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【第二章】将軍家光の迷い(二)

 日光東照宮は、およそ四万坪(東京ドーム約二個半)の敷地をほこる巨大な徳川家康の霊廟である。特に家康を尊敬してやまない孫の家光は、東照宮の造営のため五十七万両もの費用をかけたという。これは現在の貨幣価値に換算すると、六百八十億円にもなるという。

 標高六百三十四メートルの山上に位置し、東照宮陽明門の「東証大権現」の文字は、後水尾天皇の書といわれる。また上神庫の象は狩野探幽が描いたともいう。


 さて家光は東照宮に参拝した夜、くしくも家康の夢を見た。夢の中の家康は悲し気な表情を浮かべていた。

「我がひ孫はまだか?」

 と小さな声でいった。さらに次の言葉は、家光にとり深く懸念するところだった。

「最近のそなたのまつりごとは手ぬるい」

 というものだった。

 東照宮参詣からの帰路、家光は輿の中で家康の言葉について深く考え続けていた。生来体の弱い家光にとり、輿の中にただ座っていることは、決して楽なものではない。

「そろそろ休憩にする」

 といって行列を止めさせ、外の空気を吸った。

「上様、今日は朝方より雪が降っておりまする。どうかお体をいとわれますよう」

 と小姓の一人が家光に忠告した。

「ほう雪か……」

 その時家光の視界が、雪の中にあってもしっかり根をはり、花を咲かせている一輪の水仙をとらえた。ふと家光は、いつか寝所で蘭が、生まれ故郷でのことを語っていた時のことを思いだしていた。その時の蘭の寝巻にも、水仙が描かれていた。

「そういえば、あの者も下野の生まれであったな」

 と将軍は独り言をいった。


 将軍が江戸に戻ってほどなく、蘭に夜のお召しがあった。

 「実は蘭よ、今日はそなたにたずねたいことがある」

 と将軍は、開口一番にいった。

「わしはこたび東照宮に詣でて、はっきりとおじい様の言葉を聞いた」

 一瞬将軍があらたまって真顔になったので、蘭は何事であろうかといぶかしんだ。

「将軍家の世継ぎはまだかと、そして徳川の世を永続させるため、そなたは手緩いと申したのだ。そなたに問いたい。徳川の世を百年後、二百年後の世まで永続させるため、今わしに何ができる?」

「かようなこと。私はおなごの身で、元はただの古着屋にござります。私にまつりごとのことなどわかりませぬ」

 と蘭は、困惑した様子でいう。

「そうじゃ、そなたは元一介の庶民にすぎぬ。それゆえに余には見えぬものも、そなたには見えるはずじゃ」

「何も見えませぬ。私に見えるものといったら、火鉢、枕屏風、行灯、天窓等だけがある、私たちの育った狭い長屋のみでございます。壁と壁の仕切りが薄くて、隣りの住民が音をたてれば、全て私たちにつつぬけでございました。男と女がむつみあう声までもが、ときおり隣から聞こえてまいりました」

 と蘭は苦笑しながらいった。

「そなたはどうじゃ? かような暮らしで満足であったか?」

「満足もなにも、私が私であるかぎりは、かような暮らしが永遠に続くものと思っておりました」

 すると将軍は沈黙し、しばし物思いにふけった。

 人は誰しもが戦っているもの……。いつかの夢での家康の言葉が、今、家光の胸に強く去来した。

「恐らく、この者も貧しさや、いわれなき差別や偏見とずいぶんと戦ってきたのであろう」

 家光は一つため息をついた。 

「今はどうじゃ? ここには余とそなたしかおらん。余と汝がいかほどむつみあおうと、それを聞いておる者はどこにもおらん。今のそなたは、以前のそなたとはまるで違う。後悔してはおらんか?」

「いいえ、人はかけがいのないものを捨て、そしてまた得られるものがあるはず。古着屋だった私には、古着屋だった頃のまことが、そして今こうして、上様と寝所を共にしている私にもまた、新たなまことがございます」

 今度は蘭が、かすかに真顔になった。しかし一方で、どこか悲し気でもあった。何かを捨てきれていないのかもしれない。

「蘭よ我らは出自生い立ちはまるで違えど、共に選ばれし者なのじゃ。徳川の余の永続は、今ここにおる我らにかかっておるのだ」

「上様……私を抱いてくださいますか?」

 蘭はやさしい声音でいった。こうして両者にとり長い夜が、再び訪れるのだった。


 やがて三月になり、大奥では五十三次といわれる恒例行事がおこなわれた。これは大奥の御庭を東海道五十三次の宿場に見立てて模擬店が立ち並ぶものである。諸大名の姫君などが訪れることもあったという。

 蘭はこの時ばかりは古着屋時代にもどって、声をはりあげたが、その最中突如として体調を崩し吐き気をもよおした。そして御匙(医師)の診察で、驚くべきことが明らかになったのである。


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