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Episode8 - 目視してみよう


 ゾンビウイルスのパンデミックまで、私の記憶では残り10日。

 その期間の短さを考えると今までしてきた準備やらの確認作業などに奔走するべき、なのだが。


「ふぅー……極楽極楽。ペット可のホテルがあって良かったよ」


 私は今、山の麓にある街……その中でもそれなりに高級なホテルの巨大な露天風呂にて寛いでいた。

 未来を知る者として、今こうしているべきではない事くらい分かっている。しかしながら、高級ホテルで豪遊しながら寛ぐ、なんてことは今……パンデミック前のこの瞬間でしか行えない。

 人間社会が崩壊し、他人を蹴落としてでも生き残らねばならない世界がやってくるのだ。ホテルなんていう他人に寝床を提供する施設が機能を停止しない訳がない。

 それに、


「こういうの、今まで一度もした事なかったからね。最高!」

「わふ!」


 ある種のストレス発散ではあるのだろう。

 ここまで、私は自分だけが知るパンデミックの情報を元に行動をし続けてきた。家族の元から去り、伯父の力を借りつつも、今までの自分だったら考えられない行動ばかりをしてきたのだ。

 大丈夫だと思っていたとしても、何かの拍子にその綻びは表に出てきてしまう。

 それを未然に防ぐ為に、と言えば中々に理屈っぽい言い訳になるのではないだろうか?


「ふふ、何考えてるんだか。……ま、あと数日……残り5日くらいになるまでは泊まれる資金はあるしぃー……ゆっくりしていこうー」


 湯の中に肩を浸からせ、そのままぶくぶくと泡が出ては消えていくのを眺めながら。

 私は今、この瞬間にしか味わえない癒しを堪能しきる事にしたのだった。



―――――



 そんな悠々自適な生活を始めて、約3日後。

 私が部屋に運んでもらった朝食を食べていると……それは来てしまった。


『――――!!』

「ッ、警報?」


 ホテル内に鳴り響いた警報。それと共に、部屋の外では怒鳴り声や悲鳴のようなものが微かに聞こえ始める。

 嫌な予感がしつつも、私は手早く荷物を【空間収納】へと纏め。

 心許ないものの、一応護身用にと朝食についていたバターナイフを握りしめて。何かを警戒している様子のリンと共に部屋の扉から廊下をチラリと見てみると。


「……マジかー……」

「くぅーん……」


 逃げ惑う人達の中に、ソレは居た。

 虚な目、半開きになった口からは透明な涎を垂らしつつも、周囲の物を壊し暴れている。

 ゾンビだ。過去、嫌と言うほどに見た人間の末路がそこには居た。


「あと1週間はある筈なんだけどぉ……?いや、今は脱出が先か!A.S.S、イケそう?」

『問題ありません。柊様の視覚情報から判断するに危険度は1級。異能持ちではなく、動きも緩慢な初期状態ですので、施設からの脱出は容易に行えるかと』

「ありがと」


 小声で自身に突っ込みつつも、リンを抱きかかえ扉から非常階段へと向かって走り出す。

 ゾンビにはウイルスの進行段階や、元となった人間に依って危険度が変化する。見たところ、廊下で暴れているのは1級……まだゾンビに成りたてであり、危険度が1番低い動きの遅いモノ。

 故に、ここで無理に排除しようと動くよりも、安全な場所へと移動するのが先決だと判断したのだ。

……少し予定を早めて、今日から最後の買い出しに出掛けちゃうか……!

