水原の部屋にて。俺は窓の外を眺めていた。
「川崎くん、ダメだよ、もう少し近づいて!」
水原は俺の脇に立ち、スマホを掲げる。
「いや、こんなもんでいいだろ」
「ダメ! もっと顔くっつけてよ」
水原は強引に俺の顔を引き寄せる。二人の頬がくっつき、水原が「はい、チーズ」と笑顔で言う。シャッター音とともに、画面には二人の笑顔が収められた。
「見て見て! いい写真じゃない?」
「まあ」
俺は少し照れくさそうに頬を掻く。あれから二週間、俺たちはすっかり恋人らしくなっていた。
「ねね、今週の日曜日、空いてる?」
「空いてるけど」
水原はにっこりと笑った。
「じゃ、デートの計画立てといて!」
「へいへい」
俺は自分でも驚くほど自然に返事をしていた。もはや契約という意識はほとんどない。
「ねえ……」
水原が急に真剣な顔になる。
「なに?」
「最近……リセちゃんと会ってる?」
「いや、あんまり」
「そっか……」
水原はほっとしたような、どこか申し訳なさそうな表情を見せた。
「あたしのわがままで川崎くんとリセちゃんの仲を……」
「気にすんな」
俺は水原の頭に手を置き、優しく撫でた。
と、そこでドアチャイムが鳴った。
「あれ、誰だろ……」
水原が不思議そうにドアを開けると、そこにはリセが立っていた。
「リセちゃん?」
「こんにちは、水原先輩……」
リセの表情は硬く、どこか決意を秘めているように見えた。
「あの……ヒロもいると思って……」
「ん? うん、いるよ」
リセは玄関に立ち、少し迷うような表情を見せていた。
「ちょっと話があって」
リセの声には緊張感が混じっていた。水原は少し戸惑いながらも、にこやかな笑顔を作る。
「川崎くん、リセちゃんが来たよ」
「リセ、どうした?」
「ごめんね、邪魔して。でも話しておきたいことがあって」
水原は愛想よく紅茶を用意する。リセは俺の対面に座った。居心地の悪い沈黙が部屋を満たす。
「ヒロと水原先輩に伝えなきゃいけないことがあるの」
「なに?」
水原が甘い声で尋ねるが、その目は冷たく警戒している。
リセは小さく息を吐き、バッグから封筒を取り出した。
「これ白野さんから渡されたものなんです」
その言葉に、水原の表情が一瞬で変わった。目が見開き、顔から血の気が引いていく。
「白野に会ったの?」
「うん。昨日連絡があって」
リセは俺だけを見て言った。
「水原先輩のことを調べてほしいって」
水原は封筒を見つめ、顔が青ざめた。指先が小刻みに震えている。
「中身、見たの?」
「見ました。これが本当なのか、先輩に直接聞きたくて来たんです」
俺は混乱し、二人の間に流れる緊張に戸惑っていた。
「リセ、白野のやつ何て言ってたんだ?」
リセは言いづらそうに言葉を選びながら説明した。白野の言葉、写真、水原の非公開SNSのスクリーンショット。そして何より、母親の借金と俺との契約のことまで白野が知っていたという事実。
話を聞くたび、俺の中で不安と怒りが高まっていく。白野がどこからこの情報を得たのか。そして水原を貶めようとしている意図が見え隠れしていた。
「そんな」
水原はうつむいたままだった。唇を強く噛みしめ、両手は震えている。
「水原、大丈夫か?」
俺が彼女の肩に手を置くと、リセの目に一瞬嫉妬の色が浮かんだ。
水原はゆっくりと顔を上げた。その瞳には涙が浮かんでいた。
「川崎くん.リセちゃん」
水原はかすれた声で言った。
「あたし、確かに川崎くんのことを前から知ってて、一目惚れして.ずっと想ってた。だから.この学校に来たのも、偶然じゃない」
水原は泣きそうな顔で続けた。
「でも、盗撮なんてしてない! あの写真は白野先輩が捏造したものだよ!」
「じゃあ、SNSの投稿は?」
リセが冷たい声で尋ねる。その口調には明らかな敵意が込められていた。
水原は目を伏せた。
「それは.本当。あたし、川崎くんに会いたくて転校したの。でも、ストーカーじゃない.ただ好きだった」
俺は複雑な気持ちを抱えながら、水原を見つめていた。彼女の告白は意外だったが、それが彼女の感情を偽りにするわけではない。
「水原」
そこでリセが立ち上がった。その目には怒りと悲しみが混ざっていた。
「私、最初からなにかあるって思ってました。水原先輩は手段を選ばない人なんですね」
「ま、待ってよリセちゃん!」
「じゃあこれは何ですか?」
リセは封筒から写真を取り出し、テーブルに叩きつけた。それは俺のアパートを遠くから撮影した写真だった。
「これ.あたしじゃない」
「じゃあSNSの投稿は? 『ついに川崎くんのいる学校に転入できることになった。お父さんに頼んでよかった。絶対に手に入れてみせる』これはどう説明するんですか?」
水原は言葉につまった。
「リセ、落ち着け」
俺は二人の間に入った。
「白野のやつ、こんな形で俺たちを引き離そうとしてるのかもしれない」
「ヒロ」
リセは悲しそうな目で俺を見た。
「水原、盗撮とかはしてないんだよな?」
「確かに川崎くんのこと調べたりはしたけど、そんな異常なことはしてない!」
リセはまだ疑わしそうに水原を見ていた。その目には明らかな敵意と悲しみが混ざっている。
「でも」
リセが小さな声で続けた。
「お金でヒロを縛ったのは事実ですよね?」
「それは、あたし、他に方法を思いつかなくて」
「リセ、それは違う。俺と水原の関係は、もう金で結ばれてるわけじゃない」
その言葉に、水原の目が大きく見開かれる。
「川崎くん」
「これでもヒロは水原先輩を選ぶんだね」
リセは急いでバッグを手に取り、立ち上がった。
「私.帰ります」
「リセ、待てって」
俺が呼び止めようとしたが、リセは振り返らなかった。
「もう、ヒロの気持ちがわかったから」
そう言って、リセは部屋を後にした。ドアが閉まる音が、妙に重く響いた。
水原は俺の前に膝をつき、泣きながら言った。
「川崎くんあたしのこと信じてくれるの?」
「ああ」
「白野先輩のことも、あたしが川崎くんの情報集めてたことも.全部知ってもなお?」
俺は深く息を吐き、水原の手を取った。
「始まりがどうであれ、今の気持ちは本物だ。それだけは確かだよ」
水原の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「ありがとう川崎くん」
俺たちは黙ったまま、互いの手を握りしめていた。だが、リセの悲しそうな顔が頭から離れない。彼女の気持ちを無視するのは、あまりにも残酷だと感じた。
「リセに謝らないとな」
「うん、あたしも謝りたい」
水原はそう言いながらも、なぜか安心したような表情を浮かべていた。まるで、ライバルを退けた勝者のように。