日曜日は、晴れて暑い日になった。三喜雄は母校のキャンパスに、ガーメントバッグを持って向かった。汗をかいてしまいそうなので、移動はラフな恰好にして、本番前に着替えることにした。人前で演奏する際は、清潔感も大切である。
母校のキャンパスは、帰国して教職課程の勉強をやり直した時以来なので、涙が出るほど懐かしいとまでは感じないが、これからここで演奏すると思うと、一抹の感慨はあった。
来るように指示されていた事務棟に入ると、職員が慌しく行き来していた。三喜雄は一瞬、オープンキャンパスに参加する学生に間違えられかけたが、辛うじてゲストだと認識され、上の階の小さな会議室に案内された。
今日のゲストで男性は三喜雄だけなので、部屋を1人で使っていいと言ってもらえた。すぐにスーツを出して、ポールハンガーに掛けておく。ほどなくして、今日伴奏してくれる音楽専修科の講師がやってきた。
「あー片山くん、久しぶりだねぇ」
「あっ……お久しぶりです、
旧姓浜田、
「結婚されてもバリバリ舞台現役って聞いてましたけど、大学で教えてらっしゃるとは」
音楽専修科の人間は、何かイベントがあると共演することも多かったので、声楽専攻と器楽専攻の仲は良かった。川畑はうふふ、と笑う。
「教え始めたのはこの4月からでね、去年道内のちょっとした賞をもらって、微妙に名が売れたからかな?」
「おお、おめでとうございます」
「いやぁ、片山くんのドマスのCMほどじゃないわ」
「それは比べるのがおかしいです」
受賞とCM出演では、価値が全く違う。川畑は学生時代から陽気な人なので、ギャグと受け止め突っ込んでおいた。
彼女はリハーサルの時間を伝えにきてくれたのだった。今日出演するのは、三喜雄の他に、スポーツ専修科を卒業したダンサーと、よく知るヴァイオリニストだ。出演は三喜雄がトップバッターだが、リハーサルは出演順ではないらしい。
「ダンサーさんが照明と音の調整とかあるから、あと15分で始まるの……観ててくれてもいいんだけど」
「じゃあ、お昼食べて講堂にすぐ行きます」
川畑との打ち合わせが終わると、三喜雄はその場で母が握ってくれたおにぎりを食べた。自分で作るつもりが、母が用意してくれたのだった。
おいし、とひとりごちつつ2個のおにぎりを胃袋に収めると、三喜雄は本番用の靴と鞄を持って会議室を出た。
業界の癖で、すれ違う教職員におはようございますと言いかけるのを、無理にこんにちはに直しながら学内を歩き進めると、ヴァイオリンケースを抱えた女性がばたばたと走っているのが見えた。三喜雄は彼女を知っている。
「
女性は三喜雄の声に、ざざっと靴音が聞こえそうな急ブレーキをかけた。そして三喜雄をじっと見つめてから破顔する。
「片山くん! ひっさしぶりだね!」
「ご無沙汰してます、年末のヴェルレクに来ていただいてありがとうございました」
斉藤
まだ遅刻ではないのにばたついている辺り、時間を間違えているのかもしれない。彼女は学生時代から、そういうところが抜けている。
「いえいえ、あんな大合唱とオケ従えて歌うようになったのかって、おばちゃんは感激しましたよ」
「おばちゃんって、1年上だけじゃないすか……荷物、事務棟の会議室に、楽屋用意してくれてますよ」
「いやもう直接行くわ」
「ダンサーさんが先にリハするそうですけど」
三喜雄は言ったが、確かに斉藤は身軽で、ダンサーを観たいと言うので、一緒に講堂に向かう。
「伴奏してくれるのってハマリンさんなんだね、講師やってるんだって?」
斉藤は川畑の話をする。そういえば川畑がハマリンと呼ばれていたなと、懐かしく思い出した。
「はい、だから今日は演者だけでなく裏方も兼ねてらっしゃるみたいで、忙しそうです」
「人使いの荒い学校だねぇ」
「学校はどこでも人使い荒いですよ、たぶん」