「買い物、いくっスよ」
「そうか」
いつもの通り、朝の仕事を一通り終わらせ、花人を保育園へと連れて行った晴は、帰ってきて早々窓の外を見張る雫にそう宣言する。――が、彼はちらりとこちらに一瞥をくれるだけで、全く動こうとはしない。まるで興味がないと言わんばかりに、ふい、と顔を背けると、また窓の外を警戒している。それを見た晴は「だから敵なんて来ないっスよ!」と、わなわなと震えた。
「いや、主語抜かした俺も悪いっスよ?でもアンタのもん買いにいくんだよ。ちょっとくらい興味持ってください」
「……俺の?」
「そうっス。アンタいつまで俺の服を着てるつもりっスか?アンタが無駄に体格良いせいで俺が着たらダボダボなんスよ」
晴の鬼の形相にも動じない雫の首根っこを掴んで無理矢理立ち上がらせる。すると、従順に彼は立ち上がり、何をすれば良いのかと、目を丸くして晴のことを見ている。彼は晴にメリットのない相手を居候させているということは自覚している。だから、この家の主に逆らうつもりなど一切なかった。
「分かった。お前が言うなら」
などと言って、渋々武器を壁に立てかけると、晴が足元に放り投げてきた服に着替え、晴について外へ出ていく。
カンカン、ギシギシギシと古くなって、錆びついていた鉄を靴で踏み締める音を立てながら、階段を降りると、そこはテレビでも時々『忘れられがちな街として
だが、普段からだらしない部屋着で出歩いている晴ならともかく、きっちりとした軍服姿を見るくらいでだらしない服装が浮いて見える雫にスウェットなどを着せているのは、少々勿体無いと感じた晴。商店街に出向くよりも、人混みになりがちなそこは、多少のリスクはあるが、どうせならお洒落をさせてみようとショッピングモールへと足を向けることを決断したのだった。矢張り、雫は毛ほども興味を示さなかったが。
「あ、そうだ。バイト。俺、明日からバイトに戻ることになったスから、俺がいない間はいい子で家の中に隠れていてくださいよ。敵がいても戦わないでください。隠れてて」
「何故だ?」
「何故ってそりゃあ、家まで破壊されたら困るからでしょうが。アンタ住むとこ無くなっても……ってアンタは困らないっスよね。でも俺は困るんで!」
GK-8に破壊されたおかげで、絶賛工事中の牛丼屋の前を通り過ぎたところから、晴が留守にしている間のことや、家事についてあれこれ教授しているうちに、目的のショッピングモールへと到着する。大企業の系列を誇り、全国に展開するこのショッピングモールは、それなりの規模を持ち、平日でも親子連れの客が多く遊びに来ている。きゃっきゃとはしゃぐ子どもの微笑ましい笑顔と引き換えに、どこに敵が隠れているか、把握し辛くなる状況は注意が必要だ。念の為、慎重に監視カメラを避けつつ、店の中に入ると、ばったりと見覚えのある人物が目に映ったのだ。
「あっれ〜!?晴じゃん!こんな時間にこんなところで珍しい!!何やってんの?」
「いや、その……」
「あれあれ!?その後ろにいるイケメンさんはどなた!?まさかカレ……」
「違うっス!この人は雨野雫。俺の昔の戦友っス!つか、この人も俺と同期なんだからウラさん知ってるでしょ」
「うん、ネーム持ちの子ね。そっかそっか」
「この人、戦場以外のこと何も知らない馬鹿なんで、色々教えてやってくださいよ。俺だけじゃどうにも」
「いいよ!イケメン大好きウラくん、その子のこと気に入った!色々教えちゃう!」
そう言ってウィンクしたのは、ウラ。『スターアロー』の専属研究所にて、肉体強化していた研究員たちの補助をしていた元
そんなウラたちは、ひょんなことから、人間と同じ
「――それで今日は雫の服を見に来たわけだ?」
「まあ、そういうことっス。できるなら何着かでいいんで、この人の服を見繕ってやって欲しいんスけど……」
「いいよ〜。ウラちゃんのAI頭脳で分析して彼に似合う服を選んであげよう!というわけで雫のこと借りてくね〜ん!」
「よろしくおねが……ってもういない」
軽く雫のことを説明してから、ぺこりと頭を下げるより先に、隣で棒立ちになっていた雫を連れて去ってしまう。気づいた頃には、既に二人はその場におらず、ぽつねんと、喧騒の中に晴だけが取り残されていた。ウラは、自分よりもずっとセンスがあるから、大丈夫だ。彼のことは信頼しているのだが、なんだか急に一人にされると、どこか寂しさを覚える。
「まあ……大丈夫か」
ぽつりと呟いて久々の一人を堪能しようと、まだ朝方でガラガラに空いているフードコートの席に座って、二人を待つことにしたのだった。
――そして、約一時間後。
少しずつフードコートへとやってくる人数が、増えてきたと思い始めた頃だった。じっと隅の席で珈琲を飲んで待っていた晴の前に、バサリと紙袋の山が置かれる。それは、全て服屋のブランドマークがついたものばかりだ。あまりの膨大さにぎょっとスマホから目を離した晴の方へ、ひょっこりとウラが元気な顔を見せた。
「もー、雫ってばかっこいいから、つい選ぶのに時間かかっちゃった!」
キラキラと満面の笑みを浮かべ、こころなしか艶々の肌になったようにも見える彼に苦笑を返して、少し遅れてやってきた雫に視線を向けると、無表情の中にかなりの疲労が見られる。きっと好き勝手に着せ替え人形にされたのだろう。まるでげっそりという擬音が似合うようだった。
