懲りないというか、それとも度胸があるのか、平川さんはあのラウンジで話そうと持ちかけてきた。「あのラウンジ」とは、赤い自転車事件の折に"凶眼"に襲われた場所である。
最初は呆れた。しかし「度胸のあるなしじゃない。安全か危険かという面ではどこで会っても同じだろ。だったら人目の多い方がいい。センセーもそう思わないか」と言われると、刑事らしいもっともな見解であると思えなくもない。
相手は人智を超えた存在なのだから、厳重に鍵のかかった部屋であろうとどこであろうと関係ない。しかし大勢の目がある場所なら、出現したとしてもせいぜいガラスを割るぐらいで(それでも大怪我を負ったが)退散するだろう。異空間を作り出し、そこにターゲットを引き摺り込むには部外者が多すぎるというわけだ。まあ、相手が関係のない人々もろとも襲うつもりならば対策の手立てがないのだが。
「よう先生。こっちだ」
「早いですね。ところで先生はやめてください」
待ち合わせ時刻の十分以上前に着いたにも関わらず、初めて会った時と同じように、平川さんはすでに来ていた。グレーのジャケットに黒いパンツ。ノーネクタイの白シャツ。ラウンジの椅子にゆったりと足を組んでコーヒーを飲んでいる。
わたしに向かって軽くうなずいてから、黒い手帳を閉じテーブルに置いた。その様子から、ここに到着したのはもっと早い時刻だろうと見当をつける。
「蒼井さんよりも先生の方が言いやすくてね。それに俺たちが遭遇した奴らについての知識も深いから、先生の方がしっくりくる」
「そうかもしれないけれど、少なくとも人のいるところではやめて欲しいです」
「了解」
わかったと鷹揚に手を挙げ、観察するような目になる。
「怪我の方は?」
「大丈夫です。その節はお世話になりました」
「それは良かった。気にしないでくれ」
「平川さんこそ大丈夫ですか」
「俺は平気だよ。商売柄、頑丈にできているから」
「それなら良かったです」
「それで、その後はどうだ。何もないか」
「ええ。何も」
「本当に?」
「はあ。そうですね」
「本当に何もないか?」
あいまいな返事をしていたら突っ込まれてしまったので、ええ、まあとか、適当に誤魔化した。おかしな出来事はあるにはある。しかしそんな話題よりもここで話すべきことは別にあった。平川さんも同じ思いらしい。それ以上は追求してこなかった。
「さて、赤い自転車事件の報告だが、白井幸仁の行方は相変わらずだ。手がかりもない。彼が赤い自転車に乗っていたと証言した住人の行方も同じ。さらに別の部屋に住んでいたコンビニの店員もいなくなった」
「えっ。三人目ですか」
「今のところ因果関係は不明だ。しかし白井幸仁の周囲で、本人も入れて三人も行方不明になったら、当然、我々は事件性および関連性を疑うね。警察って組織は偶然は認めないんだよ」
「ですよね」
それはそうだろうと思う。そして三人目がコンビニ店員であることにハッと胸を突かれた。
「Yukitoさんが赤い自転車に気づいたのは、確か、駅前のコンビニでしたよね」
「すばり。さすがだな先生。そのコンビニで働いていたのが三人目。しかも深夜のシフトが多かった」
「……」
先生はやめてくれと申し立てようと思ったが諦めた。平川さんの好きなように呼ばせよう。
Yukitoとは白井幸仁氏のハンドル名だった。そのハンドル名でわたしにメールをくれ、そのせいでわたしも平川さんも怪異に巻き込まれた。まあ、平川さんに関してはわたしが巻き込んだと言えなくもない。であるなら申し訳ないと思っている。
金曜日の夕方なのにラウンジは空いていた。空いているのは何もここだけに限った話ではない。その理由は、こういった人の集まる場所を避ける社会の仕組みに急速に変化しつつあるせいだ。政府による在宅ワークやインターネットを利用した手続きの推進も、同じ大きな流れの中にある。
その流れがさらに加速するなら…そのうち外食産業や旅行関連の産業、プロスポーツもコンサート等のイベント産業らもすべて過去のものとして消えてしまうような気がする。
