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8月 11

 つい本音を吐く三喜雄を見て、斉藤は笑った。


「そっか、ガキンチョに教えてるんだっけ」

「ガキンチョたちは可愛いです」

「片山先生、小学校高学年女子にモテてそうだね」


 言われて、はたと三喜雄は考えるが、今年のバレンタインデーでは違う傾向も発生した。


「中学生男子……にもモテてるかもです」


 斉藤は、あはは、と声を上げて笑った。


「そうだよね、片山くん男にもモテるんだった」


 はい、そうです。思えば学生時代、数人の同級生や上級生が三喜雄に対し友情以上の感情を持っていたことが、女子学生も公認する音楽専修科のネタのようになっていた時期があった。

 三喜雄自身は、男たちの好意を温く受け止めていた(この間すすきので集まったメンバーの中にも、三喜雄に懐かしさ以上の感情を乗せた目線を送ってきた者がいた)。三喜雄が他大学の女性と交際していたからか、結局誰も気持ちを告げには来なかったのだが、そんな平和で緩い、しかし微妙なバランスの上で保たれた萌えのようなものを、斉藤たちは楽しんでいたのだろうかとふと思う。

 今日の演奏に無関係の思索をするうちに、講堂に着いた。中はひんやりと冷房が入り、パイプ椅子がぎっしりと並んでいる。大学は、これが埋まるほどの来客を見込んでいるようだ。

 講堂の一番後ろの入り口から、斉藤は舞台のほうを見遣った。


「これ、後ろの席からほとんど見えないんじゃない?」

「ほんとですね」


 かつて三喜雄たちが学んだ岩見沢のキャンパスなら、立派なホールがある。しかし今回は、敢えてオープンキャンパスを札幌のメインキャンパスですることにしたらしい。


「通らないことは無いと思うんですけど、マイク入れるんですかね? 姿が見えないなら、声はちゃんと聴かせたいです」


 ノーマイクがデフォルトの三喜雄が言うと、斉藤はマイク使えば? と軽く応じる。


「私は広い箱だったらマイク使うよ? 今日もそのつもりだし、そういうことをリハで確認するんじゃん!」


 そうか、と三喜雄は納得した。初めてスタジオで録音した時も変な緊張感があったが、今日ここでマイクを使うなら、それも新しい挑戦だ。

 舞台の上では、照明が赤や紫に変化して、その中で1人の女性が立ち位置を確認しながら腕を動かしていた。それを見つめたまま、斉藤が言った。


「片山くんの声なら、少し離してスタンドマイクを置くくらいでいけそう……ピアノの屋根は全開でもいいかもね」

「え、屋根全開ですか?」

「大編成オケの前で歌ったくせに、ピアノ1台に怯みなさんな」


 斉藤の言葉に、三喜雄は自分の経験がある意味偏っていることに気づかされる。いろいろな大きさと響きを持つ会場で歌ってきたが、全て生声を如何に響かせるかを考えていた。会場でマイクを通したのは、大学院生の頃にライブを手伝った数回だけだ。

 ダンサーのリハーサルを客席に座って観た三喜雄は、文字通り全身を使って様々な感情を表現する世界も、面白いと思った。彼女が今日のメイン客層向けに、大学に入ったばかりの女の子が、喜んだり困惑したりしながら少しずつ大人びていく様子を、踊りで表すのがよくわかる。

 斉藤も楽しそうだった。


「彼女が恋したのは誰なのかしらねぇ」

「先輩か、意表を突くところで先生とか」


 三喜雄がこそっと答えると、斉藤は意外そうな顔をした。


「片山くん、現役時代にそんな人いたの?」


 何で俺の話なんだよ。三喜雄はぷっと吹き出す。


「俺じゃないですって、あくまでも観て受けた印象」


 斉藤はふうん、と感心したように言った。


「想像力豊かなんだよね、片山くんは……それがちゃんと音楽に反映されてるよなって、よく一緒に演る連中と話しててさ、今度一回私らとアイリッシュか何かしない?」


 いきなり話が展開し、三喜雄は、は? と言って斉藤の顔を見た。真面目に話しているらしかった。


「事務所通さないといけないのね、頼むとしたらたぶん来年になるけど」


 ありがとうございます、と三喜雄は応じた。少し驚いたが、有り難い話だった。


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