「――……」
あの日――圭がSG-563を連れて帰ってきた時の話だ。何故雫がそのことを知っているのかというと、彼は晴が保育園へと花人を送り届けに行っている間、部屋で留守番を言い付けられていたからである。つまりは、昨日隣の部屋で起きたやりとりを聞いていたのだ。
いつも朗らかで優しい声をしている彼の、あの時の甘い声。
雫は、無知な一般人が敵を連れ込んでいたことに憤っているわけでもなく、彼の声の中に見えた
そう悩んでいると、晴がくるくると回していたテレビの番組の中に圭と同じような声色を持つ俳優がいたのだ。晴は「ただの演技っスよ」とすかしたように言うが。
恋……
そんなワードが、あの正体とピタリと一致するような気がしたのだ。しかし雫には
何も解決しないまま数日――世間的には休日と呼ばれる日。
晴がバイトでいない中、雫は花人の面倒を見るために、公園へときていた。初めて出会った日からすっかり彼に懐かれてしまった。というより、雫があまりにも人としての常識が欠如し過ぎているが故に、面白がられているだけであろうが……。「見てろよ!」と言われた通り、雫は砂場で歪なうさぎを作っている少年の後ろ姿を見ながら考える。
全く持って手詰まりだった。晴に問うてもはぐらかされて揶揄われるだけで、一向に答えは見つからない。
「しーくん、いつもぼーっとしてっけど今日はなんか違う感じ。どうしたん?」
「は……」
「んー、なんか悩みごと?」
ベンチに座っていた雫の膝の上に、小さな手が乗る。こんな子どもに心配されるとは、ここに晴がいたならば、「子どもにまで心配かけてんじゃねーっスよ」と悪態を吐かれていただろう。それとも、花人がそういう感情に敏感なのだろうか。矢張り、子どもというものは分からない。
懸命に雫の隣によじ登ってくる花人を手伝い、隣に座らせると、一瞬だけきょとんとした顔を見せてから「ありがと」と笑う顔を眺めた。純粋な桃色の瞳をキラキラとさせて、ポケットに入れていた飴玉を口に入れると、どこか探るような視線を雫に返した。
「何悩んでんの?」
「悩んでいるように見えるのか」
「おー。だってしーくん、俺のにーちゃんのこと考えてる圭にーちゃんの顔してる」
「にーちゃん?」
「今ゆくえふめーってやつ。帰ってこねーの」
「お前はそれで平気なのか」
「んー、わかんねー。にーちゃんが出てったの、オレもっとちっさかった頃だしな」
それよりしーくんのなやみごとだよ、と話を逸らした雫に憤怒しながら、続きを促す。
こんな子どもに相談に乗ってもらって良いものか。
「…………恋、ってなんだ」
「鯉?魚じゃん」
「いや、恋だ。魚じゃない方の」
サカナジャナイホウ……、と雫の言葉を繰り返して、口の中で小さくなってきた飴玉をガリガリと噛み始める。
「よくわかんねーけど……。お、そうだ。圭にーちゃんが言ってた。恋ってぎゅーっとして安心するんだって」
「…………」
「それを取り戻すために圭にーちゃんは一生懸命仕事して、遅くまでにーちゃんのこと探してくれてんの。にーちゃんがケイにーちゃんのコイビトってやつだからって」
「コイビト……」
恋人。それはその人が恋しく思っている相手の事だ。定義は知っている。そして「ぎゅーっとして安心する」という感覚も知っている……気がする。それを考えて思い浮かぶ相手もいる。
そうか、あいつに思うこれが……。
頭の中でそう完結させて、納得した雫を見た花人は「終わった?」と聞く。それに対して黙って頷くと、満足そうにふふんと鼻を鳴らして笑う。
「じゃー、今度ブランコのりてー。しーくん押して」
「分かった」
ぴょんとベンチから飛び降り、ブランコの方へと駆けていく。それを追い掛けて重たくなった腰を上げた――その刹那、頭上から殺気を感じ取り、ハッと上を見上げる。
「危ない!!」
咄嗟に花人に飛び掛かって抱き抱えると、空から降ってきた巨大ロボットの銃撃を避ける。ドスンと降りてきたロボットの振動でバランスを崩し、その際に足に被弾してしまったが、今はそんなことを気にしている余裕はない。一番に守るべきは花人だ。彼は雫にとってよく分からない存在であっても、晴にとっては大切な人のうちの一人でもあるのだから。
「怪我はないか?」
「すっげー!しーくんヒーローみてえ!」
「あ、ああ……?」
子どもというものは――否、もしかしたら自分が理解出来ていないのは、花人だけなのかもしれない。今し方、命の危機に
「なー、しーくん。もっと戦って!」
「は、もっとか?あ、ああ……」
晴なら、ここで一発ピシャリと言い聞かせていたであろう。しかし、断るということを知らない雫は、花人に言われるがまま、その小さな体を抱え直して、ロボットに立ち向かう。それに対し、中で
今はこのロボットからは、即刻距離を置くべきだ。そのくらい戦闘狂と揶揄されている雫でも理解していた。とにかく戦闘もほどほどに、花人を安全な場所へ送り届けないと――
「っっ……!」
そのことに夢中で、自分自身のことは二の次になっていた。初手で足に銃弾をくらっていたのも手伝い、さらに負傷する。背中に撃ち込まれる感覚は、歴戦の王と呼ばれていても、痛いものは痛い。死んでしまったと錯覚させるような痛みを感じながらも、それをぴかぴかと目を光らせてみている花人には悟らせないように努める。――が、もう駄目かもしれない。
そう思った瞬間だった。
「なーにやってんスか!」
絶叫が鼓膜を震わせる。ふらりと花人を庇うようにしていた体を揺らし起こすと、慌てた様子で晴が駆け寄ってくるのだ。
どうして、彼がここに。
「Y、M-2……」
「あ、晴」
「ハナもいるのにチンタラやってないでさっさと逃げろ!……つーか、逃げれる状況なら逃げてるっスね。アンタなら」
「ああ……」
「とにかく、さっさとあんなの倒して帰るっスよ!」
この戦況からこれ以上話をしている余裕などなく、庇うようにしていた花人を一旦遊具の中に隠し、「出てくるなよ」と念を押すと、晴と雫は背中を合わせて戦う。先日彼が腕を壊した日に「ブランクがあるから」と言っていたが、そんなことも感じさせないほど、現役時代の彼のように雫の無茶な動きにもついてくる。まるで、昔を思い出すようだ。……彼も同じ気持ちなのだろうか。突然窮地に引き摺り込まれたにも関わらず、ニッと口角を上げて楽しそうだ。
「今だ!」
雫の掛け声でターボを蒸かせ、彼自慢の脚力でロボットに攻撃を与える。そうすると、一見頑丈そうなロボットは、劣化して錆びついた部分から崩れ落ち、ギギギ……と不快音を立てて、やがて動かなくなる。中身にいる人間が出てこないところを見ると、もう戦意は失ってしまっているらしい。
「早く行くっスよ」
「…………」
「なーに不貞腐れてるんすか。子どもじゃないんだから、早く立って。ハナももう出てきていいっスよ」
ロボットの状況を素早く確認した彼は、これが再起動する前にと花人を抱き上げて、公園から離れたのであった。