じっくりと読むのは三度目である。一度目は初日の夜に里来と、二度目は昨日の昼にひとりで、そして今回は伊織と、確かな目的をもって、歌の意味を読み解くためここに立っている。
伊織は毛筆の文字に目を走らせ、四行目を読み上げた。
「〝眠り姫がいばらに指を刺されども〟」
「それで……?」
「待って。……〝刺され〟だから、刃物かもしれない。でも〝いばら〟が気になるな」
「なんでいばらが出てくるんだ? 眠り姫が指を刺しちまうのはあれだろ、糸車の、糸が巻いてあるところ」
「紡錘だね。いばらは多分、眠り姫の別名〝いばら姫〟からきてるんだと思う」
「なるほど。さすが伊織だ」
と、ここまで考えてみたところで行き詰った。二人でしばらく歌を眺めるも、その先が一向に見えてこない。
「うーん。そもそも……〝犯人〟は――って言い方でいいよね? 犯人は、完全な見立て殺人を行ってるわけじゃない。〝土竜の穴〟が〝湖〟ってのも、そう言われてようやく似てるかもって思う程度でしょ?」
「確かに……そうだな」
伊織の言う通りだった。歌の記述は曖昧で、そもそもが童話の出来事になぞってつくられていることもあって、現実の犯行に置き換えるのが難しい。
「でもとにかく、四行目のポイントは〝刺され〟だよ。刺す道具と言えば、刃物の他には釘とか注射器とかかなぁ」
「あ、串は? バーベキューで使った。……あとは……スズメバチ」
「それとクラゲだな、ガキども」
「わっ!」
背後からの呼びかけに、オレと伊織は反射的に振り返った。里来がオレたちのすぐ後ろに、腕組みをして立っている。謎解きに必死で気づかなかった。
「なにしてんだ、お前ら」
「いえ、なんでも」
オレは里来から歌を隠すように立ちはだかり、新米アイドルのように引き攣った笑みを顔に貼りつけた。
「何隠してる」
「別になんにも隠していませんよ。やめてください、そんな怖い顔」
「……もともとだが」
「えっ、いや、すみま――」
「謝るなら隠してることを吐け」
「吐くことなんかないですよぉ」
しかし里来は結構ねばる。うんざりするほどしつこい。オレは助けを求めるつもりで隣に視線を送った。こういう場面で気の利いた一言を言えるのが伊織である。オレはいつも、土壇場で起死回生の一手を投げる彼の頭脳に脱帽してしまう。
伊織が口を開く。
「実は僕、習字を習ってて――」
「わかった。その歌だな。その歌が三人の死と関係している、そうだな?」
「――この毛筆の字のとめはねが素晴らしいなと……あー……はい、そうです。おっしゃる通り」
どうやら今回は、サヨナラ押し出しデッドボールのようだった。
◆
オレたちはこれまでの推理をすべて里来に話した。彼が犯人である可能性も十分に考えられたが、もしそうなら、オレたちにことが知れたことで、続く犯行を断念してくれればいいと思った。
「ほぅ……なるほどな。ガキどもにしちゃあ、まずまずだ」
「里来さんはどう思いますか? 今日もまた、何か起きると?」
伊織が問う。里来は顎に手を当て、思案している様子だった。
「正直なところ、わからん。これまでの三人の死は、すべて事故ともとれる死に方だ。幸一とチトセの死ぬ順番を入れ替えれば歌と合致した見立て殺人になる、と言ったな? だがチトセが幸一より後に死んだという証拠は無いんだろう?」
「そうですね」
「だったらすべてが推測でしかないわけだ」
「だとしても、オレは今日一日を、何も起きないように願うだけで過ごすのは嫌です」
訴えるように言うと、里来の静かな熱い目がオレを捉えた。
「当たり前だ。こりゃ全員に鎌かけるしかねぇな。四人目の現行犯逮捕じゃあ遅ぇ。未遂で済ませ――しっ」
彼は突然、人差し指を唇に当てた。意識はエントランスの扉に向いているようだ。
ギィ……。扉が外側に開き、そこから顔を覗かせたのは、
「これは……皆様お揃いで。こんなところで何をなさってるんですか」
「外の様子を見に行こうと思ってな、三人で偵察場所を分担してたんだ」
「そうですか。ですが今、私があらかた見て参りましたので」
「そうみてぇだな。外はどうだ、イズミ」
オレと伊織は口を閉ざして成り行きを見守った。里来はなかなか口が立つ。嘘八百を並べるのがこれほどうまい人だとは思わなかった。日常会話は壊滅的だというのに。
だがオレがいつも思うに、やっぱりこの人の言葉には中身が感じられないのだ。何を喋っていても、心ここにあらず。彼の姿を例えるならば、操者の用意した台本通りの台詞を、ぱくぱく開閉する口から吐かされ続けるマリオネット。操者は〝本当の彼〟で、台本は〝分厚い革張りの本を破いた数ページ〟。
「――というような具合ですので、出歩かれる際にはお気を付けください。海にもまだ入られませんよう」
「わかった。ご苦労だな」
「お勤めですので。……それでは失礼いたします」
足音も静かに階段を下りてゆくイズミをオレたちは見送った。
「あの、これからどうしましょうね」
里来はオレたちに向き直り、腕時計を確認した。
「十二時半の昼飯まであと一時間半。昼はさすがに文哉も来るだろう、朝飯食ってねぇからな。そこで全員集まったら、さっきの話をする」
「さっきのを、全部ですか」
いきなりそれはまずい、と言いたげな伊織に里来はすかさず、
「そのへんのさじ加減を今から一時間半で考える。ついて来い」
そう言って、すたすたと歩き始める。オレと伊織は、少年野球にメジャーリーグの監督がついたような心強さで里来の背を追いかけた。
「一時間半ってすぐだよね。緊張してきた……」
と伊織が自分の胸を軽くたたく。
「絶対失敗できない。こっちだって命懸けだ」
誰だかわからぬ犯人を相手に鎌をかけるのだから、そうなるだろう。焦った犯人にオレたちは真っ先に殺されるかもしれない。
「ところで、どこへ行くんですか」
階段の数歩前方をゆく里来のつむじに問うた。彼は、
「俺の部屋だ」
そのあと一瞬の間をあけて振り向き、
「ただし、いったん自室でシャワーを浴び、靴を上履きに履き替えてから出直してこい」
「……え……はい」
オレは飛び出しそうになった言葉を理性でいくつか呑み込んだ。
彼は何故ここでシャワーだ上履きだと言うのだ? ふざけてるのか? こちらは時間が無い、命懸けだと話しているのに。
目を丸くした伊織と顔を見合わせる。彼は「上履きって、スリッパでいいのかな」と里来に聞こえないよう唇だけで聞いてくる。
大体、上履きとは何なのだ。この館のどこからが〝上〟だというのか。
オレは深いため息を殺し、
「里来さんって、ホンット変わってますよね」