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第7話 肉弾戦。

 南極に生じた異変を地表面管理局が観測した当初、ベルニク統帥府は事態を過小評価していた。


 否──より正確性を期すならば、それどころでは無かったと言うべきかもしれない。


 当時は大断絶後の混乱期である。


 供給不足による未曾有のインフレ、目前に迫っていた文字通りの飢餓、青鳩あおばとシンパに扇動された大衆の暴動、崩壊の危機に瀕した社会インフラへの対応──等々、統帥府は機能不全に陥る寸前だったのだ。


 そんな最中、槍の様な形状をした巨大な杭が南極点に穿うがたれ、杭を中心とした半径数十キロ圏内のエントロピー増大速度が異常であったとしても、古典人類が解決すべき問題であると片付けても責められはしまい。


 事情が変わったのは──、


「百足の門」


 船長の言葉を復唱したジャンヌは、海賊となってもなお優美な片眉を微かに上げた。


「フフ。あれをそう呼ぶ将官も居ましたわね。貴方、ひょっとして木星にいらしたの?」


 旧友を詰問した際とは打って変わり、ジャンヌは令嬢の声音で船長に尋ねた。


「あ、ああ。俺は木星方面管区艦隊所属だったんだ。お陰で月面防衛戦に参加できず──このザマさ」

「そう──」


 と、ジャンヌは何かを偲ぶかの様に瞳を瞬かせたが、すぐに厳しい表情へ戻すと右耳に装着しているFAT通信ユニットに触れる。


 残念ながら、現在の状況で昔話をしている余裕は無かったのだ。


「第一、第二小隊、応答せよ」


 << 了 >> << 了 >>


「当艦の右舷方向、ゴーストを視認」


 ゴースト、百足の門、回転モノリス、宇宙胞子──正式名称が定まっておらず様々に呼称されるそれは肉眼でしか確認出来ないという厄介な特性を具えていた。


 あらゆるレーダーに反応せず、各種素子を利用したイメージセンサでも捉える事が不可能だ。つまり、映像処理されたブリッジモニタからは存在すら検知出来ないのである。


 その為、南極点に打ち込まれた巨大な杭から胞子の如く無数のゴーストが射出され、成層圏を遥かに越えて宙域へ拡散した際にも、地表面管理局の監視網には一切の異常が観測されなかった。


 故に彼等が事態に気付いたのは、軌道都市と月面基地に実害が発生してからである──。


「各員、アクティブハーネスモジュールへ換装後、EVAスタンバイ」


 << 了 >> << 了 >>


「せ、船外活動E V A?」


 という船長の問いは当然ながら無視されたが、ロベニカも何が始まるのかと興味深そうな表情を浮かべている。


 他方、重力場シールドの内側に入り込み獲物の慣性系にフリーライドしたゴーストは、いつの間にか回転を止め、鏡面仕立ての滑らかな面をロベニカ達が見詰める舷窓へ向けていた。


 ゴーストが回転を止めた時、いよいよモノリスは「百足の門」となる。


 既に扁平な形状をした百足の頭部が面から多数露出しており、異界から藻掻もがき出ようと醜悪な螺旋運動を披露していた。


 その節足動物的な動きから南極百足はバイオハイブリット体なのであろう──と識者達は推測しているが真偽は未だ不明である。


「──クソ。来やがるぜ……」


 ここから先の悲劇は船長にとって火を見るより明らかだ。


 月面防衛戦から第三次討伐戦に至るまで幾度も繰り返されてきた悲劇である。


 ゼロ距離の敵排除を荷電粒子砲は得手とせず、ゴースト同様に南極百足は肉眼でしか補足出来ない為に各種誘導弾も使えない。


 尚且つ、船殻に張り付かれてしまえば、もはや排除は不可能となり喰われるのみとなる。


「いったい、どうするつも──」


 舷窓から目を離した船長は、ジャンヌの顔貌を見て思わず途中で言葉を飲み込んだ。


 ──な、なんちゅう表情してんやがんだ。

 ──いや、待てよ。まさか──この女──こ、この御方は……?


 絶体絶命と思える状況下で彼女の顔にあるのは、絶望ではなく圧倒的な喜悦である。


 ──木星務めのせいで、実物はついぞ拝めなかったが……。


 と、船長の錆びた胸奥に、久方ぶりの滾りが宿り始めた。


「各員、射出ッ!!」


 << 了 >> << 了 >>


 ジャンヌの号令一下、ブラックローズの射出ハッチより放たれた伸縮式テザーが、ロベニカ達の乗る旅客船右舷に伸びて吸着した。


 次いで、EVA仕様のパワードスーツを纏う装甲歩兵達が、MMUの推進剤を噴射しながら伸縮式テザーを伝い始める。


「おほ、マジかよっ!」


 EVAと聞いた時から予測はしていたが、船長も実際に目にするまでは半信半疑だったのだ。


 地表を離れ軌道上で暮らす事を選んだオビタルといえど、冷酷な宇宙空間に身一つで乗り出すのは古典人類同様に特別な体験である。


 救命艇に乗り込む孤独とは次元が異なった。


 あまつさえその状態で戦闘行動に出るなど凡そ正気の沙汰ではない。


 悪名高き宇宙海賊に相応しい無謀ぶりとも言えるが、船殻に張り付いた南極百足を始末するには肉弾戦が手っ取り早い解であるのも確かだった。


「──が──遠い。百足に届くのか?」


 と、船長は呟いた。


 ゴーストから蠢き出た数十匹の南極百足は、捕食相手に向かい地面を這うかの様に体幹を波打たせて真空中を突き進んでいるが、装甲歩兵達がスロープに利用している伸縮式テザーからは大きな距離がある。


 そのテザーから手を放し、MMU頼りで機動し接近するには、相当の蛮勇と技術が必要になるだろう。


 だが、船長の抱く懸念など杞憂に過ぎない。


「ガルよく展開」


 ブラックローズ天蓋部が上方へせり上がり、両舷へ扇状のウイングを広げていく。


 さらに、ウイングから何百本もの多関節式のアームが伸長し、テザーを渡る装甲歩兵とゴーストを囲む巨大なフィールドを形成し始めた。


「檻──?」


 とは、言い得て妙である。


「第一、第二小隊」


 ジャンヌがサーベルの切先を床へ下ろした。


「本艦を保護対象とし──」


 少なくとも海賊に皆殺しされる事態は回避されたのだ。


 無論、南極百足に喰われる可能性は残っている……。


「敵を殲滅せよ」


 直後、装甲歩兵達は快哉を上げ──はしなかったが、各々の腰部からハーネスをアームに向けて射出するとテザーから手を離した。


 彼等はMMUとハーネスを併用し、無重力下で肉弾戦を挑むのだ。


「私もく」


 つまりは、バルバストル。


 常在戦場である。

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