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第12話 File 153【穴の底】

取材日 20XX年十一月三十日

年齢  五十代

性別  男性

職業  ITエンジニア

メモ

おそらく異界に迷い込んだと思われる。

木の幽霊とは?




 所用でS県の北の方を車で走っていた時のことです。もう二十年近く前の話になります。八月の終わりの、うだるような暑い日でした。


 カーナビを頼りに慣れない道を走っていた私は、同じ場所をぐるぐる走っているような感覚にとらわれました。今と違って当時のカーナビは精度が悪く、どこかで道を間違えたことに気づいたがもう遅い。


 荒れた林を縫うように続いている、対向車もない寂しい片側一車線の道で、くねくねと登ったり下ったり、標識も信号もないからどこで間違えたのかわからない。


 道路脇に車を停めて地図を見たが、自分が今どこにいるのかさっぱりわからない。今だったらスマホのGPSで一発でわかるでしょう。でもそんな便利な物などない時代ですから。


 この道祖神を右へ曲がって、次のT路路を左へ。そうやってしばらくするとやっぱり同じ風景が現れる。やけになった私は直感に頼ることにしました。適当に走ればもしかしたらどこかの幹線道路にぶつかるかもしれない。幸いにしてガソリンはまだ余裕がある。


 その作戦が功を奏したのか、右手に見覚えのないものが現れたんです。


 道路から一段低い、見渡す限りの広い空き地一面に、たくさんの四角い穴が並んでいる。その向こうの丘には薄桃色の花が満開の大木。道路から一段低い、見渡す限りの広い空き地一面に、たくさんの四角い穴が並んでいる。


 異様な風景に、私は車から降りて見に行った。近づいてみると、その穴はどうやら石を組んだ物らしい。古いもののようで、表面が緑色の苔で覆われている。


 最初は遺跡かと思いました。しかし遺跡なら案内板や柵があるはずだが何もない。穴の中は空っぽのようだった。でもなぜか底の方が暗くてよく見えない。日が高いのに光が届いていないみたいで、もっと近くに寄れば見えるかもと、首を伸ばして覗きこんだ時、やっと気がついたのです。


 これは遺跡などではない。墓だ。どういう理由なのか、上に載っていた墓石がどかされ、地下の納骨室が剥き出しになった墓場だと。


 ぞっとした私は逃げるように車に戻り、気づいたら見覚えのある国道を走っていました。


 あとであの墓場がどこにあるのか調べたがわからなかった。おかしなことはまだある。遠くの丘にあった大木は桜です。あの時は気づかなかったが、でも八月に桜が咲くのか?人に聞いたが夢でも見たんだろうと馬鹿にされるだけでした。


 夢といえば、たまにあの場所の夢を見るのです。夢の中の私は穴の底を覗こうとしている。


 嫌なのに、見たくないのに。



「蒼井さんは運転はされますか」

「ええ。今日もここまで車で参りましたから」


 ああ、そうでした、そりゃそうだと、奇妙な体験を話し終えたその男性は、苦笑いを浮かべながら白髪の混じった頭を掻いた。気まずかったのか、がらんとしたミーティングルームを意味もなく見回す。


 広大な敷地に大きな四角い建物が立ち並ぶ企業団地のようなエリアだった。縦横に走る広い道路に車一台見当たらないのは休日のためだろうか。歩道を歩く人影も見えない。


 社名を見ても馴染みのあるものは皆無で、いったい何を営んでいる会社なのか皆目見当がつかなかった。しかしどの会社もラボとか研究所のような雰囲気が共通していた。バイオ系もしくはIT関連企業ばかりが集まっているのかもしれない。


 わたしのその予想は、怪異譚を語っていただいた野々村氏の「まあそんなところです」という言葉で薄らぼんやりと肯定された。


 メールで寄せられた野々村氏の体験を、メールではなく直接会ってお聞きしたいと無理を承知で丁寧にお願いした。野々村氏は最初は戸惑う様子であったが、会社まで来てもらえるならそこでと承諾してくれた。土日が休みのお仕事ではなかったのがわたしにとって幸だった。


 事前に教えていただいた会社の名称と住所をカーナビにセットし、野々村氏の体験のように道に迷って不気味な場所に誘導されることもなく、出発した東京から一時間半ほどで着いた。


 入口の警備員さんにチェックを受けたあとは目的の野々村氏以外には誰にも会わなかった。巨大な社屋なのに人気が感じられない。バイオ系企業はきっとこういうものなのだろう。文系出身のわたしにはよくわからない世界である。


「あとで調べてみたのですが、墓石をどかされた状態のお墓が並んでいるなんて、別に珍しくもないと知りました。なんらかの理由で墓地を別の場所に移転する、もしくは跡継ぎが絶えた墓を取り払って合同墓地に移すとかね」

