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第6話

 いつもは早朝なのだが、昼間でも構わないだろう。俺はランニングに出ることにした。いつもは妙正寺川沿いの歩道を走るのだが、今日は足を延ばしてみよう。途中の喫茶店で軽く腹ごなしをし、新目白通りまで出た。そのまま、都心方向に走り始める。新目白通りは幅の広い道路だが、交通量は案外多くはない。

 走っていると、気分がすっきりしてきた。快晴で、やや涼しい風がちょうどいい。

 走りながら、昨日おとといの出来事を反芻していた。

 高田社長、馬場刑事、中野専務、飯田、昨夜の4人組のちんぴらたち、そして、本橋涼子。その顔を意識的に順番に脳裏によみがえらせていく。

 まずは、高田社長の遺族からの連絡を待つしかない。それにしても、昨夜のちんぴらたちは何だったのだろう。そもそも、なぜ高田社長は撃たれたのか。どんな背後関係があるのか。

 確証はないが、あのちんぴらたちが今回の事件に何らか関与していることは明確だ。そもそも、刃物で脅してまで俺から訊き出したいこととは何だったのか。大ガード下で俺を待ち構えていたということは、奴らは俺の勤め先を知っていることになる。会社から付けて、俺と飯田が飲み屋に入るのを見届け、出てくるのを待っていたとしか思えない。歌舞伎町に移動したところで、2人が4人に増えていたのだから、奴らは別行動をしながら連絡を取り合っていたことになる。

いまさらながら、サバイバルナイフの刃が思い出された。本橋涼子が通りかかってくれなかったら、本当にどうなっていたか知れない。

 そういえば、名前と連絡先はようやく訊き出せたものの、俺は彼女の勤め先も何も知らない。ただ、あの辺りのどこかの会社であることは確かだろう。服装の感じからすると、事務職だろうか。

 彼女に、どんなお礼をしたらいいだろうか。お金は断られるだろうし、印象がよくない。品物は趣味があるだろう。

 やっぱり、おいしいものでもごちそうするか。いや、変なふうにとられないだろうか。

 考えながら走っていると、正面にふいにスカイツリーが、驚くほど大きく見えた。俺は足を止めてそれに見入った。

 そうだった。この新目白通りのある地点では、スカイツリーを正面に見ることができる。たまたま、幅広の道路がその方向に走っているので、遮るものがないのだ。

 ということは、もう下落合だ。下落合には、以前クライアントに会うために来たことがある。そのときに、このスカイツリーを見た覚えがあった。中井から下落合までは、西武新宿線の駅でいえば隣だが、自分の足を使ってもこんなに近かったのか。

 俺は首にかけたタオルで汗を拭いた。どうしても興味が湧いてくる。向かって左手はもう、下落合3丁目だ。高田秀俊の自宅をしらみつぶしに探す気はなかったが、どういうところか、あらためて見てみたくなった。

 新目白通りから左に折れると、もう一本、狭い道が並行してある。そちらに移動した。

 住宅街だ。古い家や、新築の家、小さなアパートなどが道沿いに並んでいる。俺はスピードを落としてまた走り出しながら、見るともなく周囲の家々の表札に目をやっていた。

 しばらく行くと、上り坂が現れた。そこを登っていく。坂は、ゆるく内側に弧を描いている。坂の下に住宅が密集している。通行人はほとんどいない。こんな場所に住んでいると、坂の上り下りで足腰が鍛えられそうだ、などと考えながら、もうすぐ登りきるというところで、いきなり意外な人影を見た。向こうは俺より先に気付いていたらしく、にやついている。

 馬場だった。ちょうど坂を下りようとしていたところらしい。俺は戸惑ったが、奴に何か探りを入れるチャンスかもしれないと思いなおした。

 俺が気付いたことに気付くと、馬場は片手を上げた。

「これはまた、意外なところでお会いしますな」

 馬場は細い眼をますます細めながら俺を見た。

「全くですね」

 俺は返す。刑事というものはいつ休みをとるのだろうか、などと漠然と思いながら。

 薄茶色の開襟シャツを着て、鞄を横に抱えていた。きっと高田秀俊の家に行ってきた帰りだろう。

「どうです、昼飯でも一緒に。おごりますよ」

 いかにもという感じの愛想笑いを浮かべる馬場に、俺は答える。

「昼飯はさっきとりました。でも、コーヒーくらいなら付き合いますよ」

 ほう、というように馬場はわざとらしく顎を上げる。俺の態度の変化に対するリアクションだ。

「うるさく電話をいただいても困りますからね。何でもお答えしますよ」 

「では、下落合の駅の向こうに、多少店があったように思うので、行きましょう」

 歩きながら、馬場は前を向いたまま話しかけてくる。

「お若い方はいいですな。そんな恰好で街を歩けるんだから」

 俺はダークグレーに緑の蛍光色のラインの入ったトレーニングウェアを着ている。ウェストポーチにスマホとカードと多少の現金、そしてタバコとライタ-。白いランニングシューズ。首にかけたタオル。馬場のいでたちとは確かに対照的だ。馬場の靴がかなりすり減っていることに、そのとき俺は気付いた。片や仕事、片や休日。はたから見ると妙な組み合わせに見えるかもしれない。

「フランス外人部隊というのをご存じですかな」

 いきなり馬場は話頭を転じた。

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