一歩。
ただの一歩。だがそれだけで、空気が変わった。
ゼルグが指先を振る。
「《獄炎の律動》」
天地が焼ける。炎が螺旋となって地を抉り、空を裂いた。
対して、俺は
「……《冥哭・魔喰》」
黒き刃が唸りを上げ、迫り来る炎を喰らう。燃え盛る魔力を吸い上げ、刀身に深淵の輝きが宿る。
瞬間、踏み込む。
ゼルグの背後へ跳ぶ影。
「《冥哭・影噬》」
闇より現れ、鋭い一閃。しかしその刃を、ゼルグは掌で受け止めた。
「甘いな」
逆に光を込めた拳が、俺の腹を抉る。
だが吹き飛ばされながらも、《冥哭》は喰らった魔力をさらに喰い貯めていた。
宙で一回転し、地に着地。
「《冥哭・滅葬》」
黒い斬撃が闇の奔流となり、直線上を一気に裂く。あらゆる障壁を無視する絶対断罪の剣圧。
ゼルグは空中へ飛翔し、手を翳した。
「《虚相断界》」
空間が捻じれ、斬撃が虚無に吸われる。次の瞬間、天から複数の雷柱。
「落ちろ、《終焉律・第四断層》!」
僕は一歩前に出ると、《冥哭》を地へ。
「《冥哭・獄呪》」
展開される黒の魔法陣。降り注ぐ雷の魔力が結界の外で弾ける。ゼルグの魔術は陣内に届かない。
「ならば、
ゼルグの身体が重力を無視して空間に点在する。
無数の残像が一気に襲いかかってくる。
僕は静かに一呼吸。魔剣を天に掲げる。
「……今ここに、終焉の門が開かれる──《冥哭・葬獄天》」
地響き。瞬間、戦場中に存在するすべての魔剣が震える。
その魔力が《冥哭》に引き寄せられるように流れ込む。
ゼルグの動きが、一瞬、止まった。
「貴様……それは……」
刃が黒光を放つ。放たれた一撃は、空間そのものを斬る闇の衝撃波。
ゼルグが《空間隔離陣》で防御するも、その半身を裂かれる。
「くっ……面白い」
ゼルグが笑う。額から血が垂れる。
俺は言葉を返さない。
踏み込む。
二歩目。
ゼルグが空間ごと後退する。
「ではこちらも応じよう。《深淵降誓》」
天空に巨大な逆紋が浮かび、漆黒の大槍が降下する。
地が崩れ、戦場の大地ごと貫く終末の槍。
だが、その中心に俺はいた。
「貴様の力では……僕には届かない」
魔剣が闇に溶ける。
「《冥哭・無明断》」
空気が震えた。
全ての魔が静止したような刹那。
振り下ろされた斬撃は、ただの斬撃ではない。
存在そのものを否定して断ち切り。
ゼルグが咄嗟に身を引く。空間跳躍が遅れれば、その一撃に飲まれていただろう。
《冥哭》の周囲にあった魔の残滓がすべて、跡形もなく消え去っていた。
「ふは……今のは危なかった。いいぞ、ヴィクター」
ゼルグの笑みが深まる。
次の瞬間、両者の間に風が巻く。
二つの力が、再び衝突の兆しを孕み、揺らめく。
世界が崩れる音がした。
焼け爛れた大地。蒼黒の空に伸びる稲妻。断末魔のように響く戦場の残響。
その中心に、ゼルグがいた。
真白な髪に、血のような瞳。無慈悲の化身。だがその目の奥に、僕は見た。
同じ、絶望の色を。
「貴様はなんなのだ!? どうしてどうして人間のくせにここまで強い!」
「僕を断罪した理由は、それだったんだな。リュシア」
僕はゼルグではなく、魔族の女性を見た。
すでに目を覚ましてこちらを見ていた。
「……全てを思い出しました」
すでにリュシアが記憶を取り戻す予兆はあった。
そして、ゼルグの登場によってリュシアの記憶も取り戻された。
「私は兄に操られていたのね」
「違う! 俺は、俺たち兄妹のため!」
ゼルグがリュシアの言葉を否定する。
リュシアの服従の魔術を利用して、王国を崩壊させ、その力も奪い記憶も奪ってリュシアを放置した。
