ひとりの姫が楽園の扉を開ける。全身に輝く陽光を浴びながら、続く小道を行き、すぐに振り返る。
『なに突っ立ってる、ナイト』
入り口で、魔女は目を丸くして呟く。
『……なんだ……これ』
眼前の広がるのは、およそ魔女に似つかわしくない美しい庭園。枝を広げた大樹、色とりどりの花、薔薇のトンネル、動物の置物。
小道の上に立つ姫は酒で緩んだ口元をぐっとへの字につむり、
『早く来い。来ないならずっとそこで立ってろ』
踵を返し、ひとりで小道をどんどん進む。
後ろから、魔女は慌てて駆けてゆく。
蔓薔薇のトンネルをくぐる。青々とした蔓の合間から、春の陽射しがまだら模様に降ってくる。光の装飾が小道をずっと先まで彩る。
姫が肩越しに振り返って言う。
『綺麗だろう? ここは楽園なんだ』
魔女は答える。
『すごいですね。こんな場所が地下にあるなんて……』
やがて二人はトンネルを抜け、庭園の中央の東屋に至る。ドーム型の屋根を支える五本の柱。姫はその柱の一つに身を寄せる。大理石造りのそれは触れるとひんやり冷たく、酔っ払った姫の肌をさましてゆく。
『この場所で本を読むのが一番好きだ』
姫は柱と柱の間の大理石版に、外側を向いて腰掛ける。視線の先には、庭一番の大樹。
魔女は柱を一本隔てた姫の隣に内側を向いて座る。視線の先には、向かいの柱越しに石膏造りの噴水が見える。
『こんな場所で静かに過ごせたら、きっと現実の嫌なことぜんぶ、忘れられますね』
黒曜石をはめ込んだような魔女の瞳、その奥には憂いがあった。それは決して、他人の力では解消できない憂い。
『ああ、忘れるだけじゃない。現実はこの場所になる。そしてかつての現実が虚構に変わる』
すっと細められた薄墨色の瞳、姫もまた、憂えていた。それは決して、他人との繋がりなくしては振り払えない憂い。
けれど姫は、他人が怖くて、嫌いだった。弱くて脆い本物の自分を守るため、姫は独り、決して傷つかぬ鋼の人形をつくりあげ、そして自身は――
『お前だったら、ここでどんな本を読む?』
――虚構の世界に閉じ籠ってしまった。
魔女は立ち上がり、東屋の中心でぐるりと庭園を見回した。果てしなく美しい春の世界を目に収め、最後に、そっと、姫の背中を見つめる。
『オレだったら、本よりも……あなたとゆっくり話をしたいです』
黒髪が風も無くふわりと揺れる。姫が、憂いを帯びた目で振り返る。視線が合う。上気した頬の間、うっすら染まった唇が動く。
『くだらん答えだ。出直せ、ガキ』
けれど瞳は言っていた。薄く張った膜の内側で、モノクロの色彩のその先で、
――どうして?