 幸いにして、まだゾンビが1体出ただけ。パンデミックのようにはなっていないし、背後でこちらを追おうと動き出したゾンビもホテルの警備員達が何とかするだろう。

 非常階段を降り、外へと出た私は誰かが呼んだ警察や救急に見つからないように隠れながらその場から離脱していく。

 変に事情聴取などで時間を取られると、今後の予定が狂いかねない為だ。


「あちゃ、バターナイフ持ってきちゃった。まぁ……いっか。えぇーっと……もう工具とかは足りてるから……食糧とかそっちを追加で買っておいた方がいっか!」

『現在、備蓄系タスクは1つです。【食糧を備蓄せよ】……永続発生系のタスクですね』

「うん、ぴったり。行こう」


 拠点に戻らず、先にショッピングモールへと向かって足を向ける。

 変にスーパーなどに向かうよりも、大量の物や店があるショッピングモールの方が食糧以外の備蓄も増やせると踏んだのだ。

 そうして移動を開始すると、様々なモノを見た。

 怪我をしている人、流行り病の時期ではないのにマスクをしている大勢の人、半分理性が飛びゾンビになりかけている人。終末の始まりがそこにはあった。


『――一部地域では、突如発生した大規模暴動により交通等のマヒが起こっています。不要不急の外出は控え――』


 街中のテレビからはそんなニュースも聞こえてくる。

 人々がゾンビに変わり、法治社会の終わりを告げる足音がすぐそこまで迫って来てしまっていた。



―――――



「やっと着いた……流石にゾンビが出てるのにバスとかは使えないしね」


 何とか徒歩でショッピングモールへと辿り着いた私は、レンタカーを駐車場に手配しつつ中へと入る。

 一見すると、いつも通りの平穏な様子のショッピングモール。だが、


「な、なにするの?!きゃ――」


 突如、1人の男性がショップ店員の首筋へと向かって文字通り牙を剥いた。

 首筋へと噛みつき、人体のリミッターが外れているのかそのまま肉を引き千切る。平和だったショッピングモールはその瞬間にパニックの嵐に包まれていく。それに流されるようにしながら、私はすぐ傍にあった適当な店の中へと隠れ込んだ。

 悲鳴、怒号、誰かが鳴らしたのか警報の鳴り響く音。それに伴い、警備員達がゾンビ化している男性を無力化しようとするものの、敵わない。


『進言します。備蓄は諦め撤退した方が宜しいかと』

「……もしかして、アレ2級?」

『力の出力の仕方や、襲う対象の選択判断。それ以外にも身体の動かす速度等から2級ゾンビであると判断できます。また、今殺された女性のショップ店員も徐々にゾンビ化が進行する事でしょう』

「一気に2体……ただの警備員じゃちょっと荷が重めか……」


 今も、数人がかりで制圧しようと試みるものの、単純な力だけで押し切られ嬲られ殺されていく。

 当然だ。ホテルに居た1級ならいざ知らず、1段階危険度の上がってしまった2級ともなれば、銃火器を持っていない日本の警備員達では太刀打ちするのは難しい程に危険な存在となる。

……戻ってきた、って思うのは喜べないよねー。来ない方が良かったんだもん、終末世界なんて。

 血を見ただけで、人が死に逝く姿を見ただけで身体が震える時期はもう過ぎた。終末を経験した記憶があるのだ。人の生き死にはずっと身近にあるものとして生活をしていたのだ。それくらいで動じる程、私はもう初心じゃない。

 そして、私は現状から今自分がすべき行動を選択した。


「――倒そう」

『……柊様に従います』

「ごめんね、ありがと。でも勝算がない訳じゃあないんだよ」


 幾ら終末での戦闘経験があると言えど、勝てる見込みがないのにゾンビの排除を行おうとは思わない。

 作戦ではないものの、決まれば勝てそうだという術自体は持っている。それに、ここまで私は転生前の身体能力に戻すべく鍛え続けてきているし……最近は力こぶだって作れるくらいには筋力も付いてきたのだ。

……それに終末が始まったって事は……どうやったって、何処かで2級とは戦う時は来ちゃうしね。

 転生前は、今の様に異能を自覚していなかったし、その異能も戦闘に役に立つものではなかった。

 出来る事は多く、下手をしたら転生前よりも豊富な手札が今の私の目の前には広がっている。


「A.S.S、カウントお願い。終わりは警備隊が全員倒される所で」

『了解しました、カウントダウン開始します』


 手にはホテルから持ってきてしまったバターナイフを右手で握りしめ。


『――5』


 ゾンビが恐ろしいのか、震えてしまっているリンを一度撫で。


『――4』


 軽く目を瞑って、絶対に出来ると自らを鼓舞して。


『――3』


 一息吸って、自分が目指すべき場所を見据えながら吐き出して。


『――2』


 頭の内に過った、転生前の自分の戦い方を思い出しながら。


『――1』


 隠れる為に低くしていた体勢を、クラウチングスタートの体勢へと変えていき。


『――0』


 私は駆けだした。

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