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第22話

 迷いながら本橋涼子にメッセージを送った。

 美佳の話はかなり続いて――そしてそれは興味深いものだった。

 俺は夕方美佳を帰らせようとしたが、美佳はためらう。

 だが、高田馬場の美佳のおばは帰りが遅いと心配するはずだ。

 俺が促すと、美佳はスマホを取りだし、何か打ち始めた。打ち終わったあと、その画面を見せられて俺は唖然とした。

『刑事さんに追加で訊きたいことがあると言われました。帰りは少し遅くなりますが、心配はいりません。おばさんのお家まで送ってくれるそうです』

「美佳ちゃん?」

「ごめんなさい。もう少しだけ」

 しかたないので涼子には『中野坂上でまた会いたい。今度はファミレスで。場所は……』と送った。

 東中野から中野坂上までは歩いても10分余り。

 美佳の話が長くなるので東中野駅のアトレを出て、中野坂上のファミレスに移動していた。比較的時間を気にせずに、そして周囲を気にせずにいられる。

 涼子との予定をキャンセルする方が適切だったかもしれない。でも涼子の顔を見たい気持ちはどうしてもある。

 そこでこんな妙なことになったわけだ。

 涼子は定時で仕事を上がるから、そのあとすぐに来ると応じた。西新宿からならこれまたすぐに来られるはずだ。

 メニューを見て美佳は迷っている。

「食べなよ。お腹空いたでしょ。俺、おごるからさ、いろいろ話してくれたお礼」

 気やすく俺が言うと、美佳はほんのり赤くなった。

「じゃあ、明太子スパゲティ……」

「遠慮してるだろ。安いの選んだでしょ。いいって。食べ盛りなんだから、お肉をしっかり。体力つけなきゃ」

 美佳はますます赤くなって、そっとハンバーグを指さした。コーンやフライドポテトのついたオーソドックスなタイプだ。

「それでいい?」

「はい」

「ハンバーグ好き?」

「はい」

 ふつうの中学生の顔になっていた。

 俺も体力をつけたくて、厚切りのステーキ定食を頼んだ。

 さっきまでの緊張した雰囲気が解けて、それと同時に俺にも打ち解けてきてくれているのがわかった。

「君の家では、ファミレスなんていかないんだろうね」

 冗談めかして言うと、美佳はとんでもないというように首を振った。

「いえ、けっこうきます。うち、確かにお金持ちかもしれないけど、変なぜいたくはしないんですよ、父の……方針で」

「そうか」

 会話が少し途切れた。

 ドアの開く音楽が鳴った。

 現れたのは、本橋涼子だった。すかさず出てきたウエィトレスに待ち合わせだと告げたのだろう。すぐに店内を見回しはじめた。俺は手を上げて彼女に合図した。

 涼子はまっすぐに歩いてきて俺に何か話しかけようとしたが、手前の席にいる美佳を見て、言葉をひっこめた。

 何か不思議なものでもみるような涼子の目。

 彼女らしくない。一瞬そんな気がした。

 連れがいることは伝えてあったのだから。

 と、涼子はすぐに笑顔になって、

「この子が神楽くんの連れなのね」といい、美佳に向かって名を名乗り「よろしくね」と声をかけた。

 美佳は彼女らしくもなくぼんやりとした表情になった。

 最初俺は二人の邂逅はまずかったのかと不安になったが、すぐに二人が笑顔で話すようになったのでほっとした。

 美佳のプライバシーなので、彼女の事情は伏せた。昔俺が家庭教師をしていた子だと涼子には告げた。彼女に嘘をつくのは胸が痛んだが、美佳のためにはそうするしかない。涼子も変な気を使うことになると大変だろう。

「このお兄ちゃんの教え方は上手だった?」

 尋ねる涼子の――少女を見る眼はまるで天使のようだ。俺は見惚れていた。たとえで言っているわけでなく、俺の眼には本当に天使に見えた。今日の涼子は薄いピンクのサマースーツだ。仕事帰りだから当然だろう。髪も後ろでまとめている。そういうさまも実に魅力的だ。首筋が白い。

「そう、美佳ちゃんは数学が得意なのね」

「はい」

「私も嫌いじゃなかったわ。あと、物理が好きだった」

 俺は驚いた。

「本橋さんは、リケジョなんですね」

「ふふ、実はそう」

 俺は私立文系だった。彼女は頭がいいな、とまた感服した。

「あの」

 美佳が遠慮がちに言う。

「私、そろそろ」

 さっきまでは帰りたくなさそうだったのだが。でも正直俺はほっとした。涼子と二人になれる、などという疚しい気持ちからではない。美佳のおばが気をもんでいるだろうと内心かなり気にしていたのだった。

「送るよ、いったんここを出るから」

 俺が言うと、涼子が、

「タクシーがいいわ、私も出る」

 という。俺は驚いた。が、すぐに考えを否定した。

「この子の家、今高田馬場なんだけど」

「車ならすぐね、私もつき合うわ」

 彼女は朗らかに笑った。

 中野坂上でタクシーを拾うのはたやすい。

 15分後には高田馬場の駅前ロータリーに着いていた。

「ここで大丈夫です」

 美佳は言うが、そういうわけにもいかない。

「家まで送ってもいいかな、そうでないとこちらも心配だから」

 そういうと美佳は素直に従った。

 早稲田通りを早稲田方面に向かって左手。美佳は無口になっていた。家に帰るのが気が重いのか? いや、あのおばとは親しいようだったし、そんなことはないだろう。涼子と俺が並んで、美佳が一歩先に出て歩いた。すぐに左手に入る路地に折れた。

「ここまでで、本当に大丈夫です」

 美佳は言う。

「あの、あそこの赤い屋根の家がおばの家なんです」

 確かにすぐそこにそれらしい家があった。玄関の前には植え込みがあり、寄せ植えをした花の大きな鉢が置いてある。

 美佳は改めて振りかえって、俺たちに大きくお辞儀をした。

「今日は、無理をいってすみませんでした」

 あまりに大げさなので、俺は後で涼子に何といおうかととまどったくらいだ。実際に彼女と話していたことの深刻さを涼子は知らない。不思議に思うかもしれない。が、しかたない。また嘘をつくことになるのは気が引けるが。

 美佳は確かにその家の鍵(合鍵をもらったのだろう)を開けて中に消えた。


「さて、と」

 涼子が言う。

「ここでお店に入ろうか」

 高田馬場ならそれなりの繁華街だ。ただかなり込み合っているような気がするし、学生が多いのでうるさいだろう。

「もしよかったら」

 俺は思い切って切りだした。

「少し歩きませんか」

 すでに涼子も夕食は済ませている。彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐ笑顔になった。

「いいわよ。川沿いに歩く?」

 すぐそこは神田川で、川沿いには遊歩道が続いている。


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