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第52話 衣笠組鍋騒動3

 太一郎の目の前には俵や紐などが積まれ、傍らにはさつま芋が整然と並んでいる。そして傍の皿には試しに焼いたと思われる芋も、きれいに並んでいる。

「喜一、これは焼き芋の丸焼きじゃな?」

 江戸の町で大人気の焼き芋、当然太一郎も好んで食べる。今も涎を垂らさんばかりである。

「……今日は普段よりたくさん芋を焼くので、燃料を多めに手に入れてきやした」

「ほう! なるほど、他国から届く荷は、たいてい藁で包まれておるゆえな」

「へえ、あとで長崎屋さんに礼をします」

「クルチウス商館長たちも、食べるかな?」

「焼き芋が口に合うかわかりやせんので、南蛮菓子を念のため」

 ちらり、と、太一郎は喜一の手元を見た。小さな帳面と細い筆がある。どうやらこの職人、燃やすものによって味が違うのか、焼ける時間は異なるのか……などと調べて帳面に書き込んでいるらしい。

 太一郎は、傍の焼き芋を手に取り割った。黄金色が美しい。

 がぶりと噛み付けば、甘みが口いっぱいに広がる。

 美味い。

 日頃の、手の込んだ菓子や南蛮菓子も美味いが、自然の甘さはまた別である。

「美味じゃ」

 喜一にも渡して、二人で焼き芋を食べる。

「そうじゃ喜一、美味い焼き芋を大量に焼けるようになったらな、ちと頼みたいことがある」

 なんでしょう? と、喜一が親分を見上げる。

「訳ありの長屋があるでな、そこの木戸番……いや住人に焼き方を教えてやって欲しい」

「……ようござんすよ」

「きっと、焼き芋を喜ぶであろうからな、幼子も……」

「親分、焼き芋はお武家さんも幼子も、年寄りも、好きだと聞いておりやす」

「うむ」

 訳ありの長屋の幼子と聞いて喜一も目を細める。清兵衛長屋にこの春から住んでいる謎めいた少女を思い描いているのだ、二人ともに。

 彼女は焼き芋を食べたことがあるのだろうか。

 若芽御飯や味噌汁を珍しそうに眺め、ありふれた朝餉を美味しそうにかきこむ姿は印象的だった。

 彼女たちは今でも故郷の手練れに命を狙われている。理由は定かではないが、深い理由があるらしい。とはいえ、むざむざと殺させるわけにはいかない。大家の清兵衛が油断なく監視しているため、曲者が大挙して押し掛けようものなら、太一郎や英次郎にすぐにつなぎがつき、いつでも英次郎が応戦する。

「……浮羽に食べさせてやりたいのう……」

 お絹が来る刻限まで、まだいくらかある。

「今から小走りで向かい、寄り道せずに帰ってくえば、戻ってこられるかと」

 よし、と、親分は頷き、残りの焼き芋を口に押し込む。

「もしわしのあらぬ間にお絹さまが見えたら、不在を詫びて丁重におもてなしをしてくれ」

「合点承知」

「喜一、これを貰っても良いか」

「へぇ、構いませんが……」

「ちと、出掛けてくる」

「浮羽嬢と、青葉でしたかあの若き父親に、よろしくお伝えくだせぇ」

 喜一が手早く和紙で包んてくれた焼き芋と、まだ焼いていないさつまいもを抱えて太一郎は衣笠組を後にした。


 その頃、清兵衛長屋では青葉が竈の前で困っていた。

「芋を焼いてくれと言うから焼いたのだが……違うのか」

「違う」

 浮羽は、これじゃない、と、不貞腐れていた。お隣から借りてきた平皿には、コロコロと黒い物体が転がっている。

「困ったな、どうすれば良いのやら」

 黒い物体をつまみ上げれば、黒焦げの嫌な匂いが鼻をつく。

「焼いた芋、なぁ。どれ、お隣に聞いてくるか……」

「いってらっしゃい」

「浮羽、一応、鍋を見ておいてくれ」

「あい」

 うーむ、と、青葉が首を捻りながら隣家へ赴く。

 ほどなくして、浮羽の目が丸くなった。

「……煙? 火?」

 恐る恐る鍋を覗き込んで、すぐにのけぞった。

「た、大変! 燃えてる」

 浮羽が慌てた声を出すのは珍しいのだが、生憎聞いている者がいない。

(ど、ど、どうしよう……どうしたらいい?)

