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「そりゃ守るとかなんとかお前は言ったがな」

「はい、言いましたよね」

「一緒に寝るってのは違うだろ」

「寝ませんよ? オレは起きて、里来さんを見守ってますから」

「余計なお世話だ」

 途端、閉められそうになる扉。オレは瞬間的に隙間に足先を滑り込ませる。がっ、と扉はとまり、「痛い痛い」と大げさに喚くと里来は渋々オレを中へ招き入れた。

 あと二日、耐えればいい。明日は土曜日。日曜日になれば、本土から学生たちを乗せた船が来る。そうすればオレたちはこの島を出られる。殺戮の繰り返された、魔女の島を。

 マッチ売りの少女の世界を模した冷たい色の部屋の、しかしふわふわと温かそうなベッドのシーツを捲り、里来が横たわる。目の上までシーツを被り、

「こっちを見るな。見られてると眠れない」

「すみません」

 オレは室内に視線を彷徨わせ、ちょうど椅子の引かれていた書き物机に腰掛ける。ベッドからはやや遠い位置。里来がシーツ越しにこちらを窺っているのがわかる。目が合うとまた見るなと言われてしまうので、真っ直ぐに机へ向き合う。

 大小様々な本がタワーとなって三段。上にいくほど小さい本が積まれている。角がきっちりと合わせられて、几帳面なことこの上ない。そしてその脇に無造作に置かれた小さめのノート。文庫本と同じくらいのサイズ。オレが大学で使っているB5ノートよりちょっと高級そうな装丁。傍にはシャープペンシルが転がっている。

 何か書いたのだろうか。気になって、オレはノートに手を伸ばす。さらりとした表紙の手触り。一ページ目を――

「見るな!」

 後ろから叫ばれて、条件反射で肩が跳ね上がる。悪戯を見咎められた子どもの気分で、少しずつそろそろと振り返る。

 ベッドから飛び降りた里来が裸足のまま走り寄ってくる。かちこちに固まった手の中のノートを引ったくられ、椅子の脚を蹴られる。

「てめぇ、ろくなことしねぇな。こっち来い」

 オレは呼ばれるがままついてゆく。里来はノートを抱えたまま再びベッドに乗り上げ、こちらに背を向ける形で端に寄った。ベッドが彼の他もう一人分空いたような気がする。けれど、気がするだけなのでオレは黙ってベッドサイドに佇む。

 里来が肩越しにちらりとオレを見遣った。

「何してる」

「いえ、何も」

「何も、じゃねぇ。お前も横になれ。むこう向いて、だ」

 彼が強いるのでオレはおずおずと躊躇いがちにシーツを捲る。するりと躰を忍び込ませ、彼に背を向け、落ちるぎりぎりまで端に寄った。ぽっかりとベッドの真ん中が空く。真ん中に、さらにもう一人入れそうだった。

「なんですか、これ。添い寝、って感じじゃないですよね」

「当たり前だ。添い寝なんざ女にしてもらえ、クソガキ」

「あ、いや、オレがする方って意味で言ったんですけど……まあいいや」

 背中合わせ。なんとなく思い出す。幼い頃。

 馴染みの三人で、よくお泊り会をした。寝るときはオレが真ん中で、片方に伊織、もう片方には〝彼女〟がいて。二人ともオレの方を向いて、三人で内緒話をしたり、天窓から見える星を数えたり。そして、いつの間にか幸せな夢の中で笑っている。

 時が経つと事情は変わる。けれど、相変わらずオレたちはお泊り会をした。真ん中には伊織、オレはその隣に外側を向いて、彼女もまた外側を向いて、三人別々のものを見ながら眠りにつく。夢の中に落ちる直前、伊織が天窓から星を眺めて言うのだ。

『ねぇ、大人になったら、何になりたい?』

 オレはいつも『大人になってみないとわからない』と適当に逃げ、彼女はいつも即答する。

『好きな人のお嫁さん』

「ねぇ里来さん。オレ、ガキの頃、こんな風に人と背中合わせで寝てたんです」

「そうか」

「……それだけですか?」

 ほんのひとさじ非難を混ぜて問う。里来は少しの沈黙の後に、

「ガキはうつぶせ寝の方が頭の形が良くなるらしい」

 声が少し眠そうである。そして言っていることは見当違いだ。新生児の話をしているわけじゃない。けれどオレは構わず続ける。

「その相手は幼馴染の女の子で、そいつがオレのこと好きで……」

「なんだ自慢か」

「いえっ、そういう意味じゃ。ちなみに真ん中には伊織がいましたから。誤解しないでください」

 オレは妙に焦って否定する。里来が早く済ませろと言わんばかりに「で?」と先を促した。

「距離感の問題なんです。もっと幼い頃には、オレは彼女と顔を突き合わせて寝てた。なのにいつからか、背中を向けて寝るようになった。間に伊織を挟まなきゃ、オレたちは一緒に寝られなくなった……」