人は家から出なくなり、仕事や買い物はインターネットで済ませ、旅行も人に会うことすらバーチャルになり、その結果、街から人の姿が消え、そうなった時に、果たして経済は立ちゆくのだろうか。
今までのようには行かないだろう。それは確かだと思う。しかしそんな、まるでハイラインのSF小説のような社会の到来など、いったい誰が歓迎するのだろうか。少なくともわたしは望まない。そんな空虚なバーチャル社会は小説の中だけで十分だから。
「先生。どうかしたのか」
「……あ。ごめんなさい」
平川さんの心配そうな声で現実に戻る。コーヒーカップ覗き込んだ格好で固まっていたようだ。
気を取り直し、やがて訪れるであろう、バーチャル社会への憂いはとりあえず横において、今度は自分が気になっていることをベテラン刑事に説明する。
木の幽霊について、幻の桜の巨木について、同じような体験談が複数あること、それらの体験の中で一致する点と異なる点について、それら諸々をできるだけ理解しやすいように話す。
わたしが話し終えると「なるほど」と一言。そして背もたれに身体を預け、考え込んだ。
横を通りかっかったスタッフを小声で呼び止めて、コーヒーのお代わりをオーダーする。静かだった。今、ラウンジに流れているのは何という曲だっけ。クラシックの…何だっけ。あと少しで思い出せそうなのに出てこない。もどかしい。そう、あと少しで。
そうだ。木の幽霊……なんだけど。わたしの中で他にも何かが引っかかっていた。それが何なのか、正体を掴もうとすればするほど遠くに逃げてしまう。あと少しなのに、伸ばした手に残るのはもどかしさばかり。
「偶然じゃないのか」
こちらを見るその目は、のんびりした声とは裏腹に鋭かった。
「そうかもしれません。でも……」
「ああ。俺は偶然は認めない」
「偶然でないなら、どういう解釈になりますか」
「偶然でなければ必然。根っこは同じってことだ。俺たちに見えないだけで、どこかで繋がっているんだよ」
やはりそうだ。エンジニアの話も元林野庁の方も、ごく普通の主婦の体験も根っこは同じ。それぞれ別の体験なのに同じ話なんだ。
「一見、ばらばらの話に見える。だから整理するために時系列順に並べ替えてみるってのはどうだい」
「時系列順にですか?」
「ああ。先生が取材した順にではなくて、体験者が体験した順番に並べ替える。そうすれば何かが見えてくるかもしれん」
なるほど、と言ったのはわたしの方だった。
なるほど。それは名案かも。
「まずは」
そう言いつつ、平川さんはテーブルに置いた黒い手帳を開く。
「まずは林野庁OBだな」
「そうですね。三十年前に長野県の山の中で見たという」
「次がITエンジニアか。S県とはどこかな」
「はっきりとは聞いていませんが、おそらく埼玉県だと思います」
「では埼玉の北部で二十年前と」
「ええ。三番目が主婦の体験」
「そうなる。ほら」
A 4版のノートにメモしたそれをクルッと回してわたしに見せる。一緒に問題解決にあたるには向かい合わせでは不便だと思った。幸いにしてこのテーブルは四人掛けだ。だからわたしは平川さんの隣の椅子に移動し、身体を乗り出してそのノートを覗き込んだ。
1 林野庁OB 1980年頃7月 長野県
2 ITエンジニア 1990年頃8月 埼玉県
3 主婦 2010年頃 埼玉県
共通点は2と3が同じ県であること。1と2ではちょうど十年が経過していること。他には特にない。職業もバラバラで関連性は見当たらない。
平川さんは同じ根っこと言った。わたしもさっきはそう思った。しかしこうして並べてみるとやっぱり偶然じゃないかと思えてくる。
「共通点が見つからないわ」
「焦るな先生。まだ並べただけだ」
「そうですけど」
「そこに、先生が聞いたワードを書いてみろ。それぞれの体験者から聞いた言葉を書き出すんだよ。例えば、霧とか寒いとか暑いとか、車、カーナビ、迷う、光、そんな感じで、体験者の口から出た言葉を並べていく。書くだけ書いたらそこでまた比べてみる」
