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第55話 狐火狩り1

 その日、日野宿のはずれを、縦にも横にも大きい男が、ど派手な袷の裾を絡げてどたどたと賑やかに走っていた。

 一本だけ落とし差しにした長刀がいかにも邪魔そうで、その姿は、本所・深川界隈で一番のやくざで金貸しの「衣笠組」の親分とはおもえないほどに滑稽である。

 だが本人はそれを気にすることなく、集落から少し離れたところにぽつんと建つ荒れ家へと駆け込んでいく。

「英次郎! 英次郎! ついに狐火の男が出たぞ!」

「なんと!」

「畑仕事を終えた人々が狐火に追いかけられた挙句、木刀で強かに打たれたそうじゃ」

「それで、怪我の具合は」

 中から威勢よく飛び出してきた青年は、着流しに前掛けをつけて野菜をのせた笊を手にしているが、れっきとした武家、江戸は本所に住まいする御家人の次男坊佐々木英次郎である。

「皆、骨が折れたり火傷したりしておる。急ぎ了蘭先生に文を認めるゆえ……」

 矢立を取り出し、馴染みの蘭方医了蘭先生を呼び寄せようとした太一郎の顔に、べしっ、と何かが叩きつけられた。

「ぶはっ、何じゃ」

 ついさっきまで縁側で寝転がっていた優男が、「石田散薬」と書かれた薬箱を担いで立ち上がる。

「ここは、おれの出番だ」

「あっ、土方どの待たれよ! その石田散薬は薬効があるのか疑わ……」

 太一郎が言い終わらないうちに、再び薬包が投げつけられた。

「親分、蘭方医なんぞ呼んで邪魔してくれるな。おれの稼ぎ時だ」

 にやりと笑ったあと嬉々として出ていく。その背中を見送りながら、英次郎が前掛けを外して袴をつけ、大小二本を手にした。

「よし、今日こそ成敗する。沖田さんたちは道場にいるはずだからすぐに呼んでこよう」

 と、気合十分。だが、太一郎は慌てた。

「ま、まて、英次郎。そなたらの剣の腕前はよく存じておるが今回は無茶じゃ。あれは妖ゆえ、いつもの腰の物ではどうにもならぬであろう。さらに、斯様に怪しげなものにそなたを近寄らせるなどもっての外! 何かあっては御母堂さま……お絹さまに申し訳が立たぬ」

 大あわてで、身振り手振りを交えて早口に言う太一郎だが、英次郎は「親分、大丈夫。心配無用」と爽やかに言う。

 英次郎は一刀流の流れをくむ流派の免許皆伝、そのうえ、太一郎のやくざ稼業の手伝いや日々の用心棒稼業で実戦を重ねた結果、江戸で十本指に入る剣客になりつつある。

 そして近藤や沖田は、天然理心流にこの人ありと知られている。太一郎と英次郎は、江戸で起きたとある事件の折に近藤たちと知り合った。

 以来、英次郎はたびたび甲良屋敷にある天然理心流の道場まで足を運んで、彼らと親しく竹刀を交えている。

 剣術熱心を通り越した剣術馬鹿同士、馬が合ったらしい。剣術の腕前が確かだからといって、妖退治が大丈夫とは限らない。

「とにもかくにも、親分。なんの罪もない人々を追いかけまわして木刀で打ち据えるなど、武士にあるまじき所業。絶対に成敗する」

 幕臣であるからには……と、妙に古風な育ちの、年若い友人が荒れ家から駆け出していくのを、太一郎は心配そうに見送った。

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