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第5話 赤い

 今年もハロウィンがやって来た。例年であれば魔女や髑髏や吸血鬼などに扮装したコスプレイヤーやら、何をしに来たのかわからない人々で賑わう渋谷も、世界を襲ったウイルス禍のせいで閑散としている。


 数年前には駐車中の軽自動車がひっくり返されるなど、行き過ぎた馬鹿騒ぎになったこともある。しかしそれも過去のことだ。現在の危機的状況が改善したとして、はたして以前のような日々が戻ってくるのか?

 わたしにはそうは思えなかった。


 ハロウィンとは古代ケルトの祭事である「サウィン」に由来するイベントだ。死者と生者の境が曖昧になる日。ハロウィンといえば、カボチャをくり抜いたジャック・オ・ランタンを誰しも思い浮かべるだろう。しかし元々はカボチャではなくカブだった。カボチャに変わったのは、このイベントがアメリカに渡ってからのこと。ちなみにカブのランタンはカボチャのそれよりもかなり無気味である。


 本来のハロウィンの意味も知らずに、節操のない馬鹿騒ぎに興じていた若者たち。彼らにとってはただにコスプレ祭りに過ぎなかった。しかしその中に紛れ込んで一緒になって騒いでいた死者たちは、愚かな彼らがいなくなってしまたのを、きっと憂いているに違いない。


 ニュースが終わったのでテレビのスウィッチを切った。ノートパソコンに向かい、"赤いあかいアカイ"とタイトルを付けた怪異談を読み返す。これで何度目だろうか。何度読んでも不気味であると同時に違和感が残る。そう、違和感だ。


 Yukito氏からのメールは、宴会の帰り道での無気味な出来事の報告を最後に途絶えた。こちらから何度もメールしたが返信はなかった。


 最後のメールは、肝心のラストの部分が文字化けを起こしており、あれこれ復旧を試みたが無駄に終わった。


 およそ半月に渡った「赤い自転車」についてのやり取りは、唐突に終わりを迎えた。


 あれから何度も彼から来た最初のメールから読み返してみた。そしていくつかの疑問な点が残った。


 まず、これは本当にYukito氏が体験した出来事なのかという点だ。恐ろしい怪異に晒されているにしては、彼の文章は終始冷静で整っている。取り乱したり話が前後したりせず、破綻もなく、まるで作家が書いた物語のようにとても読みやすい。


 疑問の二つ目は、こちらからの返信を読んでいないのではないかという点。

彼から送られてきたどのメールも、私からの返信内容についての反応は認められなかった。一方通行のやり取り。途中からそれに気づいたのだが。


 なぜだろう。

 話は聞いて欲しいが、それについてのわたしの考え方や助言は必要ではなかったというのか?


 Yukito氏の体験は不気味だ。不気味で差し迫った危険を感じる。


 わたしを騙す目的でデタラメの体験談をでっち上げた可能性もゼロではない。ネットを通じて寄せられる怪異体験はそんな紛い物が数多く存在する。自分は嘘や創作話、都市伝説には慣れているつもりだ。しかしこんなエピソードは、似たような話ですら過去に聞いたことがなく、彼の文体から作り物めいた印象を受けたとしても、とても創作とは思えない。


 実は、本物であると思う理由がある。わたしは彼とのやり取りの途中で体調を崩した。そのことはYukito氏へのメールにも書いたが、原因不明の倦怠感と何日も続く微熱に体力を奪われてしまい、とうとうベッドから起き上がれなくなった。そして不思議なことに、彼からの赤い自転車のメールが途絶えてすぐに、何事もなかったかのように回復した。


 怪異体験に接したのちに身体の具合が悪くなる経験は今までもあった。急に猛烈な頭痛や吐き気や寒気を感じて、時には立ち上がれなくなるほどのダメージを受けるが、数時間後には嘘にようにケロっと治ったりする。


 聞いた話が本物であると強く確信した時ほど、その症状が出やすい。Yukito氏とやり取りをしていた際に襲われた症状が、まさにこれだった。だから、である。


 怪異が本物だとして、彼はあの後いったいどうなったのか?

 赤い自転車が変異したらしき赤黒い化け物に襲われ、はたして無事だったのだろうか。


 まあ、無事だったからこそ、わたしにメールを送れた、ということになる。でも、その後のメールがないのは不自然でとても後味が悪い。


 いや。

 そうじゃないのか。

 不自然に途切れたのは、無事ではなかったからとも考えられる。


 でも、わたしに何ができるだろう。彼を助けたくても情報がほとんどない状態では動きようがない。わかっているのは、仕事は不動産関係であり、東京近郊のどこかの街に住んでいることだけ。これではどうしようもない。


 もしかしたらと、テレビや新聞、ネット上のニュースを注意していたが何も見つからなかった。もっとも、何を探しいるのか自分でもわからない状態では何も見つかるはずはないのだが。


 彼は助けを求めてはいなかった。話を聞いて欲しいとメールにはあったが、怪異から逃れる手助けを求めるような文脈は最後まで読み取れなかった。


 赤い自転車とは?

 そしてそれが変異したらしき、悍しい化け物はいったい何なのか?

 どうしてYukito氏がしつこく狙われたのか?


 いくつかの仮説は立てられるが、あくまでも仮説に過ぎない。それを検証する術は絶たれた。答えのない疑問ばかりが浮かんでは消える。


 しかしこの後、予想もしなかった意外な展開が待ち構えていたのを、この時は知る由もなかった。いつの間にかわたしは、自ら怪異への扉を開いていたのである。





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