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第21話

「それから」

 言いかけると美佳のまっすぐな目が俺を見る。俺は襟を正すような気持ちだ。

「昨日の状況、詳しく話してもらってもいいかな。思い出すのも辛いことだとは思うんだけど」

 気がとがめたが、俺が知っているのは美沙子夫人が倒れていたシーンからだ。それ以前をこの少女は知っている。それを聞いておきたかった。すでに警察には話していることだろう。

「あまり口外しないように言われていることなんですが」

 美佳は前置きをしたうえで、

「でも神楽さんにはお話しておきたいんです」

 俺が真剣な目になったのを察したのか、美佳は幾分目をそらせ、

「でも、他の人たちには言わないでくださいね」

「もちろん」

「警察の方たちにも」

「え、警察にも?」

「ええ」

 ということは、警察の事情聴取で話したこと以上を話すつもりだということだろうか。彼女はストローでオレンジジュースを少し飲んだ。話をするために喉を潤したのだろう。

「私は2階の自分の部屋にいたんです。気分が落ち着かなくて、小説のページを開いては閉じしてました。父があんなことになってから、眠れなくて眠るのを諦めていました。

 ふと外を見たくなって……うちはご存じのように、大きな木が庭にあります。私はその木を2階から見るのも好きなんです。

 そうしたら、バイクが何台も来て。おかしいと思いました。周りは静かなのに、エンジン音がしない。正確な台数は分からないんです。木の枝が邪魔して。人数も正確には分からないけど、5、6人くらいだったと思います。みんな男の人たちだったと思います。黒っぽくて、ライダースーツっていうんでしょうか、そんな感じで」

 美佳の整然とした話し方に俺は気を引かれていた。この少女は本当にただものじゃないな、と一瞬思った。

「その人たちが、うちの門を少しいじって、門の鍵を開けたようなんです。それもおかしい。父は、会社経営をしていたせいか、セキュリティには気を配ってました。門の鍵ををこじ開けても何の警報も鳴らないというのはおかしいんです。セキュリティシステムがダウンしているとしか思えない」

 恐れ入った。会社社長というのはそれだけのセキュリティシステムを備えているのか。邸宅ではあるが一見木々も植わってのどかな外見なのに。俺も妙なことをしなくてよかったとふと思う。

「それで、私、2階から外に出てみたんです」

「え」

「私の部屋の下に1階の屋根がつきだしていて、そこにすぐ降りられるんです。木の枝につかまりながら、1階まで降りる遊びは小学生の頃まではよくやってました」

 そこではじめて美佳は少し恥ずかし気な、中学生の少女らしい笑みを浮かべた。

 この少女は聡明なうえに勇敢なのかもしれない。

「木の枝や葉っぱの陰から見ました。3人が玄関の鍵を開けて、あとの2人の姿は見えなくて」

「見張りで外にいた可能性があるね」

「……ええ、私、何とか門から出て近くの家に助けを求めたかったんですけど、誰かいるかもしれないと思って怖くて諦めました」

「それで」

「裏庭に移動して、そこで……母が心配になって戻ったんですけど」

「……」

「カーテンの隙間から家のなかをうかがって、そしたら、声が聞こえて」

「お母さんの?」

「いえ、母がいるとは思ったんですが、男の人の声で……ヘルメットの下でくぐもってましたけど」

「何て言ってた?」

「これでOK……と」

「うん……」

「それであの人たちは玄関の方に移動してきて、一人が私の方を見ました」

「見られたの」

「はい」

「それで逃げ出したんだね」

「……」

「どうしたの」

「母……をおいて私、逃げ出したんです」

 俺ははっとして彼女の俯きがちの顔をのぞいた。

 彼女は泣いていた。

「お母さん、生きててよかった。ごめんなさい、お母さん、ごめんなさい」

 この少女は今までずっと逃げた自分を気に病みつづけていたのだ。

 俺は黙って彼女が泣きやむのをまった。裕福で幸せな家庭であることは間違いないが、複雑な事情を抱えていることも確かだ。とりわけこんなにも聡明な少女なら敏感にならざるをえないことがたくさんあるはずだった。


 少し嗚咽するように泣くのをみて俺は正直ほっとした。

 彼女の抱えているものが少し軽くなるのならよい。


「すいません」

 やがて少女は言った。そしてまたオレンジジュースを少し飲んだ。

「それで、私、怖くて裏庭に逃げたんです。後ろなんて見てません。うちの裏庭のうしろは少し崖のようになっているんです、というか土手ですね。ご存じですか」

「あ、いや」

 だがあの辺の地形では時々見かける光景だ。高台であり坂道にそって家があるのだから。

「私、その崖になっているところを降りて、走りました。直接追いかけられない限りは、そのほうが安全だし。バイクで入り込める場所じゃないし」

「そこからおとめ山公園に?」

 顔を少し歪ませて頷く。

「あの公園へは、その土手沿いに走って上がるといけるんです。子どものころからの遊び場だったから。そこで公園に忍び込んで、どうしようって、考えながら足がこわばって」

 少女の目にまた涙が浮かぶ。

「ごめんなさい、お母さん」

 俺は黙って頷いた。

 もう少し落ち着いたら、気にしなくてもいいんだよ、と伝えよう。

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