太一郎は、矢立を取り出して文を書いた。そして、あちこち体が痛むと言いながら辺りをウロウロする。
そして懐から小さな笛を取り出して吹く。すると程なくして、大型の鳥が太一郎の肩に止まった。
「親分は鳥まで操るのか……」
「我が組に代々伝わる鳥寄せじゃ」
鳥が差し出した脚に文をくくりつけると、鳥は元気に飛び立つ。
「やれやれ、しばらくここで待つ」
妖の撒き散らす妖気にやられて気が立ったのか、竿立ちになったりやたら地を蹴ったりする馬を懸命に宥める英次郎と疲れたを連発する太一郎の傍らで、怪鳥は眠る。
ふいに、がー! と、大きな音がした。切らて短くなった嘴より炎が吐き出されたのだ。
「む、英次郎、毒薬が切れてきたようじゃ」
「よしきた」
素早く毒薬を手にした英次郎が、鳥の短くなった嘴をこじ開けてなんとか薬を流し込む。すると再び鳥は深く眠る。
「……親分、こやつの犠牲になった二人は……」
「わしの知り合いの坊主と植木屋や火消しらをな、酒井様のお屋敷にひっそりと派遣したゆえ、そろそろ下ろしてもらえるはずじゃ」
「そうか、家族の元へ戻れるのか」
「うむ」
そうこうしているうちに、衣笠組の子分たちが総出でやってきた。
「親分、おまたせしやした」
「おお、すまんな」
見知った顔が続々と集まり、口々に礼を述べる。馴染に囲まれ、英次郎がいくらかほっとした顔を見せた。しかし、やくざの彼らが手にしているものは匕首や脇差ではなく、紐や戸板や丸太といった大工道具である。
「いったい何が……」
目を瞬かせる英次郎の前で、化け鳥は縄で厳重に嘴や足を縛られ、簡単には身動きできないようにされた上で、巨大な筏のようなものが組まれたそこに縫い留められた。
もちろんこれらの指揮をとるのは太一郎である。
「英次郎、馬でついて来てな、こやつが目を覚ましたらさっきの毒薬で眠らせてくれ」
「それは構わぬが親分、こやつをどうするのだ?」
どこに放すのだろうか、と英次郎が思案する傍で、子分たちが「猪牙舟の用意もできやした」と告げた。
「親分、まさか大川に捨てるのか?」
「いや、大川では江戸の町に近すぎる。目が覚めたらまた、こやつは人を襲うだろう」
「そんなものかな」
「人が簡単に狩れるということを覚えた獣ほど恐ろしいものはないのじゃ」
巨大な筏は、若い衆に担ぎ上げられ、うんうん言いながら運搬されていく。慌てて太一郎も列に加わるが、太り過ぎの太一郎は『幅ばかり取って邪魔』であったらしい。
「親分、退いて下せぇ……」
「む」
「後ろから、英次郎兄ぃの邪魔にならないように、静かについてきてください」
「ぐ、ぬぅ……」
しょんぼりした太一郎が、馬上の英次郎に「若い衆が酷い」と文句を並べる。
「まぁいいではないか、親分。これでも食べて元気を取り戻してくれ」
懐から英次郎が取り出したのは油紙に包まれた色とりどりの金平糖である。
「おお!」
「母上が拵えたものでな。親分に、とのことだ」
ありがたい、と、太一郎が子供のように目を輝かせた。いつものように眺めて楽しんだあと、そっと口に入れる。
「ああ、美味じゃ……極楽じゃ」
「親分、金平糖など食べなれておるであろうに……」
「お絹さまの御心が籠っておる。格別じゃ!」
そういうものかな、と英次郎も一粒、口に放り込んだ。幼いころから慣れ親しんだ甘みがふわりと広がり、英次郎の疲れを少し、溶かした。
果たして化け鳥を乗せた筏は、大川に浮かべられた。
何艘もの猪牙舟から綱が投げられ、筏と器用に繋がれてゆく。どうやら筏を舟で引っ張って海まで運ぼうという算段らしい。
「親分は面白いことを考えるな」
「わしの知恵ではないぞ。書物でな、千代田のお城を建立する際、他国の石切り場から石を舟で運んできたという話しを読んだのじゃ」
手ぬぐいで汗を乱暴に拭いた親分が、どこからか取り出した金色に光る扇を右手に持ち、高々と掲げた。
「よおし、江戸湾目指して、すすめぇ!」
おう、と、若い衆が声をそろえ、筏がゆっくり動き始めた。ははぁなるほど……と、馬の上で英次郎は膝を打っていた。
「さ、英次郎はこっちじゃ。馬ごと進んでくれ」
「うむ」
屋根が取り除かれた河御座船が用意され、船頭が馬を導いてくれる。暴れることもなく馬は大人しく舟に乗った。
「親方、一つ頼む」
「あいよ」
威勢のいい船頭の顔を見て英次郎は苦笑した。右の頬から左の胸元にかけて大きな刀傷があり、左の額にも刀傷。見るからに並の船頭ではない。
「英次郎、奴の素性は探らぬ方が身のためだ」
「承知」
そのまま舟は進み、ついには化け鳥に並んだ。
「よく寝ておるな……」
えいやぁ、えいやぁ、と男たちの掛け声が川面を滑る。
「よぉっし、そろそろ江戸湾じゃ」
小さな猪牙舟では限界かと英次郎が感じたころ、いつの間にか廻船が近寄ってきていた。ただし、帆にも舳先にも何も書かれていない。
「お、お、親分……! あれはどこの船だ?」
「案ずるな、英次郎。うちのじゃ。あれで沖まで運ぶ算段じゃ」
英次郎の口があんぐりとなった。
「衣笠組は船まで持っておるのか……いやはや……化け鳥も、出没する場所を間違えたな……」
「それでも人を襲わずにおれば、わしとて見逃してやったが……」
太一郎が哀しそうに怪鳥を見た。が、くわっと目を剥いたかと思うと、「二度とわしに近づくな! 鳥に運ばれて空を飛ぶとは夢にも思わなんだぞ!」と、怒涛の文句を垂れ始めた。
沖へ運ばれていく化け鳥を見送った一同は、再び舟で江戸の町へと戻った。船着き場では、熊八と五郎蔵が待っていた。
「あの鳥は嘴を切り落として沖へ連れて行ったゆえ、もう大丈夫じゃ」
「親分、ありがてぇ……」
五郎蔵が親分の手を取って頭を下げると、
「新吉と豆蔵がさっき、家に戻った」
目元を赤くした熊八も言う。
「そうか、それはよかった」
「あまりに惨い傷だってもんで、酒井様のお抱え医師がなんとか対面できるように整えてくれたうえに、酒井様が見舞金まで添えてくれたもんだから、明日、葬式……」
二人の声が大きく震えた。親分が、それぞれの肩をとんとんと優しくたたく。
「その子らと、亭主に死なれた御新造さん、何か困ったらいつでもわしのところへ来るといいぞ」
すばやく親分が油紙に包まれた小判を渡した。仰天する二人に、英次郎が、
「友をなくしたそなたら、大黒柱を失った皆への、親分からの見舞いじゃ。ありがたく受け取ればよい」
と囁くと、男二人が顔をくしゃくしゃにして泣いた。悲しみと喪失感が、今頃になって二人を襲ったのだろう。
二人が泣き止むまで、親分はずっと横に座っていた。
【了】