だがひとたび家を出れば、奴は必ず襲ってくるわけで――。
日野宿本陣入り口、背後から襲い来る木刀を太一郎は振り向きざまに太い棒で受けた。そのまま本陣の外へ転げ出た太一郎は、
「きえぇい! こう見えて英次郎とともに、五日に一度、道場に通っておるで、多少の動きは心得ておる」
と、叫んだ。しかし狐火男はお構いなしで二撃目を浴びせようとするが、太一郎はさっと間合いを外して棒を正眼に構える。それを追いかけ殴りかかるが、太一郎はするりくるりとかわしてしまう。
仕掛け合ううちに、木刀が届く間合いに太一郎が入ってこないのだと見て取った狐火男は、無数の狐火を飛ばして太一郎を焼こうとした。だが、
「あっ、熱い……かようなものを、子どもや、何の罪もない人々に向けたのか! 許せぬ」
と、太一郎の怒りを招いてしまった。しかし同時に、それまで一言も声を発さず表情も変えなかった男の目が赤く光り、唇が微かに動いた。
「……ほこ……ら……やつら…………ゆるさ……ない……」
と、呟いた。しかもそれは人の声ではなく、低く響くような音であった。
「ほこら? ……祠か?」
考えた一瞬、太一郎に隙が生まれた。それを逃さず、狐火男は木刀を振り下ろした。
「ぎゃっ!」
次に太一郎が目を覚ました時、荒れ家に移されており、虫の声が聞こえた。
のろのろと目線を動かせば、狐火ではなく心配顔の英次郎と沖田が見えた。
「親分!」
「英次郎――あれはやはり、人じゃ」
そうか、と英次郎と沖田は頷く。
「視えぬ絡繰りはわからないが、人であるならそれがしが斬って捨てる。沖田さん、それでいいですね?」
友である太一郎を傷つけた相手は許さない、と、英次郎の目に怒りが浮かぶ。
「いや、そのようなことはさせられぬ。奴は危険じゃ。それに視えぬ敵を斬るのはさすがに難しい。わしが……」
「そこなんだが、親分がそれがしの目となりそれがしは親分の剣となる。どうだろう?」
一瞬絶句し、ならぬ、と喚く太一郎のそばで、沖田の目が丸くなった。
「英次郎、それは敢えて目を封じ敵を全身で感じようってことかい? 怖くはないかい?」
「不安がないわけではない……が、親分が視るものは信頼がおける。それに集中するためには己の目で見えるものは邪魔だ」
なるほど、と沖田が頷き、英次郎と共に、太一郎をじっと見る。
「それしか今のところ手立てはない、か……」
翌日戌の刻、緊張顔の太一郎は、一人で本陣周辺をふらふら歩いていた。
すぐに狐火がちらちらする。瞬時に沖田が抜刀し、果敢に狐火に斬りかかる。だが、無数の狐火に纏わりつかれて動きが取れなくなってしまった。沖田の顔が熱さに歪む。
「英次郎、あまり猶予はなさそうじゃ」
「承知」
布で目を覆った英次郎が呼吸を整えすっと立つ。狐火が英次郎を囲むが太一郎が狐火を伝えないため、英次郎はまったく動じない。それに気付いた狐火男は、木刀ではなく真剣を構えた。そよいでいた風がぴたりと止まる。
太一郎が逐一、狐火男の動きを英次郎に伝え、二合、三合と打ち合う。
「読めた」
白刃一閃、狐火男の腕が落ちた。汗まみれの英次郎が布を外す。するとその目に映ったのは地に落ちた古い刀と立ち尽くす男。
英次郎が声をかけようとした瞬間、刀身から火が噴き出した。それはたちまち巨大な炎となり大きく燃え上がり、刀もろとも跡形もなく消えてしまった。
「親分、狐火男はどこへ!」
と、近藤が駆けてくる。
「……炎と共に、消えてしまったようじゃ」
「くっ……逃がすものか」
英次郎と沖田、近藤が探索を相談しはじめる傍で、太一郎は一人、腕を組んで考え込んでいた。
翌朝。太一郎は一人で荒れ家の近くにある空地にいた。伸び放題の草むらの中、壊されて倒されたと思しき祠をみつけ、それを起こした。
「神はこれを壊されてお怒りであったのじゃな……」
饅頭と、竹筒に入れてきたお茶を供える。
「英次郎たちは方々を探索しておるが、狐火男は見つからぬ様子」
英次郎たちは、絶対に捕まえると息巻いていたが、太一郎は「世の中、詳らかにせぬ方がよいこともある」と探索に加わらなかった。
そもそも彼らは狐火男が視えない。
「視えない者を捕まえようとは無理なことをするものじゃ……」
言いながら、家の中で拾った紙片をそっと祠に置く。飛ばないよう、近くの石で押さえておく。
怒れる神に体を乗っ取られた男は、恐らく荒れ家の住人の浪人だ。妻を亡くした哀しみ、妻を助けてくれなかった人々への恨み、それらが、荒ぶる神を呼び寄せてしまったのかもしれない。
「神の怒りか人の怒りかわからぬが……あの夫婦もちゃんと弔わねばならんな……」
祠の前で静かに手を合わせる太一郎であった。
【了】