「そうですね。仰るとおり、墓地の件は確かにそうです」

「ええ。だから僕の体験は変でも何でもない」


 自らの怪異体験を否定してみせた野々村氏は、椅子の背に体を預け、腕の時計をチラッと見た。タイムアップ、ということなのだろう。そろそろ失礼した方が良さそうだ。


「野々村さん。最後に一つだけ、確認させてください」

「確認ですか?何でしょう」

「桜のことです」

「桜?ああ」

「野々村さんが見たのはどんな桜でしたか」

「どんなって…桜は桜ですよ。春に咲く、満開の枝の下で花見をするような、どこにでもある桜です。ほら、何でしたっけ」

「ソメイヨシノ?」

「そう。それです。でもちょっと雰囲気が違うかな。とにかく見事な大木でした。ただ、季節が真夏だったから変な気がした」


 やはりそうか。

 真夏に満開の桜の巨木……。


「知り合いにこの話をすると馬鹿にされるんです。真夏に桜が咲くはずがない、幻でも見たんだろうってね」


 わたしが一人で頷いていたら、野々村氏はうんざりした口調で言った。


「知らない土地で道に迷ったり変な墓地に遭遇することはあり得ることです。でも木の幽霊なんてねえ」

「えっ?」

「木の幽霊です。あの桜をそう名付けました。まあ友人の言うように幻でも見たのでしょう」


 その、木の幽霊という表現がわたしの記憶を刺激した。どこかで聞いたことがある。野々村氏がまた時計をチラッと見た。疲れているようだ。目をしょぼしょぼさせている。聞きたいことは聞けた。もうこれで退散しよう。ご馳走していただいた缶コーヒーを飲み干す。


「今日はありがとうございました。お勤め先にまで押しかけてしまい、申し訳ありません」

「いえいえ。僕のくだらない話をこうして真剣の聞いていただけるなんて、僕の方こそお礼を言わなくては」


 立ち上がりながらもう一度、ありがとうございましたと礼を言い、来た時と同じように野々村氏の先導で会議室を出る。ドアが閉まると同時にピッと音が鳴り、ロックされた。無機質な廊下は相変わらずひと気がなく静かだった。


「お茶も出さずに申し訳ない。誰にも聞かれたくなかったので」

「わかります。でもわたしには野々村さんのお話が何よりのご馳走です」


 疲れた顔がふっと笑ったように見えた。優しい笑顔だった。しかし彼の次の言葉に硬直してしまう。


「もう少しで見えそうなんです」

「えっ……何がですか」

「墓穴の底が、もう少しで見えそうなんですよ」

「野々村さん?」

「あれからずうっと夢を…穴の底が…あと少しで……」

「あの。野々村さん?」


 彼はわたしの言葉を聞いていなかった。ぶつぶつ言いながら血走った目で床を睨んでいる。わたしには見えない何かを覗こうとしているかのように。


 薄ら寒いものが背筋を這い上ってくる。狂っていると思った。野々村氏は壊れている。失礼を承知で、その男性から距離を置く。


 エントランスに着いたので、ありがとうございましたとお辞儀をし、開き始めた自動ドアの隙間から急いで外に出る。車に乗り込み、野々村氏のラボを出るまで一度も振り向かなかった。


 帰りは来た道を戻ることにした。誰も歩く人のいない歩道に植えられた街路樹が色づき始めている。こんな市街地では綺麗な紅葉は拝めないだろうが、それでも移ろう季節を感じることはできる。


 メールのやり取りだけでは満足できずに、わたしがわざわざ車を運転してここまでやって来たのには理由がある。もちろん、野々村氏の怪異体験を直接聞きたかったことも理由の一つだが、それ以上にその体験談に既視感を覚えたからだ。


 木の幽霊、と、彼は言った。そして同じような言葉を誰か別の人物から聞いたことがある。


 ふと思い付いて、カーナビのスウィッチを切った。モニターがブラックアウトする寸前に表示されていたのは、今わたしがいる場所ではない、知らない地域の地図のように見えたが、多分、わたしの気のせいだろう。


 その後は特に何事もなく無事に東京の自宅に着いた。


 夜になり、疲れていたので早めにベッドに入ったにもかかわらず、横になったまま、なぜか眠れない。しかし考えごとをしているうちに睡魔が訪れ、そして夢を見た。


 わたしは四角い穴を覗いている。首を伸ばし、暗い穴の底を覗こうとしている。あと少し。もう少しで見えそうだ。


 でも見たくない。見たくないのに覗くのをやめられない。


 もうちょっとで、あとちょっと。見たくないのに。嫌でたまらないのに。


 あ、ああ。

 あれ。

 あれは。


「ああああっ!」


 ガバッと跳ね起きた。嫌な汗で体じゅうびっしょり濡れている。


 誰かが恐ろしい声で叫んでいた。と、思ったら、それは自分の声だった。



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