万と将軍は、もう長い間関係をもっていなかった。万の体調が元どおりになったかと思うと、今度は生来病弱な将軍のほうが病で寝こんでしまう。
ようやく年の暮れになって、二人はおよそ二月ぶりに寝床を共にする。久方ぶりなだけに、その夜は今までになく激しいものとなった。すべてが終わるころには将軍は荒い息づかいに、眼光は虚空をさまよい、精神もまたあらぬ方向をさまよっているかのごとき有様となった。そして万は将軍の上におおいかぶさる。
「ご案じめされるな。今宵は蛇は現れませぬ。ゆっくりとお休みあれ」
と将軍の耳元で、少し底意地の悪い目をしていった。
「殿方が側室をもたれるのは仕方ござりませぬ。なれど私をないがしろにしたら、その時はゆるしませぬぞ」
と万は、将軍の太もものあたりを軽くつねりながらいった。
しかし将軍は、本心では側室との関係で苦悩していた。とある大人の事情により、万が将軍の子をなすことはありえなかった。万はまだ気付いていなかったが、もちろん将軍はそれを承知していた。
さりとて万と再び関係をもってしまうと、再び蘭を夜の相手として指名する気にはならなかった。こうして蘭は遠ざけられてしまうのであった。
やがて年が明け、寛永十八年(一六四一)の正月がやってきた。
大奥の元旦の行事で「おさざれ石の儀」なるものがある。御台所が、将軍に拝謁する前におこなった清めの儀式である。
これは本来なら、御台所と中臈代表の二人でおこなうものである。しかし今年は将軍の名ばかりの御台所である鷹司孝子が、病気を理由に辞退。万が御台所の代理となり、中臈代表は蘭だった。
御座所廊下に毛氈を敷き、中央に石が三個おかれる。まず中臈の代表である蘭が、
「君が代は千代に八千代にさざれ石の」
と唱える。その後は万が、
「巌となりて苔のむすまで」
と結ぶのである。その後は蘭が、万の手に水をそそいで清める。
君が代は古今和歌集にルーツを持つという。そして言うまでもないかもしれないが、明治以後日本国の国歌となるわけである。
この後、二人は将軍に拝謁する。そして他のお目見え以上の女中たちにも、将軍から餅や料理が配られた。
一方、お目見え以下の女中たちにも、正月は楽しみがいくつかあった。その中に、お目見え以下の女中たちが二つ組をつくり、互いに雪玉を投げ合うというものがあった。早い話しが雪合戦である。
粗末な木綿の衣装をした御末にまじって、頭から鉢巻をした玉の姿もあった。もとより気性の強い彼女である。普段は表面上だけでも女らしくふるまってはいるが、この時ばかりはおおいに闘争心をむきだしにした。
だが玉には気がかりなことがあった。それは周囲を手をつないで取り囲み円をつくっている、黒装束をした男たちだった。
江戸城大奥は女の園とはいえ、まったく男が存在しなかったわけではない。大奥はだいたい御殿向、御広敷向、長局の三つにわかれる。御広敷はいわば大奥管理事務所で、男性の役人は平時ここで勤務している。
玉が密かに聞くところによると黒装束の男たちは、戦国の頃に伊賀者といわれた集団だという。俗にいう「忍び」である。忍びはもちろん敵の領地への潜入、敵のかく乱、場合によっては暗殺業務を請け負う、いわば特殊部隊である。
彼らは、戦国の世だからこそ重要視された。しかし天下泰平の世ともなると、半ば用済みである。そのためこのような意味のない仕事まで、引き受けざるをえなかったわけである。最も、だからといって本来の任務を、まったく忘れたわけではなかった……。
正月の将軍は忙しい。諸大名の応接、朝廷の勅使をむかえての様々な儀礼等スケジュール山積みである。それも一段落すると、尊敬する家康の眠る日光東照宮へ、参詣におもむくこととなった。ちょうど一月も終わろうとする頃のことだった。