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 服を全部新しいのに着替え、半渇きの髪を撫でつけた。部屋に備え付けてあった白いタオル地のスリッパを引っかけ廊下にでる。里来が自室の扉の前で腕組みをして怠そうに立っているのが見え、オレは馴染まないスリッパを引きずるようにして巨大階段の北側へ回った。

「里来さん、伊織は?」

「まだだ。あいつは支度に時間が掛かりそうなツラしてんな」

「それって、女顔って意味ですか? 駄目ですよ、言ったら。気にしてるんですから」

 オレは里来に倣い、彼の部屋の外壁に背を預けて立った。彼の隣は東郷の部屋である。そちらがなんとなく意識され、自然と口から零れ出る。

「もう、何も起きないといいですね」

「そりゃそうだな」

「人が死ぬのを見るのは嫌です」

「同感だ」

 彼は自分より背が高いオレを斜めに見上げた。もの言いたげな視線。

「なんですか」

「別に」

 彼はまた、巨大階段の手摺りあたりに視線を戻す。話題が見つからなくてぼうっとしていると、まもなく伊織がやってきた。

 里来の部屋の壁には雪が降っていた。薄い水色を背景に、大小様々な真っ白い雪の結晶が散りばめられている。宙を舞う結晶は蒼白くふわりと光るように描かれ、けれど床にほど近い部分に幾重にも折り重なったそれらは用済みの屍のようにくすんでいる。見上げた天井は深い紺青一色で、空にのぼるというよりは、どこか落ちていくような印象だった。調度品は、オレや伊織の部屋に比べてシンプルだ。そのせいもあって、どこか寂しい感じのする部屋だった。

「何してる。そこへ座れ」

 オレと伊織はベッドに腰掛け、里来は俺たちの正面に椅子を引いて座った。

「冬の部屋ですね」

 と、オレは感想を口にした。

「この島と不釣り合いで、なんだか不思議な感じです」

「そういう変なモンのあれこれは全部文哉の趣味だと思っとけ。ちなみにこの部屋は、マッチ売りの少女がモチーフらしい」

「ああ!」

 途端にすっきりし、手をぽんと叩いた。こんなところにも〝歌〟が影響してるのか。

「僕の部屋は眠り姫です。無人の部屋は白雪姫だよね? 魔女の鏡があったから」

 なるほどそうかと思い返してみる。そういえば、入り口の扉横に赤い林檎の絵柄が転がっていたような。

「まぁ、それはさておきだ。お前らどう思う。俺はさっき『すべてを全員に話す』と言ったが、反対か?」

「うーん……」

 と思案したのちに伊織が答える。

「僕は、容疑者を絞って、明らかに白な人にだけ言うべきだと思います。本当にこの一連の死が事故死でないのなら、犯人はかなり巧妙に作戦を練って事故死に見せかけているということです。その理由は、オレたちに警戒されたくないからでしょう。犯人は複数名を殺す気でいるので途中で殺人とバレて警戒されるとやりにくくなります。だとしたら、バレた時点で犯人は〝見立て殺人〟を諦め、やけになって最悪の手段に出るかもしれません。例えば、地下に埋まった館ごと爆破して全員一気に殺すとか」

 物騒な発言だ。爆破の瞬間を想像して鳥肌が立つ。

「でもなんで犯人は見立て殺人なんて面倒なことするんだ? オレが犯人だったら――いや、もしもの話だけど、チトセの持ってた散弾銃を手に入れた時点でそれを使って全員射殺することを選ぶけどな」

「何言ってるんだよ、無人。それじゃあ事故死に見えないだろ? 犯人はたぶん、殺したいだけじゃなくて、自分も無傷でいたいんだ。つまり、目指してるのは完全犯罪だよ」

 そこでオレは妙に納得して黙った。入れ替わりに里来が、半開きに固まっていた口を動かす。

「だが、犯人の目的が完全犯罪となると、見立て殺人説は薄くなるな。俺が犯人なら、歌でヒントを与えるような馬鹿な真似はしない。こうして俺たちみたいなやつらが感づくだろ?」

