目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第34話 もっと知りたい

 数日後の放課後。


 リセから「ちょっと用事があるから先に帰って」と言われたので、俺は一人で教室を出た。


 近道をするために校舎の裏へ続く通路を曲がったとき、思わず足を止める。


 そこには水原の姿があった。壁に背を向けて立っており、男子生徒三人に囲まれている。その状況が明らかに普通ではないことは一目でわかった。


「だからさ、ちょっとだけでいいんだよ。一緒にカラオケ行こうぜ」


「お断りします」


 水原の声は小さいが、毅然としていた。


「なんでだよ。川崎だっけ? あんな不良なんかと付き合ってるってどうせ嘘だろ?」 「本当です」


 リーダー格の男子が水原に近づく。まるで壁ドンするかのように、水原の横の壁に手をついた。


「ったく、だりぃな。誰にでも股開くんだろ、ヤらせてくれよ」


 その言葉に、水原の顔が強張る。男子生徒たちは意地悪く笑い、さらに彼女を追い詰めていく。


 その瞬間、俺は何も考えず駆け出していた。


「水原!」


 その声に、男子生徒たちが振り向く。水原も顔を上げ、驚いたような表情で俺を見つめた。


「お前らなにしてんだ」


 冷たい声で俺が言うと、男子生徒たちは一歩引いた。


「いや、ただ話してただけだろ」


「ただの話とは思えないんだが」


 水原の前に立ち、男子生徒たちをにらみつける。


 リーダー格の男子が鼻で笑った。


「なんだよ、お前が川崎か?」


「だったら何だ?」


「お前、色々噂になってんな。中学の時に上級生をボコボコにしたとか.」


 男子はもう一歩前に進み、挑発的な笑みを浮かべた。


「でもよぉ、噂ほどじゃねーな。んなショボい奴が水原の彼氏だなんてな」


 残りの二人も前に出て、三人で俺を取り囲む形になった。


「なんだよ」


 俺は水原を後ろに下げて、相手に向き直った。喧嘩はしたくなかったが、挑発してくるなら仕方ない。


「川崎くん.やめて」


 水原が小さな声で言うが、もう止められる状況ではなかった。


「お前ら何年だ?」


「3年だよ。怖ぇか?」


「別に」


 俺の冷静な対応に、男子たちの顔が少し引きつった。だが、リーダー格の男子はすぐに挑発的な笑みを浮かべ直した。


「3対1だぜ、勝てると思ってんのか?」


 そう言って、俺に向かって拳を振り上げてきた。だが、その動きは遅い。


 俺は体を僅かにずらし、相手の拳を軽くかわした。勢いあまって前のめりになったリーダーの腕を掴み、そのまま彼を地面に押さえつける。


「ぐっ.!」


 リーダーが悲鳴を上げる間もなく、残りの二人も攻撃してきた。


 一人は正面から、もう一人は右側から。


 俺は素早く身をかがめ、正面からの相手の腹に肘打ちを入れる。「うっ」と苦しそうな声を上げて、その男子は膝をつく。


 右からの攻撃は肩に当たったが、痛みを無視して俺はすぐに体勢を立て直した。


「てめぇ.!」


 最後の一人が再び襲いかかってくる。俺は冷静に相手の動きを見極め、攻撃をかわしながら隙を突いた。


 右のフックが相手の顎を捉え、男子はよろめいて後ろに倒れる。


「くそっ」


 最初に倒したリーダーが立ち上がろうとするが、俺は彼の胸倉を掴み、壁に押し付けた。


「次また水原に近づいたら、本気で潰す」


 低く、しかし確信を持った声で言い切ると、リーダーの顔から血の気が引く。


「わ、分かった。もう関わらねぇよ」


 俺はリーダーを放し、三人を睨みつけた。彼らは互いを支え合うようにして、急いで立ち去っていった。


 水原はその場に駆け寄ってきた。俺の様子を心配そうに見上げる。


「大丈夫? 怪我してない⁉︎」


「ああ。こんなもん、かすり傷だ」


 右肩を撫でながら言ったが、実際には少し痛みが走る。水原はそれに気づいたのか、心配そうに俺の肩に触れた。


「痛いんでしょ? ごめんね、あたしのせいで」


「お前のせいじゃない。あいつらが悪いんだ」


 俺は水原の目をまっすぐ見て言った。彼女の目には涙が浮かんでいた。


「こわかった……!」


 水原の肩が小刻みに震える。


「水原」


 俺は迷わず彼女の背中に手を回した。か細く震える水原の体を通して、彼女の恐怖が伝わってくる。


「もう大丈夫だ」


「うん」


 しばらく抱きしめていた水原は、ようやく落ち着いたのか、俺から少し体を離した。


 水原は袖で目元を拭い、無理やり笑顔を作ろうとする。だが、その笑顔には明らかな不自然さがあった。


「無理に笑うなよ」


「え?」


「怖かったなら怖かったでいい。無理に強がる必要はない」


 俺の言葉に、水原の目に再び涙が浮かんだ。


「どうして」


「ん?」


「どうして川崎くんはそんなに優しいの?」


 その問いに、俺は言葉を失った。優しいだなんて、今まで言われたことがなかった。


「いや、俺が優しいわけないだろ」


「違うよ。川崎くんは本当に優しい。だから」


 水原は言葉を切り、深くため息をついた。 「だから余計に辛い……」


「何が?」


「川崎くんとリセちゃん。本当は二人がお似合いなんだって。あたしが余計なことしてるんだって。そう思うと辛くて」


 俺は何も言えず、ただ水原の頭をそっと撫でた。彼女の肩から力が抜け、俺の胸に頭を預ける。


「家まで送るよ」


「え、でも川崎くん、バイトは?」


「いいから」


 俺は水原の肩を抱きながら、裏門へと歩き出した。彼女は抵抗することなく、俺にもたれかかるようにして歩いた。


「川崎くん」


「何だ?」


「本当は……あたし、もっと川崎くんのこと知りたい」


 意外な言葉に、俺は少し戸惑った。


「俺のこと? 何も面白いことなんてないぞ」


「そんなことない。川崎くんのことは全部知りたい」


 水原はそう言って、俺をまっすぐに見つめた。一瞬、何か言いかけたようだったが、途中で言葉を飲み込む。


「まあ、いつか話す機会もあるだろ」


「うん」


 住宅街に入ると、水原は足を止めた。


「ここまででいいよ。一人で帰れるから」


「大丈夫か?」


「うん。今日は、ありがとう。川崎くん」


 水原は俺を見上げ、弱々しく微笑んだ。その表情には、いつもの明るさはない。


 だが、素直な感謝の色が浮かんでいた。


「またね」


「ああ」


 水原は去り際に振り返り、一瞬だけ強い決意の色が目に浮かんだようにも思えた。


 だが、すぐに彼女の小さな背中は夕暮れの街角に溶けていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?