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残酷な遊び
残酷な遊び
仁矢田美弥
現実世界裏社会
2025年01月25日
公開日
1.7万字
連載中
仲間を殺してしまったある犯罪グループ。 事故か故意か?

第1話 肥山

 「綿引を呼べ」

 南波はそう言い捨てて地上への階段に向かい、すぐに姿を消した。誰も追いかける気力さえない。

 綿引は俺たちが世話になっている──というよりは、がんじがらめにされているやくざだ。俺は、こんな世界に足を突っ込んだことに初めて苦い、苦すぎる悔やみを覚えた。でも、いつかはこんなことになるのではないかという不安は実はずっとあったのだ。下意識の方に追いやってきたけれども。


 目の前に横たわる横山の死体。

 たった今、電気で焼き殺された。南波は間違えただけだと言い、それは用意しておいた言葉であることが見え見えなゆえに余計に俺の背筋をぞわりとさせた。

 今日、選ばれたのが横山だったというのは、ただの偶然でしかない。俺だった可能性も、杉本だった可能性もある。

「肥山」

 杉本は泣きそうな声で俺の名を呼んだ。

「肥山」

 俺が無視していると、もう一度呼ぶ。すかさず俺は杉本の横っ面を張り飛ばした。

「うるせえ、少しだまってろ!」

 俺たちは綿引の配下で、いろいろな悪事を働いてきた。とはいっても、俺たちのようなチンピラが担うのは雑用だ。振り込め詐欺の出し子の手配とか、脅し透かしの要員とか。南波、横山、杉本、そして俺が四人一組でふだんは動いていた。作戦をやるときは二人と二人に分かれながら。

 失敗すると、仲間うちで「ヤキ」を入れた。俺たちは与えられた改造品の電極を使ってお互いに電流を流し合った。

 大した傷跡を残さないし、効果は絶大だった。だんだんと考える気もしなくなってくる。心が空洞化してくるのだ。

 《あれ》を避けたくて、作戦にも本気になれた。残酷なことも平気になった。俺たちよりも楽しやがって、と思うと、さらに下々の連中に対し無性に腹立たしく感じて、遠慮などなくなる。

 ただし、電流の私刑は俺たち内部だけに限られていた。

 下々の連中は殴る蹴るで十分だった。どうせ使い捨ての連中。それに比べれば俺たちは常駐の人間だったから、さ。

 どんなクズにも序列はあるってこと。

 横山は向うを向いたままピクリとも動かない。南波がカエルのように跳ねたあいつの身体を足で転がして向うを向かせた。でも、そうされる奴の顔は眼球が飛びださんばかり、開いた口から舌が出ていて、そのまま硬直していた。

 俺に張り飛ばされた杉本は反感さえ見せずに怯えきっている。肝っ玉の小さい野郎だ。そういう俺も足ががくがくと震えている。奴を張り倒した反動だけではない。

「肥山……」

「黙ってろ」

 比較的穏やかな声で俺は答えた。俺にも考える時間をくれ。

 外は暗がりになってきた。地下は消えかかった蛍光灯の白々しく薄い冷たい光しかない。

「も、もしかしたら、気絶してるだけかも」

 とうとう杉本は言って、這うように――こいつは俺に張り飛ばされたまま薄汚れたタイルの床に這いつくばっていた――横山に近づいた。

 恐る恐る、横山の頬の辺りに触れた。そして、そっと前のめりになって横山の身体の上に自分の身を乗り出して、左手を伸ばした。こいつが左利きだったことを俺はあらためて思い出した。脈を診ているのか。

 横山の目元に触れる勇気はないようで、今度は頸動脈の辺りに触れた。

 何度かなぞり、手を引いた。

「だめだ。動いていない」

 杉本は絶望したようにつぶやいた。

 さっきの横山の見開いた眼が突き刺さっていて、俺は身動きがとれないのだと気づいた。そっと背後から奴の背中の方ににじり寄り、向こう向きの頭の上からのぞき込んだ。気味が悪い。不快なものは頭の中からも、現実世界からも消すに限る。

 案外瞼は簡単に閉じることができた。

 ほうっと息を吐いてまた二、三歩退いた。舌を見たくなかったので、意図的に目はそらしていた。

 杉本は俺の動作を息を詰めて見た後に、また話しかけてきた。

「死んでる……よな」

「お前がそう言っただろう。目はつぶらせてやったよ。一応、俺ら仲間だったからな」

 すると急に杉本が唇を歪めた。

「仲間? 俺たちが? バカ言ってるんじゃないよ」

 驚愕した俺に奴は言う。

「だいたい、横山を殺ったのは、お前か南波のどちらかだろう。いや、示し合わせているだけかも」

 怯えが彼を大胆にしていると思った。

「お前、なんてこと言うんだよ」

 動揺を抑えて俺は反論した。下手に刺激して自棄な行動を起こされては困る。俺たちはこの「横山だった奴」の始末をつけなければならない。ここで仲間割れしている場合ではない。

