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第10話 南極方面隊、軍司令部にて。

「ええいっ、許せん!!!」


 南極方面隊司令部に戻ったオリヴァーは、苛々とした様子で執務机を拳で叩いた。


 同司令部は、解放同盟軍庁舎の地下──隣室は機械室である──に設営されているため、大きな騒音に紛れて誰も気にする者はいない……。


 そもそも、前時代の価値観に拘泥する老将の動静になど誰も興味が無いのだろう。


 ただし、一人だけは違った。


「ええ。僕も同感です」


 と、ディオ・ニクシーも憤懣遣る方無いといった様子だ。


 元々は経済分野を担う文官を志していたが、ベルニク崩壊後の世界では軍人となった。


「何かと言えば神託ですからね」


 ──"だって無駄だから。南極百足ムカデにオビタルは勝てない。それがオリュンポスの神託なの"


 突如、火星のオリュンポス山に舞い戻った超越知性体群メーティス。


 オビタルが量子の狭間に潜む悪魔と宗教的に定義してきた存在だが、軌道都市と地表世界を維持管理するシステムをあっさりと掌握してしまった。


 但し、そのお陰で大断絶後の混乱期を乗り越えたという側面もある。


 オリュンポス評議会が持つ権力の裏付けは、メーティスとコンタクトが取れるという一点に尽きた。


「まったく……。先史時代の悪魔に唯々諾々と従わざるをえんとはな……」


 と、オリヴァーは歯噛みした。


「ただ──、ロベニカさんが地球圏へ入った理由が分かりませんね……」


 木星行きの非正規旅客船を乗っ取り、地球圏へ単身乗り込んだ。


 そんな彼女を連れ戻すため、トーマス一座──つまり、船団国からの亡命者たちが派遣されている。

 オリュンポス評議会議長のグレンは、公安委員も解放同盟軍も動かさなかったのだ。


 そこには、グレンの置かれた政治的情勢と、全てを法の外で処理したいという思惑が見える。


「ベルニク屋敷が恋しくなったか、あるいは気でも触れたか……。裏切り者の考えることなど儂には分からんわい」

「いや、閣下には分かるのでは──ま、まあ、それは良しとしまして……」


 オリヴァー・ボルツは一度祖国を裏切った男だが、地表世界で目にした奇跡を端緒として心を入れ替えている。


 奇跡を起こした女男爵との契約に基づき、彼は地球圏を奪還しなければならないのだ。


 故にこそ、三次に渡る南極百足討伐作戦全てに参加し、現在もいつしか掃き溜めに成り果てた南極方面隊を率いているのである。


 まさに老骨に鞭打っている状態であった。


「いずれにせよ、まずは監査部のマクシミリアン氏が鬼門です」


 領主が意のままに軍を動かせた時代とは打って変わり、解放同盟軍の戦略や作戦はオリュンポス評議会の承認を得なければならない。


 その評議会で議論の俎上に乗せる議題を、公安委員会監査部が選別するのである。


 つまり、マクシミリアンが首を縦に振らないと何も進まない……。


「あのオカマめ……」

「閣下──それは──」


 ディオが、旧き男オリヴァーの価値観を窘めようとした時のことだ。


「相変わらず、シケた部屋だな」


 などと言いながら司令部へ入ってきたのは──、


「げげっ!」

「あ、母さん」


 テルミナ・ニクシーである。


「ぐぬぬ、いつも貴様はどうやって入ってくるのだ? 軍庁舎だぞ、ここは」

「ツケで飲む阿呆が多いんだよ。オメェもだぞ、この野郎」

「……う」


 返す言葉を失ったオリヴァーの前に立った女は、今も幼女と見紛う容姿である。


 とはいえ、メイクと身なりから夜の商売を営んでいる様子は窺えた。


「そ、その、次の給料日には──」

「今日のあたしは、そんな話をしに来たわけじゃねぇんだよ」

「では、いったい何の用が──」

「小耳に挟んだんだが、ロベニカが抜け駆けしたらしいじゃねぇか?」


 特務機関デルフォイは既に存在しない。

 現在のテルミナは、アレスの繁華街で数件の高級クラブを経営する女に過ぎない。


 表向きは──だが……。


「あれを抜け駆けと言うのか? 自殺行為にしか見えんがな」


 オリヴァーの脳裏には、今頃非正規旅客船ごと南極百足に喰われている姿が容易に浮かんだ。

 巻き添えとなった不運なパイロットに同情心すら湧いている。


「今さら死ぬようなタマか。30年間、裏切り者と罵られ続けながら、それでもオリュンポス評議会の権力中枢にしがみついてきた女だぞ」

「だからこそ、ではないか? 全てに嫌気が差したのかもしれん。そして、最後は嘗ての主人の傍で死のうと……」

「ば〜か」


 テルミナは指先でオリヴァーのカイゼル髭を弾いた。


「んなカビの生えた騎士道物語が成立するかよ。百歩譲って、主人が生きてるのに、なんだって死ぬ必要があるんだ?」

「い、生きている──だと? いや、確かに生きているのかもしれんが、もはや生死に意味など無いだろう」


 光速度の壁がある限り、他星系の存在に同時代性を感じる事が人類には出来ない。


「いいや、違うね。ロベニカが動いたって事はきっと近いのさ」


 何が──とは、オリヴァーもディオも問わなかった。


「王様のお帰りがな」


 となれば、テルミナにも成すべき事が幾つかあるのだ。

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