木の幹に沿って、太一郎が、ずざざざ、と、滑り落ちる。
「ぐ、あ、おおお……た、たすけ……」
「親分! 枝に捕まれ! 左手の枝が太いぞ」
血相を変えた英次郎が馬に乗ってやってくる。その姿を見て、助かった、と、太一郎は思った。そして信頼する若き友の声に、太一郎の体は自然と反応した。
むずっと枝を掴んで速度を殺した。これで地面に勢いよく体を叩きつけられる心配は少し減った。が、不幸なことに、太一郎が掴んだ枝は余りにも細かった。その枝は、すぐにぼきり、と嫌な音を立てた。
「しまった親分、今度は右の枝!」
「う、ぬぅ……」
右の枝は太くて短い。太一郎はなんとかそれにしがみつき、体勢を整えた。が、やはり太一郎の体重を支えるのは難儀なことであるらしい。めりめり、とすぐに音がする。折れる枝を視界の端に見ながら、太一郎は真下に来た英次郎に向かって、
「英次郎……少し目方を減らす試みをしようと思うがどうであろうか?」
と、叫んだ。
「親分、殊勝な心掛けであるゆえ、母上も交えて後ほどゆっくり相談しよう。しかし、怪鳥がそこからまだ狙っている」
「ひえぇ」
ばさばさと、大きく木が揺れた。黒い翼が見え隠れしはじめ、鋭い鉤爪が太一郎の顔に向かって幾度も繰り出される。
「え、英次郎、鳥はどこじゃ。よく見えぬ」
「親分の斜め前方……あっ、このまま退治するゆえ、そこから動いてはならぬぞ、親分!」
「む、無茶を言う……お、落ちる……」
「枝に張り付いておれば、鳥は親分がしかと判別できぬようだぞ!」
「そうか、鳥は目が良くないのであったな」
とは言え禍々しい鉤爪がたびたび繰り出され、首や頬を掠め、太一郎は悲鳴を上げる。
「英次郎ぉ……わしはここで死ぬるのかもしれん」
「何を言うのやら……親分に死なれては困る人が山のようにいるのだぞ」
気をしっかり持て、と英次郎に励まされながら、太一郎は、とにかく必死で木にしがみついた。
奮闘してくれている英次郎に加勢したいが、中途半端な高さであるゆえ自分で降りることもできず、かといってここから落ちれば怪我をする。
なにより、地面に降りたらその瞬間、鳥に見つかるであろう。さすれば、再び江戸の空を運搬されてしまう恐れがある。それは御免である。
「さてもさても、どうやって江戸から追い払うか……」
太一郎が木の上で思案している間にも、英次郎と化け鳥の死闘は続いている。
鳥も、太一郎を運んで疲れているだろうに大奮闘である。英次郎めがけて鉤爪が繰り出され、それを斬り飛ばそうと待ち構える英次郎の剣が奔る。が、刃が届く前に鉤爪を引っ込めてしまう。
「おしい……刀の長さがちと、足らぬ……!」
ぎゃーすと、怒りの声と共に突風と炎が吹き付けられた。
わああ、と驚いたらしい英次郎も馬を操り間合いを取っている。
「炎を吐くとはさすが化け物……」
「されど親分! こんな火を江戸の町で好き勝手に吹かれては火事になるぞ」
許せぬ、と、英次郎が叫ぶ。
「ひええ……英次郎、そ、そなた……どこまで人が好いのか」
「親分、痩せても枯れても佐々木家は御家人」
衣笠組の太一郎親分としては、そこまで江戸の町を思うことはない。が、衣笠家の嫡男太一郎としてならわからなくもない。
「……英次郎、江戸の町も大事であるが、まずわしを助けてくれぇ!」
降ってくる火の粉のチリチリとした暑さに脂汗をかきながら首を捻って英次郎を見れば、弓矢を持参していた。
「おお、なるほど……」
馬上からきりりと弓を引き絞り、きっかり狙いを定めて怪鳥を射る。怒れる炎が英次郎を襲うが、馬を巧みに操りかわす。その横顔の凛々しいこと、それを己しか知らぬのは勿体ないことであると太一郎は思う。
「英次郎……頼むぞ……」
一本、二本、と鳥を掠めた矢が右の翼を射抜き、さらに立て続けに放たれた矢が、胴を射抜いた。怪鳥が大きく傾き、怒りの声をあげる。
悪臭を放つ体液を撒き散らしながら英次郎を攻撃するが、さすがに高度が下がり、明らかに力がなくなっている。すばやく刀に持ち替えた英次郎が臨機応変に応戦する。鳥も、英次郎を喰らうてやろうと懸命に動く。
が、そのうち、どさり、と、鳥が地面に落ちた。二度三度翼を動かし炎を吐いたが、それきり、ぴくりでもない。
「親分、もう降りても良いぞ」
馬から降りた英次郎が、用心深く怪鳥に近づき、切っ先で突く。
「英次郎、鳥は絶命したのか?」
木から転げるように落ちた親分も、そっと近寄る。
「いや、寝ておるだけだ。実はな、親分が拐われた後、ふと薬種問屋の長崎屋に駆け込んで、南蛮渡来の毒薬を借りた。それを矢の先に塗ってみたのだが……」
毒は怪鳥の命を奪うには至らず、ということだろう。このままだといずれ目覚めて、己の治癒のためにまた人を襲うだろう。
「さてもさても……この化け物、どうしたものか……」
刀を納めて首を捻る英次郎に、太一郎は「わしに考えがある。任せろ」と胸を叩いた。