「きっと、そうやって楽しみたいんですよ。真相には辿りつけない程度のヒントを与えて、僕たちを弄ぶんです。……猟奇的。そう、犯人は狂ってるんだ」

 忌々しそうに伊織は顔をしかめた。

「要するにお前が言うのは、狂った殺人鬼に目星をつけ、そいつ以外の連中と結託するってことか」

「そうです」

「ハイリスクだな。見込み違いの恐れがある。お前らが俺を信用してるかどうかはわからんが、俺を疑わない理由も無いことを忘れるなよ。俺は歌のことを何年も前から知っていたから、見立て殺人を計画する時間は十分にあった。東郷の煙草の銘柄も知っていたし、チトセが銃を島に持ってくるだろうことも予想できた」

 里来が真顔でそう言ったので、伊織は驚いたようだった。だがすぐに口元を緩める。

「じゃあ、僕が犯人の可能性もありますね。僕は間違って幸一を撃ったチトセに復讐すべく彼女をこっそり呼び出して冷凍室に閉じ込めた。そのあとで罪を逃れるため、こうして見立て殺人だと主張して、幸一とチトセの死の順番を入れ替える方向に二人を誘導している。そして東郷さんの――」

「やめろよ、伊織」

 オレは彼の言葉を遮った。

「そんなこと言い出したら誰も信用できなくなる。里来さんもやめてください。オレたち三人は白でしょう? こうして情報共有もしてるし」

「甘いよ、無人。犯人っていうのは、およそそれらしくないものさ。少なくとも、人を殺して平気な顔していられる演技力はあるんだ」

 伊織の表情は真剣だ。三人の死と歌の関係にいち早く気づき取り乱していた彼とは別人のように冷静でいる。彼はおそらく、覚悟を決めたのだ。三人の死を殺人と認め、その犯人と戦う……。

 だが、オレは彼のようにすぐに割り切れる性格ではない。

「オレは里来さんの言うように、全員に話すのがいいと思う。でも、鎌をかけたいわけじゃない。事故でなく殺人であることがオレたちにバレたと知れば、犯人はそれ以降の犯行をやめるかもしれないから」

 里来が短く笑った。オレはむっとして彼の目を覗き、

「何がおかしいんです」

「いや、別にお前を笑ったんじゃねぇ。気づいちまったんだ。お前の発言で」

「何をです」

「お前ら、歌に出てくる人物が何人かわかるか」

 オレはすぐに記憶を辿った。次の犠牲者に当たる眠り姫が四人目、五人目がラプンツェルで、六人目が人魚姫。あとは……誰だっけ?

「十人ですね」

 先に伊織が答えた。どうやらオレにはメモ帳が必要なようだ。イズミに言えばくれるだろうか。

 里来は頷いた。

「そうだ。そして俺たち全員の人数もちょうど十人。〝最後に楽園で独りになる魔女〟が犯人だとしたら、九人の姫や少女は被害者だ。つまり――」

 オレは背に酷い冷汗が流れるのを感じた。

「――犯人は俺たちを皆殺しにするつもりだ」

 そのとき、廊下の方で誰かが叫ぶのが聞こえた。声は何度も繰り返される。

 すぐに席を立ったのは里来だった。オレと伊織は彼を追って廊下へ出る。

 ちょうど巨大階段の終わりごろをヒュウガが上がってくるところだった。変に焦った様子の彼女はこちらには気づかず、しきりに叫びながらさらに上階へ向けて一目散に走り去る。

 里来の顔を横から盗み見た。彼は瞬きもせずに目を開いたまま、半開きの唇を震わせる。

「文哉……」

『誰か……誰か来てください! 大変です! 旦那様が! イズミ、どこにいる!? イズミ!』

 うすら寒い予感は的中した。オレの頭には、静かに目を閉じる眠り姫の姿が思い浮かんでいた。

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