 「何が仲間だ」――さっきのこいつ、杉本の言葉はもっともではあるが。

「これは事故だ。見てただろう、電流を強くしすぎただけだ。綿引にもそういえばいい」

「空々しいことを言うな」

 食い下がる杉本に対し、俺のなかに憎悪、いや殺意の火が点く。こいつのなかのそれが飛び火したのかもしれない。

「お前と南波が示し合わせて横山を殺ったのさ、故意に。だろう? 横山が最近邪魔になってきたんだ」

「邪魔? なんだよそれ。それにお前に『お前』呼ばわりされる覚えはない」

 杉本はこのチームの中でさえいちばんの下っ端だ。俺はかっとなった。

 もう一度殴ろうとした俺のパンチを杉本は軽く避けた。俺は一気に心臓が膨張する。

「ふん、いつも威張りくさりやがって。俺がいつまでも黙って従っていると思うなよ」

 聞いたこともないどす黒い声で杉本が言う。つんのめった俺は杉本の攻撃に備えるが、手は出してこなかった。だが立ち上がった杉本は見たこともないほどデカく見える。もともと背は高いが猫背だった。どこかひょろりとして冴えなかったのが、今は全く違った顔貌を見せている。

「とにかく、綿引に連絡しよう。俺たちはそうしなければならない」

 俺は気を逸らすように言った。南波は逃亡した。一刻も早く綿引に連絡しなければ、俺たちも疑われる。

「綿引? ふん。俺はどうだっていいさ」

 うそぶく杉本を凝視して警戒しながら、綿引に電話をした。名義不詳の特別の連絡手段であるガラケー。スマホは使わない。用心のためだ。

 俺はこわばった。いくら呼び出しても誰も出ない。この番号に誰も出ないことはありえないはずなのに。

 額に嫌な脂汗が滲んだ。どういうことだ。俺を斜めに見ていた杉本が言う。

「下手な芝居はやめろよ」

「違う、綿引の電話につながらないんだ。鳴りっぱなしで」

「綿引に連絡するつもりなど、はなからないんだろう」

「そんなことはない。何なら、お前が電話して見ろよ」

 俺はガラケーを杉本に投げた。

 杉本はもう一度通話ボタンを押したようだった。

 しばらくすると、杉本が話し出す。

「『カラス』です。困ったことが起きたんで、Wさんに取次ぎを」

 俺たちは自分たちを『カラス』という隠語でいうことになっている。「W」とは文字通り綿引のことだ。

 しばらく待つと、かしこまった様子で杉本は言葉を継いだ。

「困ったことになりました。NとHがYを殺しちまいやがった」

 なぜ今度はつながったのか。しかも杉本の言い草に俺は愕然とした。 

 「N」=「南波」、「H」=「肥山」、俺のことだ。「Y」はもちろん「横山」。こいつ、証拠もないのに断定しやがった。

 俺は力ずくでガラケーを奪い取ろうと飛びかかった。が、杉本は軽く避けた。こいつはずっとずっと、今この時まで長いこと、猫を被って情けない男を装っていたのか。けれど、何のために、そんなことを? どういう裏がある?

 前頭葉が熱を帯びる中、俺は必死に考えた。何とか杉本を取り押さえようとするが、逆にかわした奴に腹を蹴られ、俺は床に転がって呻いた。そんなバカな。これは逆の構図だ。こんなことありえないはずだった。

 俺を見下ろす杉本のあごが妙に尖って見える。

 侮蔑を隠そうともせず、奴は言う。

「てめえにこの『電話』は渡さない。おとなしく待つんだ。綿引さんが直々に来て下さるとさ」

 綿引が直々に来るだと? そんなことありえない。アタマがこんなところまで足を運ぶはずはない。

「何を企んでる?」

 喘ぎながら俺は訊くが、杉本は舐めくさった表情のままだ。俺は重ねて訊く。

「南波とお前はどういう関係だ。示し合わせているのか」

 ぼんやりと考えられるのはそのケースだ。もともと南波と杉本は背後で通じていて、何らかの理由で邪魔になった横山を事故に見せかけて殺り、その罪を俺に押しかぶせようとしている。

 ふいに俺は背筋がぶるっと震えた。

 こいつらは、俺を生きたまま差し出す必要だってないはずだ。二人で口裏を合わせれば、すべてを俺のせいにして済ましてしまうこともできるはず。身が危険だ。

 俺は弾かれたように駆けだして、出口の階段に向かった。が、遅かった。頭蓋と肩骨を割られるような激痛で俺は床に転がっていた。杉本がそこにあった重いイスで後ろから思い切り殴りつけたのだ。ぬるりとする。頭から血が出た。

 くらくらして動けない俺を杉本は引きずり、別のイスに座らせ、ロープで縛り上げはじめた。こんなロープ、どこにあったんだ。このために用意していたのか。やはり杉本と南波がつるんで計画したことなのか。このままでは逃げられなくなる、と思いつつも体が動かない。そして目の前の薄暗い地下室の光景もだんだんぼやけていった。

 このまま殺されるのか。死ぬのは嫌だ。死ぬのは嫌だ。

 声にならない叫びも消滅した。

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