二人の刃が、正面から衝突した。


 血を流さずに変えられる世界など、幻想だ。


 だとしてもこの戦いだけは、俺が終わらせる。自らの手で。己の意志で。


 王国の命運を懸けた戦いが、ついに幕を開けた。


 剣と剣がぶつかり合い、火花が弾けた。


 重みのある斬撃。迷いのない刺突。


 マリスティーナの動きは美しかった。まるで舞い踊るように、彼女は地を蹴り、刃を滑らせてくる。


 だが、俺もまた迷ってなどいない。


「はっ!」


 肩口から踏み込み、魔剣の刃を斜めに振り払う。鋼と鋼がぶつかる音が耳をつんざき、互いの体が大きく揺れる。


「その剣筋……以前とは違うな」


 マリスティーナが僅かに息を整えながら、吐き捨てるように言った。


「変わったのは、覚悟だ。僕はこの国の未来を背負う」

「王家の名は、過去じゃない! 誇りよ!」


 再び跳躍。鋭く、速く。


 だけど読める。


 グレイスに比べれば、たいした相手ではない。


 しかし、互角に戦えているということは、マリスティーナが持っている剣も特別なもので間違いないだろう。


 魔剣を捻るように回転させて受け流し、僕はその勢いのまま地を蹴って距離を取った。だが、そこに割って入ったのは、王女親衛隊の騎士たちだった。


「陛下に指一本触れさせるなッ!」

「下がれ、私の戦いだ!」


 マリスティーナが叫ぶも、親衛隊の動きは止まらない。己の命を盾にするのが、彼らの矜持なのだろう。


「……邪魔をするな!」


 僕は前方の二人を一息に薙ぎ払う。鎧ごと切り裂いた衝撃が腕に響く。血が跳ね、空気が震える。


 それでも止めない。


 マリスティーナもまた、親衛隊の背後から魔導術を唱え始めていた。


「焔よ、王家の誇りをもって、我が刃となれ。《烈焔の加護》!」


 魔力が炸裂する。青白い炎が剣に宿り、彼女の姿が再び光の中に消えた。


 その直後、爆風が正面から襲ってくる。


「っ……!」


 魔剣を盾にして受け止めるが、重い。


「……これは、民を焼く力だぞ。マリスティーナ、お前はそれを知っていて使っているのか?」

「この国を守るためよ! あなたに、好き勝手に壊させてなるものですか!」


 そこに躊躇はなかった。


 王家の血が、彼女を縛っている。正義と信念、そして継承という名の呪いが。


「なら、僕がお前を断ち切る!」


 叫びと共に、魔剣の黒い紋章が解放される。


 風が鳴き、周囲の空気が凍りつく。


 剣の軌道が、光を切り裂いた。


 マリスティーナの剣が砕ける音が、空に響いた。


 だが、斬ることはできなかった。


 寸前で僕は踏みとどまった。いや、踏みとどまらされたのだ。


 彼女の瞳が、涙を湛えていたからだ。


「……なぜ、止まったのです」

「まだだ。これで終わらせるつもりはない。この国に、剣しか未来がないのなら、僕が変える」

「あなたに……その資格が?」


 静かに剣を下ろす。


 そして、背後で轟音が起きた。


 ジェイの軍が王宮の壁を破り、完全に城内へと雪崩れ込んだのだ。


 戦況は決した。王女親衛隊が降伏の意を示し、マリスティーナの足が、わずかにふらついた。


「これが……あなたの選んだ未来……」

「そうだ。だがまだ始まったばかりだ」


 僕はマリスティーナに手を差し伸べる。


「これからは共に作ろう。この国の新しい形を。剣ではなく、意志でな」


 その手を、彼女は躊躇いながらだが、確かに握り返してきた。


「あなたは甘いのね」


 マリスティーナの手は冷たかった。血に濡れ、剣の震えを宿しながらも、確かに俺の手を握り返していた。


 その一瞬、全てが止まったように感じた。


 血の臭いも、遠くから響く喧騒も、王宮の瓦礫の崩れる音すら、今は遠い。


「何を?」


 その瞬間、烈焔の加護がマリスティーナの体ごと僕を飲み込もうとする。

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