「男女間なんざ、そういうもんだろうよ。いつまでもガキじゃねぇんだからな」

 断言するような口調で里来が言う。オレは食い気味に、

「だけどガキを過ぎてその先も過ぎて、大人になったら、恋人同士は一緒に寝ますよね?」

「お前の恋人の話なのか?」

「……違います。オレは……あいつを異性として意識して恥ずかしがって背を向けてたわけじゃないんです。オレは絶対にあいつと……恋人にだけはなりたくなかったから」

 背後でもぞもぞと布擦れの音がした。里来が身じろいだのがわかる。

「なぁナイト」

 声が近い。彼がこちらを向いて喋っている。

「お前はもしかして……ソッチなのか?」

「なんてこと聞くんです!」

 カッと顔が熱くなって思わず振り返ると、里来が予想より近くにいて驚く。彼は疑り深い目でじろじろとオレの顔を見る。

「ムキになるところが怪しいな。お前の言う幼馴染の女がまだお前のこと好きなら、早めにカミングアウトしてやった方が――」

「そんなアドバイスいりませんよ!」

 きっぱり拒絶してオレはまた里来に背を向けた。彼が後ろでくすくすと笑う。からかわれたのだろうか。

 やがて、真面目な声音で諭すように、里来が話し始める。

「何か、事情があるんだろう? 文哉の受け売りだが、たとえどんなに親しい間柄でも言わなきゃ伝わらないことがある」

「じゃあ、聞いてくれますか?」

「まぁ待て。言うべき相手は俺じゃない。俺に話したところで根本的には解決しない。そうだな……俺がここでお前に〝文哉はゲイで、俺のことを好きだった。俺はあいつの想いに気づいていながら……〟と話したところでどうにもならない、そうだろ?」

「あ、その……」

 返答に困りオレが口ごもると、里来はまた小さく笑った。

「もちろん今のは例え話だ。だがわかっただろう。言うべき言葉は言うべき相手に伝えなければ意味が無い。お前のそれは、殺人犯の潜むこの島で、会ったばかりの男に遺言のように語る話じゃないはずだ」

 つまりは、幼馴染の女に直接話せ、と言いたいのだろうか。もっと考えて相手を選べと? オレは少しだけ反論したくて彼の方を振り向く。

「あの、でもオレ……会ったばかりですけど、里来さんのことすごく好きなんです。変な意味じゃなくて。だから、遺言じゃなくて、ちょっとだけ、甘えたかったというか……」

 里来はぽかんと口を開けた。色素の薄い彼の瞳が、頻繁な瞬きで見え隠れする。

「懐かれてるとは思わなかった」

 ぼそりと呟かれる。

「あ、じゃあこれが言うべき言葉ってやつですね? オレは伝わってるかと思ってましたけど」

 なんだか嬉しくなって、笑ってしまう。シーツの中で脚を蹴られた。

「いてっ」

「我慢しろ」

 里来がむこうを向いてしまう。顔が見えなくなって、彼が何を考えているかわからなくなる。いや……顔が見えていても、出逢って間もないオレには彼のことなどわからないのだ。

 もしかすると、はぐらかされたのかもしれない。頭の形とかゲイとかは本心ではなく、彼は無遠慮に伸ばされたガキの手を、言葉巧みに叩き落した、そうともとれる。

 なるほど、オレはガキだ。そして、彼は本当は、他人と同じベッドでなんか寝たくはない人なのだ。けれど今オレがここにこうしているのは、オレがガキで、彼がガキに優しくする分別のある大人だからだ。そう考えると……少し空しい。

 オレはシーツの中で彼に背を向けた。真ん中にぽっかり空いた空間は、実際の距離よりも遥か遠くオレたちを隔てている。

 どこまでが仮面でどこからが本物か、今は亡き彼の友人たちが器用に見分けたように、オレにもいつか本当の彼が見えるようになるだろうか。そうしたら、そのときには、さっきオレが話そうとした話を、彼は聞いてくれるだろうか。

「里来さん、さっきの話。いつかまた、相談してもいいですか」

「明後日まで生きてたら、考えといてやる」

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