「お疲れっス」
「ああ……」
感情を表に出すような彼ではないから、相当疲労しているのだろう。晴の労りの言葉にも掠れた声で頷くだけで、事前に確保されていた席にどっかりと座り、ぐったりと顔を俯かせた。
「あー楽しかった!ロジとの待ち合わせまでのいい暇潰しになったよ!」
「ロジさん……、外で待ち合わせなんて珍しいっスね。どこか行くんスか?」
「うん。ただの往診だけどね。ロジってば忘れ物するんだもん。ウラくん困っちゃう!」
到底困っているようには見えない、そのくねくねとした動きに愛想笑いを浮かべ、「そっスか」と冷めた返事をする。しかし、今はいないロジの存在にデレデレとしている彼は気付かない。それどころか、晴と雫をよそに、遠くから能天気に歩いてやってくるロジをいち早く発見し、誰からも注目を浴びるくらいに大きく手を振っている。
「じゃあ、ロジが来たからオレ行くね!さっきも言ったけど、雫もオレたちのところにおいでね。色々教えてあげちゃう!」
ちゅ、とアイドルのように投げキスをして、嵐のように去っていくウラ。彼がロジと合流するところを見届けてから、「さ、飯でも食って帰りますか」と提案した。
「何食います?」
「……蕎麦」
× × × × ×
そのままフードコートで昼食を摂った後、散々ウラに振り回されていた場所であるにも関わらず、雫がショッピングモール内に興味を示すものだから、改めて店内を全体にじっくりと見て回っていると、気付けば陽は落ちかけて夕方になっていた。
案外、この人も普通のことに興味があるんだな。
初めて見るであろう室内雑貨や楽器などにきらきらと目を輝かせて、じっと見詰めていた雫の姿を思い出して、そう感心する。今は、夕飯の食材である魚に興味津々らしい。店内に響く店員の声と輝く鱗に釘付けになっている。魚なんて戦場で焼いて食ったっスよね。そうは思うが、せっかくの興味に横槍を入れるようだったから黙っておく。
そんなこんなで、いつもの数倍の時間をかけて食材を購入し、半分ずつ荷物を持って帰路に着く頃には、完全に陽が沈んでしまっている。真っ暗の中、珍しく充実した一日だったと充足感に満たされながら、ショッピングモールを出る。大きな駐車場を横断して、商店街の先を渡って自宅へと続く裏道を通る頃には、自然と息を潜める。灯りもなく真っ暗な道を二人並んで歩いている。仕方がない。いくら今日が充実した一日だったとはいえ、GK-8という肉体強化人間が、組織に狙われていることには変わりはないのだから。後ろを突いてくる雫の様子を確認しながら慎重に歩いていた。その時だった。
「!」
背後に気を取られていた晴の代わりにハッと顔を上げた雫は、路地の方へと視線をやった。その瞬間――何者か、人影が飛び出してきたのだ。気付くのが一拍遅れた晴を庇うように前に立った雫は、その攻撃を払い除けると晴を抱え上げ、二歩、三歩、と後退する。
「は!?何、なに!?」
「……SG-563か」
「誰!?」
「SG-563だ。お前と入れ違いで入ってきた男だ」
「へえ……今はこんなおっかない人が……じゃなくて!」
恐ろしい形相をして、こちらを睨んでくるSG-563に怯んで若干反応が遅れてしまうが、彼が狙っているのは、間違いない。晴ではなく雫だ。それは初手――護られる前から判別出来ていた。だから、ウラ曰く『ネーム持ち』の強化人間だということは、晴だって瞬時に理解した。とはいえ、こんな住宅街のど真ん中で戦闘などあり得ない話だ。そう判断した晴は、すぐさま雫を連れてSG-563という組織の人間から逃げようと、SG-563に背を向けるが、元相棒といえば、するりと晴の手から逃れ、臨戦態勢に入ってしまったのだ。
「ちょ、ちょっとちょっとちょっと!!!
この世はなんと無常。全く思うようにはいかない。
はあ、と頭を抱えた晴は、あろうことか大勢の一般人が生活を送っている住宅街で戦闘を始めた二人の間に立つしかないと、彼らを追いかけた。
損害賠償や謝罪等々――様々なことを頭に思い浮かべながら、ブランクのある体を必死に前に走らせる。しかし思った通り、昔は上手く扱うことが出来ていた機械の体も錆びつき、上手く作動させることは出来ない。もたもたとしているうちにどんどん先へ先へと破壊を続ける二人の影は遠くなっていく。
こんなところを壊滅させられては、この前の牛丼屋のような騒ぎだけでは済まない。そう判断した晴は、何年も使っていない右半身のターボを蒸かせ、無理矢理雫とSG-563の間へと割り込んだのだ
左手で雫を突き飛ばし、右腕にSG-563の振り下ろしたナイフが刺さると、バチバチと光る閃光と痛みが伴う。これを作ったロジは、何を思って痛覚などというものをこの義手に搭載したのだろう。あの巫山戯た男のことだ。十中八九、
しかし、飛び散る火花のお陰で相手が怯んだのが、不幸中の幸いというものだろう。よろりと青白い火花と腕の破片が顔に直撃し、負傷したSG-563から距離をとると、背を向けて一気に自宅へと走り出す。
「おい、YM-200」
「いいから!今は逃げるっスよ!」
どういうわけか、組織に叛逆した雫を連れていたらいずれこうなることは、頭の中で理解していた。そう、分かっていたのだが、あともう少しだけ心の準備をする時間が欲しかった――そう切実に思いながら、誰もいない夜道を駆け抜けたのだった。