王宮の門前、僕は足を止めた。
その先に立つマリスティーナの姿が、誰よりも荘厳に見えたからだ。
黒衣の裾が、朝の風に揺れる。
悲しみに沈むはずの王女が、剣を携え、こちらを見据えている。
「……あなたが剣を取るとは、思わなかった」
「この国を継ぐ者として、玉座に座る覚悟のない者など、名乗る資格もないでしょう?」
声音は静かだった。けれどその瞳には、剣以上の鋭さがあった。
僕は剣を抜き、彼女に向けてゆっくりと構える。
全軍が静まり返る中、僕とマリスティーナだけが、風の中で動いていた。
「だったら、剣で語る。あなたが望む継承に異を唱える者として」
「いいえ、ヴィクター・アースレイン。あなたは王座を奪いに来た者です」
言葉が終わる前に、彼女は踏み込んできた。
鋭い。一切の迷いがない。
未来の王にふさわしいとすら思える一撃だった。
けれど、それを受けることはできない。
僕は一歩退き、魔剣を横に払う。
風が、斬られた。
次の瞬間、マリスティーナの姿が消えた。
「リュシア、上!」
俺の声に反応し、リュシアが上空へ跳躍する。
そこには、空中から斬りかかる本物のマリスティーナがいた。
「なるほど……やるじゃない」
リュシアが剣を受け、マリスティーナは軽やかに後方に着地する。
「私一人ではない。王女親衛隊は、まだ残っています」
その言葉を合図に、城門の上から弓兵、魔導士、騎士が次々と姿を現す。
包囲された?
「ジェイ」
「了解」
ジェイの軍が背後から斜面を下り、城門の後方を急襲する。外からは見えない道を、予め制圧しておいたのだ。
挟撃。マリスティーナの目が、初めて揺れた。
「読まれていた……!」
「悪いが、これは戦争だ。美しさより、勝利を選ぶ」
俺は再び剣を構えた。
「終わらせよう、マリスティーナ。この国の、偽りの時代を」
「ならば、私はあなたを斬ることで、真の継承を証明してみせます!」
二人の刃が、正面から衝突した。
血を流さずに変えられる世界など、幻想だ。
だとしてもこの戦いだけは、俺が終わらせる。自らの手で。己の意志で。
王国の命運を懸けた戦いが、ついに幕を開けた。
剣と剣がぶつかり合い、火花が弾けた。
重みのある斬撃。迷いのない刺突。
マリスティーナの動きは美しかった。まるで舞い踊るように、彼女は地を蹴り、刃を滑らせてくる。
だが、俺もまた迷ってなどいない。
「はっ!」
肩口から踏み込み、魔剣の刃を斜めに振り払う。鋼と鋼がぶつかる音が耳をつんざき、互いの体が大きく揺れる。
「その剣筋……以前とは違うな」
マリスティーナが僅かに息を整えながら、吐き捨てるように言った。
「変わったのは、覚悟だ。僕はこの国の未来を背負う」
「王家の名は、過去じゃない! 誇りよ!」
再び跳躍。鋭く、速く。
だけど読める。
グレイスに比べれば、たいした相手ではない。
しかし、互角に戦えているということは、マリスティーナが持っている剣も特別なもので間違いないだろう。
魔剣を捻るように回転させて受け流し、僕はその勢いのまま地を蹴って距離を取った。だが、そこに割って入ったのは、王女親衛隊の騎士たちだった。
「陛下に指一本触れさせるなッ!」
「下がれ、私の戦いだ!」
マリスティーナが叫ぶも、親衛隊の動きは止まらない。己の命を盾にするのが、彼らの矜持なのだろう。
「……邪魔をするな!」
僕は前方の二人を一息に薙ぎ払う。鎧ごと切り裂いた衝撃が腕に響く。血が跳ね、空気が震える。
それでも止めない。
マリスティーナもまた、親衛隊の背後から魔導術を唱え始めていた。
「焔よ、王家の誇りをもって、我が刃となれ。《烈焔の加護》!」
魔力が炸裂する。青白い炎が剣に宿り、彼女の姿が再び光の中に消えた。
その直後、爆風が正面から襲ってくる。
「っ……!」
魔剣を盾にして受け止めるが、重い。
「……これは、民を焼く力だぞ。マリスティーナ、お前はそれを知っていて使っているのか?」
「この国を守るためよ! あなたに、好き勝手に壊させてなるものですか!」
そこに躊躇はなかった。
王家の血が、彼女を縛っている。正義と信念、そして継承という名の呪いが。
「なら、僕がお前を断ち切る!」
叫びと共に、魔剣の黒い紋章が解放される。
風が鳴き、周囲の空気が凍りつく。
剣の軌道が、光を切り裂いた。
マリスティーナの剣が砕ける音が、空に響いた。
だが、斬ることはできなかった。
寸前で僕は踏みとどまった。いや、踏みとどまらされたのだ。
彼女の瞳が、涙を湛えていたからだ。
「……なぜ、止まったのです」
「まだだ。これで終わらせるつもりはない。この国に、剣しか未来がないのなら、僕が変える」
「あなたに……その資格が?」
静かに剣を下ろす。
そして、背後で轟音が起きた。
ジェイの軍が王宮の壁を破り、完全に城内へと雪崩れ込んだのだ。
戦況は決した。王女親衛隊が降伏の意を示し、マリスティーナの足が、わずかにふらついた。
「これが……あなたの選んだ未来……」
「そうだ。だがまだ始まったばかりだ」
僕はマリスティーナに手を差し伸べる。
「これからは共に作ろう。この国の新しい形を。剣ではなく、意志でな」
その手を、彼女は躊躇いながらだが、確かに握り返してきた。
「あなたは甘いのね」
マリスティーナの手は冷たかった。血に濡れ、剣の震えを宿しながらも、確かに俺の手を握り返していた。
その一瞬、全てが止まったように感じた。
血の臭いも、遠くから響く喧騒も、王宮の瓦礫の崩れる音すら、今は遠い。
「何を?」
その瞬間、烈焔の加護がマリスティーナの体ごと僕を飲み込もうとする。