 火をよりよく燃やす方法はいくらも知っているが、鍋が燃えた時の対処法は里では誰も教えてくれなかった。

 浮羽の脳裏に浮かぶのは、縦にも横にも大きい親分か、顔中傷のある大家か、剣の達人英次郎。

 だがいずれもそばにはいない。親分はそもそもこの長屋の住人ではないし、大家は、店子の一人を連れてさっき出かけて行った。仮に住まいしている英次郎は用心棒仲間が飛び込んできて、どこかへと慌てて向かった。

「わたしが……火を消さなきゃいけない」

 きっと熱いだろう。火傷するに決まっている。しかしこのままにするわけには、いかない。火が広まってしまう。

 浮羽が意を決して焼けた鍋を掴もうとした時。


「ややっ、火事か!?」


 聞き慣れた声がして、大きな影が枯れ葉と共に長屋に躍り込んできた。

「あ……」

「おお、鍋が燃えたのじゃな! よし、触れてはならぬぞ、火傷をいたす!」

 太一郎が慌てて浮羽を抱き上げ、傍の水瓶から柄杓で水を汲み、鍋に何度もかける。

「消えた……よかった」

「ふう……怪我はないか? 驚いたであろう、大事ないか? 長屋を焼いたら一大事であったな」

 その頃になって、青葉と両隣の夫婦が駆けてきた。

「浮羽! どうした」

「父、鍋が火を……」

「鍋!? うお!?」

「鍋。でも親分が助けてくれた」

 太一郎が、「無事じゃ!」と言って浮羽を床に下ろす。隣家の浅蜊売りの清次とその妻お涼が、青葉の手にある芋や鍋の中の黒焦げ芋を見て、目を丸くする。

 お涼が、ぽん、と、手を打った。

「浮羽ちゃんが食べたい芋は、甘薯じゃないのかい? ほら、ちょうど親分が持ってるね」

「お、おお、そうじゃ。我が組の喜一が焼いた、美味なる焼き芋を持ってきた」

 ほら、と、太一郎が焼き芋を浮羽に渡し、青葉にも渡す。

「……甘い、におい」

「浮羽ちゃん、勢いよく齧り付くんだよ」

 浮羽はお涼に手伝ってもらい、青葉は清次が手伝い、がぶりと齧り付く。

「わあ、美味しい!」

「ふふふ、この顔とこの声よ。喜一が喜ぶ」

「なんと、美味しい」

「父、美味しいね」

「まことに美味い。江戸にはかように美味なるものがあるのだな」

 しかし青葉がすぐに、困り顔になった。

「あの……。みなさん……この、真っ黒に焼けた鍋はどうしたら……」

 黒々とした鍋を綺麗にするすべなど、さすがの太一郎も知らない。

「さて……まずは洗ってみるか?」

 清次が井戸を指差す。簡単に綺麗になるとは到底思えない鍋を、井戸端へ運ぶ。

「どうしたんだい、清次に親分」

「なんだいなんだい? おや焦げた鍋か!」

「見事な真っ黒さ」

 鍋のために、おかみさんたちが続々と集まる。襷をかけて鍋を擦る青葉と、お涼に手を引かれておずおずとやってきた浮羽を中心に、焼き芋から栗、秋刀魚、柿と話題はどんどん移っていく。

「……なかなか、良き光景じゃな」

 親分が満足そうに頷く。


 そして太一郎は知らない。

 この僅かな時間に衣笠組では餡子の鍋を巡って再び喜一が激怒していることを……。


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