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第50話

「何でツインなんだよ」

 つい叫んでしまった。フロントで鍵を受けとって九段が予約したというホテルの部屋に行くと、ベッドが二つある。

「あなたとこの茅場が同室です。私は隣室で」

 早田が抑揚もつけない声で言う。

「何とかならないのか。君たち二人でツインルームにすればいい。俺はシングルを頼む」

「私が嫌でしたら、この早田と同室になりますが」

 どちらにしたって嫌だ。どうしても俺を一人にはしたくないらしい。

 早田だろうが茅場だろうが嫌なものは嫌だ。しかしどちらかを選べというなら、どちらでも同じことだ。

 この連中とは今日の高田家捜索作戦で一緒になっただけだ。こいつらもフランス外人部隊出身だろうか。いや、いくらなんでも日本に手頃な外人部隊出身者はそうそう多くはいないだろう。

「聞くつもりもなかったが、君たちは何者なんだ」

 もう直接聞いてみようと思った。

「われわれは九段さまのいわば間者です」

 間者とは恐れ入った。

「スパイだろう」

「間者と呼びならわしているものですから」

 真顔で言われるのだからたまらない。こいつらはどこまでも本気のようだ。

「あんたら、こんな世界にいていいの? まだ二人とも若いし」

 どうでもいいありきたりなことを言ってみる。

「われわれは九段さまに命を捧げる覚悟です」

 お話にならない。こいつら、陸軍中野学校の残党に劣らず時代錯誤なのではないのか。

「何で九段と知り合ったの」

 絶対答えないだろうと思いながら、いろいろと質問してみることにした。

「私は、大学院で研究をしているとき、九段さまから直接のオファーをいただきました」

 早田がまたしても感情を込めずに言う。大学院だって? 学者の卵だったのか。

「茅場さんは」

 茅場に水を向けると、

「私は防衛大学校にて学んでいた時分に、九段さまのオファーをいただきました」

 マジな世界なのかよく分からなくなってきた。

「国家に仕えるよりも、九段さまにお仕えするほうがはるかに価値があると判断したのです」

 珍しく茅場が、いわば余計なことを言った。俺は初めてこの連中にある種の人間味を感じた。

「では、本橋涼子さんを知っているか」

 別に回答を期待していたわけではない。試しに聞いてみただけだ。

 ところが茅場は、笑みを浮かべて言うではないか。

「九段さまの花嫁となられるお方です」

 花嫁という言葉があまりに不似合いで、呆気にとられた。

「何だって」

「九段さまがお心に決められているお方です」

「涼子は了承してないだろう!?」

「九段さまは誠のお心をお持ちなので、涼子さまのお気持ちが決まるまで、待つ、とのことです」

 さすがに早田の当然のような口調を聞いてぶん殴りたくなったが、拳を握りしめてこらえた。

「そういうのを、世間ではストーカ-っていうんじゃないのか」

 皮肉を言ったつもりだが、早田は眉一つ動かさない。

「どこがでございましょう。九段さまは出来る限り涼子さまのお気持ちを尊重し、遠くからずっと見守っていらっしゃるのです」

 俺は少し言葉につまった。

「九段さまのそういった愛の姿勢も、われわれが敬愛してやまないところです」

 疲労感を覚える。ますますこの連中と寝起きをともにしたくはなくなったが、昼間の動きからして、逃げ出すのは無理だろう。

 結局早田と一緒になった。茅場はやや口が軽いことを慮ったらしい早田の判断だった。

 さっさとシャワーを浴びて、ホテルの浴衣でベッドに横になった。窓の外は明るい。防音はしっかりしているらしく、静かだった。

 早田がシャワーを使っている間に寝てしまおう。少なくとも寝たふりはしようと思った。まさか寝込みを襲われることもないだろう。

 目をつぶって、美佳のことに頭を切り替える。彼女の育った家をはからずもめちゃくちゃにしてしまった罪悪感。

 けれどだんだん、美佳に話しかけていた涼子の声や表情が浮かんできた。俺はあのとき、ますます涼子の魅力にとりつかれた。

 そして浮かぶ美佳の泣き顔。

 バスの扉が開いて、早田が隣のベッドに横になる気配がした。

 そっと振り返ってみると、もう予測していたことではあるが、きちんと服を着ている。おそらく靴も履いているのではないか。

 まったくもって、おかしな世界に足を踏み込んでしまったものだ。だが、もう後戻りは出来ない。

 あまり眠れた気もしないが、それでもうとうとしていたらしい。気がつくとカーテンを透かして強い光が差し込んでいる。早くも暑くなりそうな気配。

「お目ざめですか」

 早田のワントーンの声がした。振り向くと、手に何か衣類を抱えている。

「神楽さまの本日のお召し物です。これからしばらく昼夜問わず行動を共にしますので、お着替えをちゃんとご用意しております」

 手渡されたそれは、九段が着ているような仕立てのよいスーツだった。

「おい、俺はこんな堅苦しいのはやだよ。昨日のシャツとチノパンで十分、風呂場で今洗濯するから。ドライヤーでささっと乾かせば十分」

「あの服装はすでに敵の目に留まっています。わざわざ目を引くことはありません」

「なら、ユニクロでもなんでもいいから、もう少し楽な動きやすいのにしてくれないかな」

「ダメです。こちらでないと」

「今日は」に力を入れる。

 今日どう動くつもりか知らないが、少なくともあの落合という老人には午後会うことになるだろう。それを気にしているのだろうか。

「いっぱんのスーツスタイルよりもずっと動きやすく仕立てられています。九段さま御用達ですから。ところで、左でよかったでしょうか。そこまでお聞きする機会がなく。もしや右……」

 俺はあほくさくて首を振った。

「それでいいから!」

 黒地に細い白線が入っている、デザイン的にはありふれたものだった。だが、これを着て歩くのはかなり暑いだろうと思うと、気が滅入った。チャンスを見つけて上着をとって、ネクタイも外し、シャツの腕をまくってしまおうということに決めた。

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