なるほど。やってみよう。するとこんな感じになった。
1 林野庁OB 1980年頃7月 長野県
山 トラック 霧 道 濡れる 冷える 草原 丘 土地開発 破壊
2 ITエンジニア 1990年頃8月 埼玉県
車 カーナビ 道 迷う 丘 墓 穴 夢
3 主婦 2010年頃 埼玉県
家 開発区画 土地 不動産 庭 コケ
朧げながら何かが見えてきたような…でもまだ足りない。パズルに例えるなら、そのパズルを組み上げるために重要な鍵となるはずのKey-piece(キーピース)が欠けている。平川さんも同じ思いのようだ。
「木の幽霊の体験談はこの三つだけなのか」
「そうだと思います」
「本当にほかにはない?」
「ええ。多分。桜の、木の幽霊の話は……他に……」
そう。これだけだ。それ以外は……。
どこかで何かがわたしを呼んでいる気がする。何かを忘れている。重要な、なにかを。
家、土地、不動産、コケ。コケの生えた庭。何もない庭。びっしりコケの生えた何もない、広い庭。
"……南向きで日当たりも良いのに…気味の悪い緑色のコケが生えている…不思議なことにあの家が見つからない…開発地域なので…行きつ戻りつ何度往復してもどうしても見つからない……"
あ。ああ!
わかった。
思い出した。
あの家だ。
あの……それが……欠けていたキーピースなんだ。
「わかりました。平川さん、わたし……!」
すぐ横の大きなガラスがピシッと鳴ったのと、平川刑事が「危ない! 伏せろ!」と叫んだのはほぼ同時だった。
椅子から転げるように落ちた。床にぺたんと座り込んだまま様子を窺う。三ヶ月前の悪夢の記憶がよみがえる。
でも何も起きない。ガラスも割れない。あの時のように、割れたガラスの破片に襲われることを覚悟したのだが。
周囲のお客さんもラウンジのスタッフも何事かとわたしたちを見ている。平川さんは左の手のひらをガラスに向け、怖い顔でその先を見ていた。わたしも首を伸ばして同じ方向を見てみたが、ガラスの向こうに平和そうな夕暮れの風景があるだけだ。
「大丈夫か」
「え、ええ」
「行った。もう大丈夫だろう」
「行った?」
「ああ。さあ」
差し出された腕にすがり、半ば抱き起こされるようにして椅子に戻った。いったい何が"行った"の?
まさか、でもきっとそうだ。
この前と同じあれが。
また。来たんだ。
「それで、何か見つけたのか先生。そうなんだな」
「えっ。そ、そうですけど。まだここで続けるの?」
「そのつもりだが。何か問題が?」
「何か問題がですって? だ、だって、さっきのあれ、またあの凶眼の化け物が来たんでしょう。それなのにまだここで続けるの?だからこのラウンジは危険じゃないかって、わたし言いましたよね。前に襲われた時と同じ場所で同じような話をするなんて」
「シィー。先生、声がでかい」
そう言われても自分が抑えられない。今頃になって恐怖で手が震えている。猛烈に腹も立っている。
「犯人は現場に戻るとか、テレビの刑事ものでよく聞きます。これはまさにそれですよね」
「まあ、な。しかしテレビのくだらん刑事ドラマと一緒にするなよ。あれは嘘っぱちのファンタジーだ」
「まあな、って、なにそれ。信じられないわ。わたしはね。自分のことだけを心配してるんじゃないんです。平川さんのことも心配なんです。その左手は無敵じゃないのよ。そう言ったでしょう」
「わかった。俺が悪かったよ。とにかく落ち着け。もうあれは来ない」
「なぜそう言いきれるの。どうしてもう来ないなんてわかるんですか。どうして……」
「わかるんだよ。俺の左手が教えてくれるんだ」
その一言で震えがピタッと止まった。それまでの恐怖も嘘のように消えてしまった。
「何がわかったんだ。俺に説明してくれよ」
「あ、はい」
