数日後、ついにこの瞬間がやってきてしまった。
「イチロー、ついにコーラが完成したわよ。早速飲んでみてくれない?」
ハカセが俺の部屋にやってきて、満面の笑みでコーラと呼んでいるものを差し出してきた。
ほらね、予想通り、フラスコに入ってるじゃん。
料理をする者の勘で、あれはコーラではないだろう。
とはいえ、いずれも食べることができる材料なので、死ぬことはなさそうだ。
セミの抜け殻に若干不安を覚えるけど、漢方薬として使用することもあるみたいなので、やはり危険ではなさそうだ。
匂いは……うん、これはダメだ。
口に入れるべきではない気がする。
しかし、ハカセは嬉しそうな顔で俺が飲む瞬間を待っている。
よし、覚悟を決めよう。
一気に口に流し込んだその液体は、想像を超える破壊力を持っていた。
飲んだ瞬間、俺の視界がグルリと回った。
いや、違うな……俺が倒れたんだ。
薄れゆく意識の中で、やっぱり飲まなきゃ良かったと後悔した。
――
意識を取り戻した俺は、液体の中に沈んでいた。
驚いて藻掻いたのだが、特に苦しい訳では無いことに気がついた。
落ち着いて見回してみると、どうやら小さい水槽のようなところに入っているようだ。
あっ、ガラスの向こうにサクラ氏らしき姿が見える。
メガネがないので、漠然としか分からないんだけど……。
そうか、俺はメディカルマシンの中にいるのか。
まさか、自分が利用者第一号になるなんてな……。
そんなことを考えていたら、液体がどんどん引いていき、上部のハッチが開かれた。
「イチロー君、目覚めはどうだい?」
「その声は……ナカマツ氏?」
「ああ、メガネが必要だね。取ってくるから、ちょっと待ってくれるかな」
ナカマツ氏が俺のメガネを取りに部屋を出ると、今度はサクラ氏の声がした。
「よう! とりあえず無事みたいだな。それにしても、ハカセの料理はいつもヤバいな……」
「サクラ氏、俺はハカセのコーラを飲んで倒れたの?」
「ああ、そうだな……。っていうかさ、お前あんなものをよく飲んだよな。明らかに危険物だって見れば分かるだろ?」
「まあそうなんだけどさ、ハカセが作ってくれたものだから、飲まなきゃ可哀想かなって」
「気持ちは分かるが、そういう甘やかしが暴走させる原因になってるとは思わない?」
そう言われみれば、確かに甘やかしすぎたような気がする。
俺だけじゃないと思うけど、初めてあった時の印象がそのまま残っているのだろうと思う。
普通は学校で社会性を学んでいくのだろうけど、ハカセの場合は子どもの頃に入院し、その後はずっと俺たち大人に囲まれて生活していたのだから。
ハカセが優秀だったこともあり、ずっと褒めてきたのも良くなかったのかもしれない。
ダメなときはダメと言うのも、本来は大人の役目だったのだろうけど、今にして思えば偏った環境だった。
「そうだね、サクラ氏の言う通りだと思う。でも、今さらどうしたらいいのかな?」
「今回の件は私がしっかり叱ろうと思う。それで、イチローはこれから毎日少しずつでいいから、ハカセに料理を教えてくれないかな」
「分かった。そんなことでいいのなら、俺がしっかり教えようと思う。元々、そのつもりだったしね」
――
私とイチローが話していたら、ハカセが走ってやってきた。
イチローの意識が戻ったことをナカマツに聞いたのだろう。
「イチロー、大丈夫?」
「この通り、ピンピンしているよ。まさか、俺が利用者第一号になるとは思わなかったけどな」
そう言って、メディカルマシンをポンポンと叩くイチロー。
「本当にごめんなさい。まさか……あんなことになるなんて……私、イチローに何かあったらどうしようって、ずっと心配だったの」
よし、ここからは私の出番だな。
「ハカセ、『あんなことになるなんて……』じゃないんだよ。自分で味見もせず、他人に食べさせるなんて、おかしいとは思わない?」
「サクラ……私、間違ってるのかな?」
「今日はハッキリと言わせてもらうよ。ハカセの料理は人が食べるものじゃない」
「そんな……私なりに頑張って作ってるんだよ」
「頑張ることは当たり前のことだよ。だって、料理で人が死ぬことだってあるんだからさ。ハカセは自分の料理を食べる人のことを考えて作ってる? 考えてないよね。自分の科学実験の延長だと思って作るからこういうことになるんだよ!」
「うわあぁぁぁん、ごめんなさい……」
私が捲し立てるように叱ったものだから、ハカセは泣き出してしまった。
可哀想だと一瞬思ってしまったけど、今回は心を鬼にしなければならない。
「泣いてもダメだぞ。ハカセにはあの下手クソな料理を直してもらうからね」
「サクラ氏……もういいだろ。ハカセ……サクラ氏の意見、厳しいけど俺は正しいと思うよ。もし、今回の件を反省しているなら、これから毎日俺が料理を教えてあげるから練習をしよう」
「い、イチローが私に教えてくれるの?」
「ああ、俺が教える。今度は旨い料理を作って、サクラ氏を見返してやろうぜ!」
「うん……よろしくおねがいします。今日は本当にごめんなさい」
「じゃあ、俺は部屋に戻って、ガンダムの続きでも見るかな~」
イチローはそう言うと、戻ってきたナカマツからメガネを受け取って部屋に戻っていった。
私はハカセに近寄り、ぎゅっと抱きしめた。
「厳しいことを言ってごめんな。でもさ、ハカセにとっては大事なことなんだよ。もっと周りをちゃんと見ないとダメだ」
「そうね、私が間違ってた……」
反省するハカセの頭をポンポンと叩き、私はハカセの目線になるようにしゃがんだ。
ずいぶんと泣いたのね。
私はハンカチでハカセの涙を拭くと、耳元でそっと呟いた。
「これで、毎日イチローと二人っきりになれるじゃん!」
さっきまで泣いていたハカセの顔は、みるみる赤くなっていった。
そう、これが本当の目的。
ハカセを反省させ、マズイ料理をもう作らせないようにすること。
そして、ハカセとイチローに二人きりの時間を作らせること。
自分で言うのもなんだけど、両方とも達成できる良い方法だったわよね。