ゼルグは妹のためと言いながら、自分の欲望のためにリュシアを利用した。
リュシアが他の魔族を知っていたのは、自分がそれを配置したから。
そして、全ての権利をゼルグに奪われ、傷ついて流れついたのが僕の場所だった。
それが未来ではジェイの側にいた。
「リュシア。お前は見届けろ」
「……」
僕の言葉に彼女は何も答えず、僕とゼルグの戦いを見つめる。
「もういい。茶番劇だ! 全てを破壊してやる」
世界を否定する魔が渦巻く。
「《冥哭・断罪》」
刃が空を裂き、魔の奔流を吸い込んでいく。
ゼルグの周囲に漂う魔力すら、音もなく喰われる。
「……貴様、まだその剣を完全に使うのか?! その力は貴様を」
「お前が相手なら、躊躇う暇もないさ。それに貴様は僕を恐れた。だから白因子計画を立てた。フレミアが僕の無効化を封印できることを、マーベの研究から知ってな」
瞬間、ゼルグが手を掲げた。
「黙れ! 《断界律・零の門》」
虚空に穿たれた穴から、空間そのものを食らう重力のような一撃が落ちる。
僕の無効化を否定する空間を奪う魔法。
「《冥哭・影噬》」
ゼルグの背後に現れ、斬り込む。
だが。
「浅いな」
振り返らずに放たれた反撃が、僕を吹き飛ばす。
魔族はその肉体ですら、脅威になる。
身体が地を擦る。肋骨が軋んだ。
すぐに自己治癒魔法が体内を駆け巡る。
僕はもう、ただの剣士ではない。
「知ってるぞ、お前の過去。北の大地で、妹を抱いて凍えた夜のことも」
「……」
「そして、王の椅子に座る者たちに見下され、ただの化け物と蔑まれた。その怒りも、悲しみも、僕は知っている」
「笑わせるな。貴様に何がわかる。魔族として生まれた者の痛みを」
ゼルグの叫びとともに、空間が黒に染まる。
地を裂き、空を断つ。
それが、ゼルグという存在の核。
「《断界律・終焉構築》」
広がる絶望のドーム。
この世界から、希望を一切排除する魔の方程式。
「俺は……未来で断罪された。力を持っていながら、誰も救えなかった」
僕は《冥哭》を逆手に握る。
「だがな、それでも僕は、戦い続けると決めた。真実を知り、僕と同じ絶望を始る者のために」
冥哭が唸る。
吸い込んだ魔力が、刃の奥で脈打つ。
「《冥哭・滅葬》!」
黒の一閃。冥府の斬撃が、ゼルグの魔空間を貫いた。
ゼルグの右腕が裂け、血が舞う。
「っ、まだだ……この程度か……!」
終わらせる。全ての魔剣を吸い込む奥義。
「《冥哭・葬獄天》!」
無数の剣が、ゼルグの周囲から消失していく。
その瞬間、彼の戦場支配が崩れた。
「終わりだ、ゼルグ」
「まだだァアアッ!!」
最後の魔力が、彼の全身を焼く。
ゼルグが構えた、最終の術式。
「《絶界零時・獄哭終章》……!」
空間が反転し、全てを無に帰そうとする咆哮。
すべてを断ち切る究極の斬撃で応じる。
「《冥哭・無明断》……これが、冥府の選定だ」
刃が振り下ろされると同時、ゼルグの術式が崩壊する。
黒と黒の波が交錯し、戦場を呑み込んだ。
そして、沈黙。
吹き荒れた嵐が止み、土煙の向こう。
ゼルグが、膝をついていた。
その手には、もはや魔力の欠片すら宿っていない。
「貴様は……何者だ……」
「僕はただの人間だ。魔法も使えない。人を信じて裏切られた。自分の死によって……絶望を知った者だ」
ゼルグが崩れる。
だが、その顔は、ほんの少しだけ、安堵しているように見えた。
俺は剣を地に突き立てた。
風が吹く。この戦場に、ようやく静寂を迎えた。