頼もしい刑事さんへ"見つからない家"に登場する中古物件と主婦の体験談に登場する佐久間邸が同じ場所であると確信したことを説明する。
"見つからない家"とは、新居を探していたご主人が体験した怪異談である。その中古物件に滞在していた時には何も起きなかった。ただ、広い庭なの樹木一本見当たらず、過去に庭として使用された痕跡もなく、剥き出しの土に緑色のコケだけがへばりついていたという。
その後、この体験者ご夫婦は別の物件を手に入れるのだが、手に入れた新居が偶然にもあの中古物件の近所であることがわかり、ご主人は散歩ついでに見に行く。しかしなぜかあの中古物件が見つからない。間違いなくその区間の中にあるはずなのに、いくら探しても見つからなかった、という奇妙な体験談である。
「ふむ。一致したな」
「ええ。ああ…ちょっと待って。そう。でも"見つからない家"の場所はバブル期の頃の開発区域だったと、体験者は言っていますね」
怪異談のテキストデータをスマートフォンで確認しながら続ける。
「時代が合わないわ。だから違う話かもしれない」
「いや。偶然は認めないと言っただろう。それにさっきのあれがやって来たということは、先生の見込みは正しいと俺は思う。だから警告するために現れた」
「そうなのかな」
「赤い自転車の時もそうだったよ。俺たちが核心に迫ったら現れた」
「うん。確かに。そうでした」
しかしそうだとしたら時系列が合わないのはなぜだろう。見えない家はバブル期の時代と体験者は言っているから約四十年前、そして一方の佐久間邸は……。
「あれ、おかしいな。こっちの話は十年前ぐらいの体験だと聞いたはずなのに、そんなことどこにも書いていないわ」
「先生の勘違いなんじゃないか。いや……そうではないかもしれん」
「そうではないって、どういうこと?」
「赤い自転車事件の時に、先生と白井幸仁とのメールのやりとりでお互いの送受信の日付が一ヵ月違っていたのを覚えているか」
「あ、ああ」
「あれと同じなんじゃないかな」
平川刑事の調査により、Yukito氏がわたしにメールを送信した日時(Date)は、わたしがそのメールを受信したDateよりも一ヵ月も前だったことが判明した。送信側と受信した側の日時が一ヶ月もずれていた。
Yukito氏からのメールを読んだわたしは、一両日のうちに返信していたのだが、その時にはすでに彼は行方不明になっていたのだ。
平川さんはその不可解なずれについて"何か"の意図が働いていると考えているらしい。
「この際、時系列のずれは無視することにしないか。そこのみにこだわったら重要なものを見落とす気がするんだが」
「ええ。わたしもそう思います」
「では、その"見えない家"と"佐久間邸"は同一であると仮定する」
「はい」
「次は二つの家もしくは場所に共通する点は何か」
「共通点……」
「深く考えるな。検討するのはまだ早い。それは材料が出揃ってからでいい。さっきの作業と同じように先生が体験者から聞いた言葉、単語、ワードを思い出せ。ピースを拾うんだ」
深く考えるなと言われたら余計に意識してしまい、その指示とは逆に考えたくなる。今まさに謎の核心に迫っているのだからなおさらだ。
考えない。
考えるな。
「古い家、土地、開発、不動産……」
口に出した途端、あ、と思った。これだ。Yukito氏の件が話題に登ったばかりだったからすぐにピンときた。平川さんも気づいたようだ。
「それだ先生!」
「不動産!古い家、中古物件!Yukitoさんは不動産会社に勤めていた」
「白井幸仁は不動産仲介会社の社員だった。行方不明になる以前、先生へのメールの中に自分が担当した中古物件の話が出てくる。そしてその物件の前に"赤い自転車"があったと。彼はその家の前で初めてそれに遭遇し、次第におかしくなり行方不明になった。そうだったな」
「そうです。ということは」
「繋がった。佐久間邸、"見つからない家"、"赤い自転車"の家は同じだった。別々の人間の別々の体験談で、体験した時代もそれぞれ異なる。だが、その三人とも同じ場所、同じ土地、同じ家の話をしていたというわけだ」
