もうダメだ、素直にそう思った。
「クソッ、どうしてこんな事に……!俺が何したって言うんだよ!」
荒れた住宅地を闇雲に走り、後ろから迫ってくるソレから逃げる。
世界が決定的に変わってしまった日から、俺はコンビニや人の居なくなった民家から食糧を得て生き延びてきた。
その日暮らしを延々と続けてきた訳だが、色々なモノが縛り付けられる現代社会とは違って何処か充実した日々を過ごしてきた……のだが。
今日になって、しくじってしまった。
「――ァア!」
「ッちィ!速いんだよマジで!」
俺の事を追いかけてくる、1人の男。工事現場の作業員の様な制服に身を包み、ヘルメットを被っている……のだが。目は虚ろ、左腕は無く血が流れている様子はない。
まるで漫画や映画なんかに出てくるようなテンプレじみたゾンビ。そうとしか形容しようがない存在が世界に突如溢れかえり、今。俺を殺そうと迫って来ていた。
民家を漁っている時に、ちょっとしたミスで窓ガラスを割ってしまったのだ。
奴らは音に敏感。分かり切っていた事だったのに……ある程度慣れてきたからと言って、不注意に、雑に漁ってしまったのが悪かったのだろう。
「あだッ!……しまっ」
「ィあ……あァ!」
足元をよく見ていなかった所為か、荒れた道のアスファルトに躓いて転んでしまう。
よくある設定と同じなのか、脳のリミッターが外れてしまっているゾンビは転んだ俺の姿を見てすぐに飛び掛かるようにして距離を詰めてきた。
何とかしようと上半身を起こし、後ろへと振り返ろうとして……掴まれる。そうしてそのまま、首元へと噛みつこうとしてきた頭を何とか掴まれていない方の手で押し留めているものの。力が強く、抵抗が抵抗になっていない。
「クソクソクソクソ……誰か!助けッ」
「オーケィ、助けよう!」
「へっ?」
「――!?」
捨て鉢気味に。届く筈がないと、喉を振り絞って叫んだ言葉に返答があると同時。
俺に噛み付こうとしていたゾンビの頭が大きく後ろへと仰け反った。首辺りから何かが折れるような、水っぽい音が聞こえると共に、こちらへと近付いてくる誰かの足音が聞こえていた。
「あれ、まだ生きてる。しぶといな……2級かな?まぁいいや」
女の声と共に、体勢を戻そうとしているゾンビの身体が風船のように膨らんで。
そのまま俺の目の前で破裂する。
人間の身体の中に詰め込まれた色々なモノが散乱し、一番近くに居る俺に降り注ぐ……かと思いきや。いつの間にかゾンビと俺との間には、水の膜のようなモノが出現しており汚れる事は無かった。
一体全体どうなっているのか、と目を白黒させていると、
「君、大丈夫?とりあえずウチで休んでいきなよ」
「……は?」
―――――
危ない所だった。
いつもの様に、着いてこようとする五十嵐を撒いてから住宅地を散策していると。今にもゾンビに襲われそうな青年を発見したのだ。
……ある程度威力を絞ってたとは言え、私の攻撃を1回耐えられたのは驚いたなぁ。
青年は特に避難所などに身を寄せている訳でもなく、その日暮らしで住宅地内の物資を漁っては放浪するという生活をしていたらしい。
その場の流れで何となく保護してしまったが特に問題はなかったようで何よりだ。
「で、ここが居住エリア。君みたいにゾンビに襲われてた人がメインで暮らしてる所だね。農業したり、建築したりしてるから、物資も雨風凌げる場所もあるって感じ」
「……え、どういう事……ですか?俺、この後何か要求されたりする?」
「あはは……まぁそう思っても仕方ないか。別に今の君から何かを貰おうとは思ってないよ。もしもその辺りが気になるんだったら、ここで暮らしてる人達に聞いてくれればいいし」
青年は半信半疑といった風に、私の案内に従って居住エリアを見ていくものの。
途中途中で会う人達に挨拶、軽く会話していくと一応は安全な場所だと理解してくれたのか少しだけ警戒を解いてくれた。
……うーん、好感度上げるなら何か食べてもらうのが一番手っ取り早いんだけど……ここで私がインスタントとか出しても疑われちゃうか。
変に干渉しすぎても
それならば、
「じゃあ、後は……おっ、丁度良い。音鳴ちゃーん、この人新しく拾ってきたから後任せて大丈夫?」
「んえ!?自分が面倒になっただけでしょ柊さん!」
「こう見えて結構忙しいんだよ、私は。じゃ、頼んだからねー」
同じ、外の事情をある程度知る住人に任せてしまった方が良いだろう。
私の領地内で収穫された食べ物を摂取しても好感度は上がるのだ。後は時間が何とかしてくれると信じておけばいい。
そうして、私はその場を去りいつもの様に……拠点の自室で異能の効率的な使い方や、いざという時の為の準備を行う事にした。
―――――
この集団生活に参加させられてから、早数日。俺はただただ驚いていた。
