しかし、日野宿本陣についた瞬間、太一郎が落ち着きを欠いた。
「狐火がちらほら……ああっ、危ないっ!」
と、どたどたと駆け出し、道行く子どもたちにがばりと覆いかぶさった。
その瞬間、太一郎の背中すれすれを青白い狐火が走って、太一郎の羽織をわずかに焼いた。だが太一郎は懐に子どもたちを抱えたまま、狐火を操る男に対峙する。
「その方、なぜ幼子を襲う!」
「……し……」
「む? そなた化け狐か!? いや、人か……足がある」
「親分!? いったい……その子らは?」
「英次郎、この子らは無事じゃ。近藤どの、何をしておる! ほれ、ここに狐火を操る男じゃ。白い着物をぞろりと着流した優男が……」
だが英次郎と近藤は顔を見合わせて首を傾げる。太一郎が緊迫した様子で指をさす先には土埃が舞うのみ、人の気配も妖の気配も、何も感じられない。
「ど、どこにそのような男がおるのだ、親分」
「わしの目の前……。いや、もしや、視えておらぬのか……」
子どもの一人は「怖い」と青ざめ、もう一人と英次郎、近藤はきょとんとしている。
太一郎は愕然とした。
「なんということじゃ! 敵を倒す術を持つ英次郎の目に敵が映らず、倒す術を持たぬわしの目には映る……」
やくざの親分として様々な事件や怪異に巻き込まれてきている太一郎だが、さすがに今回は解決の手立てが思い浮かばない。
震える手で、泣く子の背中を撫でるしかなかった。
太一郎に目撃されたからか、その日以来、狐火男は襲撃する相手を選び始めた。なんと、太一郎を執拗に狙い始めたのだ。
太一郎の「目」を封じるつもりらしく、執拗に顔に向かって狐火を飛ばし、殴りかかってくる。
「くっ……逃げよ、英次郎!」
「親分!」
いやだ、と英次郎が刀を抜こうとするが、しかし倒すべき敵が視えない。刀の柄に手を掛けたままキョロキョロする。
「沖田どのも、ここに居てはならぬ。英次郎を連れて離れよ」
「……わかった、ここは親分に任せていったん引こう、英次郎」
「……仕方ない……」
しかしその都度周囲が大騒ぎになるので、太一郎と英次郎は、日野宿の外れにある荒れ家に移ることにした。
すると、なぜか襲撃はぴたりと止んだ。
「親分、ここはもともと身元不詳の浪人夫婦が住んでいたらしい」
英次郎が、隣人から聞いてきたらしい。
「ならば……これが名かな」
太一郎が神妙な顔で足元から拾い上げたのは夫婦の名と思しきものが書きつけられた紙片だ。部分的に赤黒く染まっている。
「そうだろうな。盗人が入り妻女が斬られたとか」
「なんと……悲劇じゃな」
「嫁女は、隣の祠まで逃げて倒れていたそうだ」
帰宅し異変に気付いた浪人は慌てて近隣の人々に助けを求めたが、余所者である彼らを助けてくれる者はなく、妻女は三日三晩苦しみ抜いて息を引き取った。
「しかも医者にすぐ見せておれば、助かったそうだ」
「惨い話しじゃな」
愛する妻を失った浪人は、絶望と怒りと悲しみに満ちた文を残して、妻を助けてくれと願いを掛けていた祠の前で自害したらしい。
「もしや……あの男はここに住んでいたのやもしれぬなぁ……」
親分がぽつりとつぶやく。
「そうか……それで恨みと悲しみに取り憑かれたか」
破れた屋根からぴゅうっと冷たい風が吹き込んだ。