怪異の場所だけでなく、それまでは関連がないように見えた"木の幽霊"と"見つからない家"、そして"赤い自転車"の怪異が繋がった。であれば、それらの根っこはどこだろう。すべて始まり、きっかけ、それらすべての怪異の中心はどこなのか。
そうだ…やはりそうなんだ。
「あの家の場所を特定しなくては」
「待て」
「体験者の男性に、確か田中さんという名前だった。"見えない家"の場所を田中さんに確認します。聞いたらきっとわかるわ。メアドは……」
「おい先生! 待てと言っているだろう」
スマホを握りしめ、怪異談のデータベースを慌てて検索する。その腕をガシッと掴まれた。
「先生! そう慌てるな」
「だ、だって」
「行動を起こすのはまだ早いって。まったく、危なっかしくて見ていらんねえよ」
「どういうことですか」
「先生が集めた、それぞれ別々であると思っていた体験談が繋がった。体験者も違う、体験した時代も違う、それなのに根っこは同じだった」
「そうです。だから」
「だから、他にも同じ根っこの体験談があるんじゃないかってことさ。そう思わないか?」
「ああ、そうか」
「関係のないように見えるが根っこは同じ。よく見て落ち着いて分析すれば、そいつらも引きずり出せるはずだ」
「確かに。そうです」
「手駒を揃えてから行動しないと足元をすくわれるぜ」
またやってしまった。怪異の原因がわかるかもしれないと思ったので、その一点しか考えず、周りも見ずに一人で先走ってしまった。
平川さんの言うとおりだ。まだ残っている。根っこがまだ、今はまだ見えてこないけれど、どこかに繋がっている。
闇の中をどこまでもくねくねと伸びている真っ黒な根を想像する。先に行くほど細くなっていくつもに枝分かれし、さらに細くなり、先端が触手のように蠢いている。
「先生が取材した怪異体験とやらを見たい。最近のだけでもいい。俺宛にメールで送ってくれないか」
「それならわたしのホームページで公開していますよ」
「ああそうだった。作家さんだもんな。すまん。忘れていたよ」
ホームページのアドレスをメモした刑事が真剣な顔になる。
「俺は自分で見たものしか信じない。この前、先生に怪我を負わせた奴は、今日の奴もこの前と同じだと思うが、この目で見て、一瞬だけだがこの手で触れた。あれが何なのか知らん、しかしあれが危険なやつで誰かが先生を守ってやる必要があることはわかる」
むう。頼もしいことを言ってくれるじゃないか。
「ありがとうございます。でも守るのは不可能です。いつどこから襲ってくるのかわからないし、それに二十四時間わたしと一緒にいてくれるわけじゃないですよね」
「まあ、そりゃそうなんだが。はは。俺はそういう気構えでいると思ってくれ」
「わかりました。お気持ちだけでも嬉しいです」
恋人でもいたらな。わたしに恋人でもいたらずうっと一緒にいてくれて…などと無いものねだりをしても仕方がない。彼氏も頼もしい男友達もいないものはいないんだから。それに、もしもいたとしても、自分にとって大切な人を怪異に巻き込むのは望まない。
わたしは自ら進んでそういう現象に首を突っ込んでいる。だから何が起こっても自業自得である、と常日頃から思っている。ただ、そうは言っても、今までは稀におかしな現象に悩まされるだけで実害はなかったのだが。
「今日はここまでにしよう。残りの体験談を先生と俺とで当たってみて、何か見つかれば、またその時に、だな」
「そうですね」
"見つからない家"の体験者へ連絡するのは待てと再び釘を刺され、自宅まで送って行くというありがたい申し出を丁重に辞退する。ありがたいけれどそこまで甘えられない。
「じゃあまたな。先生。くれぐれも気をつけろよ」
「平川さんも。今日はありがとうございました」
頼もしい背中が遠ざかる。わたしのため息はきっと聞こえないだろう。聞こえないで欲しいと思った。