数日後の放課後。
リセから「ちょっと用事があるから先に帰って」と言われたので、俺は一人で教室を出た。
近道をするために校舎の裏へ続く通路を曲がったとき、思わず足を止める。
そこには水原の姿があった。壁に背を向けて立っており、男子生徒三人に囲まれている。その状況が明らかに普通ではないことは一目でわかった。
「だからさ、ちょっとだけでいいんだよ。一緒にカラオケ行こうぜ」
「お断りします」
水原の声は小さいが、毅然としていた。
「なんでだよ。川崎だっけ? あんな不良なんかと付き合ってるってどうせ嘘だろ?」 「本当です」
リーダー格の男子が水原に近づく。まるで壁ドンするかのように、水原の横の壁に手をついた。
「ったく、だりぃな。誰にでも股開くんだろ、ヤらせてくれよ」
その言葉に、水原の顔が強張る。男子生徒たちは意地悪く笑い、さらに彼女を追い詰めていく。
その瞬間、俺は何も考えず駆け出していた。
「水原!」
その声に、男子生徒たちが振り向く。水原も顔を上げ、驚いたような表情で俺を見つめた。
「お前らなにしてんだ」
冷たい声で俺が言うと、男子生徒たちは一歩引いた。
「いや、ただ話してただけだろ」
「ただの話とは思えないんだが」
水原の前に立ち、男子生徒たちをにらみつける。
リーダー格の男子が鼻で笑った。
「なんだよ、お前が川崎か?」
「だったら何だ?」
「お前、色々噂になってんな。中学の時に上級生をボコボコにしたとか.」
男子はもう一歩前に進み、挑発的な笑みを浮かべた。
「でもよぉ、噂ほどじゃねーな。んなショボい奴が水原の彼氏だなんてな」
残りの二人も前に出て、三人で俺を取り囲む形になった。
「なんだよ」
俺は水原を後ろに下げて、相手に向き直った。喧嘩はしたくなかったが、挑発してくるなら仕方ない。
「川崎くん.やめて」
水原が小さな声で言うが、もう止められる状況ではなかった。
「お前ら何年だ?」
「3年だよ。怖ぇか?」
「別に」
俺の冷静な対応に、男子たちの顔が少し引きつった。だが、リーダー格の男子はすぐに挑発的な笑みを浮かべ直した。
「3対1だぜ、勝てると思ってんのか?」
そう言って、俺に向かって拳を振り上げてきた。だが、その動きは遅い。
俺は体を僅かにずらし、相手の拳を軽くかわした。勢いあまって前のめりになったリーダーの腕を掴み、そのまま彼を地面に押さえつける。
「ぐっ.!」
リーダーが悲鳴を上げる間もなく、残りの二人も攻撃してきた。
一人は正面から、もう一人は右側から。
俺は素早く身をかがめ、正面からの相手の腹に肘打ちを入れる。「うっ」と苦しそうな声を上げて、その男子は膝をつく。
右からの攻撃は肩に当たったが、痛みを無視して俺はすぐに体勢を立て直した。
「てめぇ.!」
最後の一人が再び襲いかかってくる。俺は冷静に相手の動きを見極め、攻撃をかわしながら隙を突いた。
右のフックが相手の顎を捉え、男子はよろめいて後ろに倒れる。
「くそっ」
最初に倒したリーダーが立ち上がろうとするが、俺は彼の胸倉を掴み、壁に押し付けた。
「次また水原に近づいたら、本気で潰す」
低く、しかし確信を持った声で言い切ると、リーダーの顔から血の気が引く。
「わ、分かった。もう関わらねぇよ」
俺はリーダーを放し、三人を睨みつけた。彼らは互いを支え合うようにして、急いで立ち去っていった。
水原はその場に駆け寄ってきた。俺の様子を心配そうに見上げる。
「大丈夫? 怪我してない⁉︎」
「ああ。こんなもん、かすり傷だ」
右肩を撫でながら言ったが、実際には少し痛みが走る。水原はそれに気づいたのか、心配そうに俺の肩に触れた。
「痛いんでしょ? ごめんね、あたしのせいで」
「お前のせいじゃない。あいつらが悪いんだ」
俺は水原の目をまっすぐ見て言った。彼女の目には涙が浮かんでいた。
「こわかった……!」
水原の肩が小刻みに震える。
「水原」
俺は迷わず彼女の背中に手を回した。か細く震える水原の体を通して、彼女の恐怖が伝わってくる。
「もう大丈夫だ」
「うん」
しばらく抱きしめていた水原は、ようやく落ち着いたのか、俺から少し体を離した。
水原は袖で目元を拭い、無理やり笑顔を作ろうとする。だが、その笑顔には明らかな不自然さがあった。
「無理に笑うなよ」
「え?」
「怖かったなら怖かったでいい。無理に強がる必要はない」
俺の言葉に、水原の目に再び涙が浮かんだ。
「どうして」
「ん?」
「どうして川崎くんはそんなに優しいの?」
その問いに、俺は言葉を失った。優しいだなんて、今まで言われたことがなかった。
「いや、俺が優しいわけないだろ」
「違うよ。川崎くんは本当に優しい。だから」
水原は言葉を切り、深くため息をついた。 「だから余計に辛い……」
「何が?」
「川崎くんとリセちゃん。本当は二人がお似合いなんだって。あたしが余計なことしてるんだって。そう思うと辛くて」
俺は何も言えず、ただ水原の頭をそっと撫でた。彼女の肩から力が抜け、俺の胸に頭を預ける。
「家まで送るよ」
「え、でも川崎くん、バイトは?」
「いいから」
俺は水原の肩を抱きながら、裏門へと歩き出した。彼女は抵抗することなく、俺にもたれかかるようにして歩いた。
「川崎くん」
「何だ?」
「本当は……あたし、もっと川崎くんのこと知りたい」
意外な言葉に、俺は少し戸惑った。
「俺のこと? 何も面白いことなんてないぞ」
「そんなことない。川崎くんのことは全部知りたい」
水原はそう言って、俺をまっすぐに見つめた。一瞬、何か言いかけたようだったが、途中で言葉を飲み込む。
「まあ、いつか話す機会もあるだろ」
「うん」
住宅街に入ると、水原は足を止めた。
「ここまででいいよ。一人で帰れるから」
「大丈夫か?」
「うん。今日は、ありがとう。川崎くん」
水原は俺を見上げ、弱々しく微笑んだ。その表情には、いつもの明るさはない。
だが、素直な感謝の色が浮かんでいた。
「またね」
「ああ」
水原は去り際に振り返り、一瞬だけ強い決意の色が目に浮かんだようにも思えた。
だが、すぐに彼女の小さな背中は夕暮れの街角に溶けていった。