「……じゃあ、体の方は何ともないんだね?」
「はい、ご心配をおかけして……」
昨日、必然的に腕が壊されたことを知られていた圭と花人には、心配ないとのことを報告し終え、いつものように四人揃って朝食を摂る。この日は圭の仕事は落ち着いており、ゆっくりと出勤することが許されているらしい。いつものように二、三口ではなく、しっかりと噛み締めて食べてくれている。最近は無理をしているようだったから、少し安心する。
「びっくりしたよ。昨日晴くんボロボロだし、腕ないし……」
「はは、まあこっち側は完全に機械なんスから……」
「それでももし晴くんに何かあったら、俺悲しいよ」
歯の浮くような台詞に晴はぎょっとするが、それに構わず圭は直ったばかりの手を握り、見詰めてくる。この男はこういうことを天然でやってくるから困るのだ。若干頬を染めて照れながら、苦笑を返すしかない。
「…………圭、時間は大丈夫なのか?」
「え?あっ、もうこんな時間!?やっば!!」
なんとも言えない微妙な空気を打ち破るように、口を挟んできた雫の台詞に時計を見ると、さっと顔を青くする。ゆっくり出来ると言っても制限時間はあったらしい。
「ごめん!今日こそは片付けまで手伝おうと思ってたのに!」
「いいんスよ。望月さんはとにかく遅刻しないで」
「分かってる!雫くんありがとうね!」
行ってきます!と呑気にプリンを食べている花人に手を振ってから、夜空家を出ると、一階へと続く簡素な階段を駆け降りる。そして、いつものように歩道を駆け抜け、いつか晴に教えてもらった近道を行こうと、家と家の隙間を縫って、ショートカットしようとした時だった。
「うわ!」
思わず声を上げてしまう。そのせいで通行人の視線がちくちくと突き刺さって来るが、今はそれどころではない。一歩後ろに下がってその正体を確認すると、地面に蹲っている人の姿であった。
「だ、大丈夫!?」
声を掛け、なるだけ揺らさないように体を起こしてやると、圭はぴくりと体を強張らせた。なぜなら、
その事実にがっくりと肩を落とすが、とてもじゃないがそんなことを考えている場合ではない。
「そ、そうだ、病院!」
そう思って、スマートフォンをポケットから取り出しながら立ち上がるが、その手を阻止する彼は圭の手を掴んだ。
「病院は駄目……」
「あ……」
そうだ。あまりにも非現実的なことが目の前で起こっていて、気が動転していた。人間の改造が本来は裏の世界でしか行われておらず一般の病院に行くことが出来ないと、晴から説明されていたではないか。
もし、一般の病院に連れて行けば、彼はどうなる……?
弱々しくこちらを見上げている彼を見ていると、恋人の笑顔が浮かんで離れない。どうしても彼から離れたくないという気持ちの方が
しかし、どうにかして彼のことを助けないと……!
圭は少しだけ悩んだ後、眉を吊り上げ決心したのだった。
× × × × ×
職場に今日は休むとの連絡を入れた後、血をどくどくと流す青年をおぶって自室へと戻ってきた。薄い壁一枚隔てた部屋からは何も聞こえない。恐らく花人を保育園へと送り届けてくれているのだろう。――と、隣の部屋を警戒していたのも、彼のことは晴や雫には伝えない方が良い、そう直感したからだ。
「うーん……、でもやっぱり相談した方がいいかな……」
ぐったりとしている彼の止血をし、手当を施しながら考える。しかし、この青年に己の近くに同じ存在がいることを伝えると良い顔はしなかったのだ。だから、こっそりと部屋に連れて帰ってくるに至ったのだ。うんうんと頭を悩ませて考えているうちにすう、と彼が細く目を開けた。
――ああ、やっぱりそっくりだ。
ぼうっとしているからこそ色気のある顔つきに、うっかり恋人を思い出してそわそわとしてしまう。
「あ、あの……」
「!!」
寝惚け眼で意識をぼんやりとさせていたからか、彼は圭の存在に最初は気付いていなかった。声を掛けるハッと我に返ったように目を見開いて圭の姿を認知すると同時に、どこからともなくナイフを取り出し、圭に向かって振り下ろした。その急な行動にびくりと反応した圭は、反射的に避けてよろりとその場に尻餅をつく。どたんと間抜けで派手な音は階下まで響いたであろう。申し訳ない。
「う、わ!ま、待って!!俺は敵じゃないよ!!」
「…………」
暗い瞳で圭を睨め下ろしてくる彼は、まるで警戒心を露わにして威嚇してくる猫のようだ。――ナイフを持っていなければの話だが。
尻餅をついた圭の喉仏に掠めるナイフの先端を止めた彼は、じっと圭の胸ぐらを掴んだまま見定めるように一瞥した。
だめだ、殺される……!
無言の圧力にそんな予感がして、ぎゅっと目を閉じる。
覚悟は決まっていた。恋人に似ている彼になら殺されても……、花人のことが頭によぎって後悔を数えながら大人しく身を固くしていたが、いつまで経っても激痛は襲ってこない。それどころか、ゴッと後頭部に鈍痛を感じた程度で、
「……?」
床の上に寝転んだまま恐る恐る目を開けると、そこにはチャッと軽快な音を立ててナイフをしまう彼の姿。
「
思わず恋人の名前を呼んでしまう。
「僕はSG-563。そんな名前ではありません」
「そ、そっか……そうだよね……ごめん……SG-563くん……?」
不愉快に眉を動かし、圭を睨めるSG-563にしゅんとなる。声までそっくりなのに別人だなんて信じられない。しかし、縮こまっている大男などには興味も示さず、建て付けの悪い窓をからりと開いたSG-563は、窓の淵に足を掛けた。
「……しかし、怪我の手当をしてくれたことには感謝しています」
そう言って、窓から飛び降りるSG-563。その様をぼんやりと眺めていたが、たん、と軽い音が階下から聞こえてきたのをきっかけに我に返る。
「ま、また怪我したらいつでも来てくれて良いんだからね!…………あれ?」
ガバッと起き上がり外を覗き込んだ頃には、もう彼の姿は忽然と消えていて。身を乗り出して探してみてもSG-563見当たらない。少し残念な気持ちになりながらも、晴と同じような存在であるから、不思議な力を持っていてもおかしくはないだろうと判断する。
圭は大人しく頭を引っ込め、胸のあたりを押さえる。それは
「あの子、また来てくれないかなあ……」
無理だと分かっている。しかし最後に振り返った彼の姿に圭は少しの期待を隠せずにいたのだった。