――翌日。
いつも通り、朝の仕事を終えた後、花人を保育園へ送り届けてそのままロジとウラが経営している喫茶店へと向かっていた。雫のことやバイトのこと。とにかく問題は山積みなのだが、それをこなすよりも先に、まずは自分の腕だ。保育園では隠し通したが、このままでは何をするにも不便だった。
昨夜、襲撃に遭っているから、念の為に雫のことは留守番させておくことも考えたが、ものはついでだ。昨日よりも詳しく雫のことを紹介しておくのも手だろう。何かしら力を貸してくれるはずだから。そう考えた晴は、雫を引き連れて、昨日通った大通りから道を一つずれて、複雑な路地へと入り込んでいく。一見、迷路のようなそこは、ただの曲がり角の多い一本道だ。目と鼻の先に見える行き止まりを避け、どんどんと奥へと進んでいくと、誰もこないような薄汚い路地には似つかわしくない店が現れる。十年前ほどのノスタルジックな雰囲気を思い出す、古臭く小綺麗な喫茶店。名は喫茶『ROJI・URA』という。
カランコロン、とベルの音を鳴らして、店の中に入ると迎え入れてくれたのは、昨日も顔を合わせたウラと、飲食店を経営しているとは思えないくらい長い前髪をした橙色の髪に、切れ長の目を持ち、口許には薄ら笑みを浮かべた男――ロジであった。
「あっ、晴!……と昨日のイケメンくんじゃーん!」
「へえ、この子がウラの言ってた子?確かにイケメンだね」
「そーそー!モデルとかアイドルとかしててもおかしくないよ!!」
「そうだね。それより、今日はどうしたの?」
「いや……あの……」
雫のことはさておき、何もかも見透かしているようなロジの物言いに、息を詰まらせる。これを言ったらどうなってしまうのか。しかし、黙っていてもしょうがない。……ええい、ままよ。
「…………腕、壊れた……っス……」
あの壊れた腕を見せると、すうっと一気に、店内の気温が下がった気がした。反省の意味を込めてじっとロジの顔を見る努力はしていたが、数秒も持たないうちに限界が来て「ゴメンナサイ……」と付け足して、視線を逸らしてしまった。
「……ねえ、晴くん。何をどうやったらこうなるの?」
「それは、その……」
恐る恐る晴が差し出した機械の腕と彼の顔を見比べて薄らと口角を上げ、問いかけてくるロジ。悪気がなかったのは、恐らく彼も承知の上だ。
「すみませんっス……」
しかし、抑揚のないその声は叱責されているようにしか聞こえなくて、しゅんとちぢこまって、つい謝罪の言葉を口にしてしまう。どよんと背中に闇を背負った晴に対し、子どもを見るような目をしたロジが、ふふ、と笑った。
「本来、君たちのそれは消耗品みたいなものだし、別に出すモノ出してもらえれば怒らないよ」
そう言ったロジは、「直してあげる。こっちにおいで」と、晴の手を引いて奥にある部屋へと連行して行ってしまう。その一部始終を黙って見ていた雫は、そのまま晴について行こうとするが、その手をウラが掴んで止める。
「まあまあ、晴のことはロジに任せておけばいいから、雫はここにいなよ」
「あ、ああ……」
「警戒しなくても大丈夫。ロジの腕はオレが保証するから!」
確かに、あんなに不穏な連れられ方をした晴のことが、気にならないといえば嘘になるが、気さくなウラの誘いを無下にすることも出来ず、店内に設置されているソファへとされるがまま着席した。
「――あまり、夜空からお前たちのことは詳しく聞いていないんだが……。お前たち二人は何者なんだ?」
「え?あっ、そっか。雫はメンテナンスとか全く興味なかった感じ?」
「メンテナンス……?」
「ふっふっふ。何を隠そう、オレたちは元軍事組織『スターアロー』所属、研究AIなのです!雫の肉体改造部品とかも取り扱っていたから、キミのことは一方的には知ってたんだけどね〜!」
研究AIとは、その名の通り軍事組織『スターアロー』に所属する研究所の人の手によって製造された、研究の補助をしている
「そんな研究AIがなんでこんなところに……」
「信じられないことに、仕事をしているうちについうっかり人の同じ心が芽生えちゃってね〜。晴と一緒にこの社会に紛れ込んでるってわけ。今は晴や雫みたいな子たちのサポートをしながらこの店を経営してるから、雫も困ったらこの店に来ればいいんだよ!」
「はあ……」
「そうそう!晴から雫が普通の暮らしに興味あるって聞いてたんだった!それも教えてあげる!」
そんなことを彼に暴露した記憶はないのだが、その通り、図星である。