と言うのも、だ。ここはゾンビに怯える必要がない、一種の楽園の様な場所だったからだ。
ここの人達は基本的に農業や畜産、それを邪魔する野生動物の狩猟、そして建物や道具を作ったりする事を仕事として生きている。
かく言う俺も何もせずに飯を食うのは性に合わない為に、とりあえず人手が欲しそうな建築作業を手伝っている。勿論、仕事中や休憩中に俺を助けてくれた女の人……柊さんの事についても聞いていた。
「柊さんはね、ここに居る人達を皆助けてくれたんですよ」
「そうなんすか?」
「まぁ今の世の中的に、な。一種のヒーローみたいなもんさ。色んな道具を使って、自分の行ける範囲内だったら出来る限り掬い上げる。自分が今、力を持ってるのを理解してるんだろうさ」
俺と同じ様にゾンビに襲われていたという人達。
彼ら、彼女らは柊さんの事をヒーローと呼んだ。当然だ。ピンチの時に颯爽と現れて救ってくれるだなんて、まるで漫画のヒーローなのだから。
だが、だからこそ。少しだけ怖く感じてしまう。
この居住エリアとやらを見てもそうだ。
農業が出来る人間がいる。畜産に詳しい人間がいる。拙いながらも建物を建てる知識があり、道具なんかも作れる人間がいる。そして、時折柊さんが居るであろう方向から飛んでくる物資を運ぶドローンの存在。
「皆さんは……怖くないんすか?あの人。得体が知れないって言うか……どうやってここまでの環境を作り上げたのかとか……色々」
「んー……確かに怖くはあるぞ。助けてくれた時なんて一瞬新種の化け物かと思ったくらいだしな」
「確かにそうですね。絶対的に強い力を持ってる点からしても、僕達じゃ敵わないのが分かり切ってるので怖くはあります」
「でも、恩があるからね。怖いとは思っても、同じくらいかそれ以上に助けてくれた恩を返そうって思ってるのさ」
彼らの話は理解出来る。俺も同じ境遇なのだから。
故に、俺は――、
「出ていくのかな?」
「ッ!」
話を聞いた日の夜。
静かに借りていた仮屋から外に出て、元々自分が放浪していた住宅地へと戻ろうとした所を背後から話しかけられた。
「柊、さん……」
「あー、いやいや。別に止める気はないし、ここで出ていこうとする君をどうこうする気もないから安心して。でも、なんで出ていくのかだけは聞いておきたくて。過ごしにくかった?」
ゆっくりと振り返ると、そこには月明かりに照らされた柊さんの姿があった。
彼女は笑わず、真剣な瞳でこちらの瞳を真っすぐ見つめてきている。
その姿に少しだけ気圧されながらも、
「助けてくれた事には……感謝してるっす。でも、怖いんすよ……ここ。何でも揃う。安全。良い事だと思うんす。けど……そんな、前の日本みたいに、世界みたいにソレを実現出来てるここが気味が悪いんすよ」
「あー……うん、成程ね。確かに言われてみるとそうだよねぇー……」
一息。柊さんは俺の言った事を噛みしめるように苦笑して。
突然、1枚の紙切れを取り出した。
「はい、これ」
「……なんすか?これ」
「所謂、紹介状かな?ここから少し行った所に、私の知り合いが結構偉いポジションにいる避難所があるからさ。もし行くとこないんだったらそこに寄ってみなよ。……得体の知れない場所を管理する、気味が悪い女からの餞別さ」
「っ、すいません……」
手渡されたソレをポケットに仕舞い、一度頭を下げた後。俺は走ってその場を後にした。
楽園の様で、気味が悪い場所。何でも揃い過ぎているが故に、居ても立っても居られなくなってしまう場所。
俺はそこから抜け出して、夜の山を駆け抜けていった。
―――――
「んー……五十嵐、何が悪かったと思う?」
「彼が言ってた通りでしょうね。私は悪い事だとは思いませんが、人によって感性は違いますし」
「そうだよねぇ……いやまぁ、私もここが万人受けするとは思ってなかったけどさ」
駆け去っていく彼の背中を眺めながら、こちらへと近寄ってきた五十嵐に言葉を投げる。
この手の問題はいつか発生するとは考えていたものの……逆に、今まで一度も発生していなかった事が奇跡だったのだろう。
……彼の言い分も分かるんだよ。でもこれはこれで、私が頑張った成果でもある訳で……んにゃー!難しい!
考えても仕方ないとは思わない。しかしながら、明確な答えも無い問題だ。
一つ息を吐き、
「ま、三峰さんの所に行くようにしたから問題はない、かな?ちゃんと行ってくれればいいけど」
「あぁ、渡してたのってそういう……」
「そうそう。ま、向こうも流石に困って訪ねてきた人を無碍にはしないでしょ」
そう思いたい。
そのまま、私と五十嵐は居住エリアから拠点へと戻り。会話少なくその日の活動を終了した。
いつもよりも眠る時に色々な事を考えてしまったのは……きっとその時の気分の所為ではないのだろうと感じながら。