自分とは全く違う世界に生きる、肉体改造のことさえも想像していない人々。それらは泣いたり笑ったり怒ったりと、忙しない。そしてそんな忙しないのが
「きっと晴、時間かかっちゃうから、今のうちに色々教えてあげる!何から教えようかなー……」
るんるんと跳ねて、己の感情を体で表したウラは、あっという間に二人分の珈琲を準備すると雫が適当に座った席の隣に跳ねるように座ったのだった。
× × × × ×
「――にしても、いくら消耗品だからって、壊すのにも限度があると思うんだよね。僕は」
「はい……」
怒っていないと言った癖に、延々と続く嫌味ったらしい言葉。まるで正論を言われているかのようなそれに、晴は再び縮こまるしかなかった。内心はうんざりとしている。何故なら、ロジの嫌味はねちっこかった。「また始まったっスよ」などと零してしまえば、あと何時間、この説教が続くのだろうか。大人しくしていないと解放されないのだから、勘弁して欲しいものだ。
「――で、どうだったの?」
「はい?」
「はい?じゃなくて、敵。ボクの作品をこんなのにした犯人、気になるでしょ」
珍しく満面の笑みを浮かべたロジ。どうやら彼は晴ではなく、腕を壊した相手にご立腹だったらしい。相当圧力のある笑みに顔を引き攣らせた晴は、ロジから一歩離れる。
「ほら、離れないでこっちにおいで。体の方も
「うす……」
まるで新品のようになった腕を差し出したロジの前に立つと、結合部になっている二の腕をとる。そして慎重に壊れものを扱うように、腕を結合させると、「いってて!」と、思わず声に出してしまうほどの激痛が走る。戦場で生身に受ける傷の方が幾分かマシだ。そう思えるほどに痛い。否、断然生身に受ける方が痛いが。
「はあ……。あのGK-8が無理矢理立ち向かわずに素直に俺に従うような奴っスよ。研究AIのロジさんには到底敵いませんよ」
「そうだね。……そもそも旧型の君たちに敵わないのに、新型のあの子たちに勝てるわけないじゃない」
「そうっスね」
くるりと晴から背を向ける。曲がりなりにもロジにはいつも世話になり、
――ロジ、ウラや晴が離脱した時の話だ。彼らは三人だけで抜け出したのではなく、その計画には協力者がいた。それが『
今、彼の状況がどうなっているのか、誰にも分からない。その上、唯一の頼みの綱であった雫は、上の命令に従っているだけで、研究チームなどに興味のなかった男だ。到底『スターアロー』の現状を知っているとは思えない。同じ答えに至ったから、あえてここに雫を呼ばなかったのだろう。
どこか小さくなってしまったように見えたロジ。流石に掛ける言葉が見つからず、押し黙っていたが――
「ちょっと、心を持ったAIが落ち込んでるのに、何か心配の言葉をかけようとは思わないの?」
「…………はは」
そうだった、この男はこういう男だ。心配して損した。
沈黙を破り、おちょくっているような口調でそう言いながら、振り返ったロジは、矢張り人間味のない顔に悪戯っぽい表情を浮かべ、晴を眺めた。
「大丈夫だよ。今はあいつみたいに面白い子の面倒を見れるし、それにあの最強と呼ばれたGK-8のことをメンテナンス出来ると思ったら、今からモチベーション上がるしね」
くつくつと笑いながら、ロジは話を続ける。
「それにボクたちの産みの親であるあいつに簡単にどうこうなってもらってちゃ困るしね。だから、大丈夫」
「そっスか」
彼の本音はともかく、また薄い笑みに戻ったロジにホッとする息を吐くと、財布の中から彼に言われた金額を出して立ち上がる。
「ほら、さっさと雫くんのこと連れて帰って。ウラ、面食いだから取られちゃう」
「心配しなくても誰にも取られないっスよ。あの人は」
「分からないじゃない。ウラの記憶改造なんてしたくないよ、ボク」
「恐えこと言わないでくださいよ!?」
今度は本気らしい言葉に怯えながら、ロジに押されて部屋の外に出ると、ウラと雫が向かい合って珈琲を飲んでいるのが伺えた。
「もういいのか」
「ああ、ばっちりこの通りっスよ」
綺麗に元通りになった右手を見せると、「そうか」と肩の力を抜く。彼なりに安心したのだろう。
「えー!もう帰っちゃうの!?」
「アンタの相棒に追い出されたんスよ。雨野のことはまた来させますから」
「うんうん!いつでもおいでよ!!オレたち待ってるから!」
そういうロジとウラに見送られ、挨拶をして店内を出る頃には、すっかり昼間になり朝の静かな情景は都会の喧騒に飲み込まれていたのだった。