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第43話 はい、チーズ

 水原の部屋にて。俺は窓の外を眺めていた。


「川崎くん、ダメだよ、もう少し近づいて!」


 水原は俺の脇に立ち、スマホを掲げる。


「いや、こんなもんでいいだろ」


「ダメ! もっと顔くっつけてよ」


 水原は強引に俺の顔を引き寄せる。二人の頬がくっつき、水原が「はい、チーズ」と笑顔で言う。シャッター音とともに、画面には二人の笑顔が収められた。


「見て見て! いい写真じゃない?」


「まあ」


 俺は少し照れくさそうに頬を掻く。あれから二週間、俺たちはすっかり恋人らしくなっていた。


「ねね、今週の日曜日、空いてる?」


「空いてるけど」


 水原はにっこりと笑った。


「じゃ、デートの計画立てといて!」


「へいへい」


 俺は自分でも驚くほど自然に返事をしていた。もはや契約という意識はほとんどない。


「ねえ……」


 水原が急に真剣な顔になる。


「なに?」


「最近……リセちゃんと会ってる?」


「いや、あんまり」


「そっか……」


 水原はほっとしたような、どこか申し訳なさそうな表情を見せた。


「あたしのわがままで川崎くんとリセちゃんの仲を……」


「気にすんな」


 俺は水原の頭に手を置き、優しく撫でた。


 と、そこでドアチャイムが鳴った。


「あれ、誰だろ……」


 水原が不思議そうにドアを開けると、そこにはリセが立っていた。


「リセちゃん?」


「こんにちは、水原先輩……」


 リセの表情は硬く、どこか決意を秘めているように見えた。


「あの……ヒロもいると思って……」


「ん? うん、いるよ」


 リセは玄関に立ち、少し迷うような表情を見せていた。


「ちょっと話があって」


 リセの声には緊張感が混じっていた。水原は少し戸惑いながらも、にこやかな笑顔を作る。


「川崎くん、リセちゃんが来たよ」


「リセ、どうした?」


「ごめんね、邪魔して。でも話しておきたいことがあって」


 水原は愛想よく紅茶を用意する。リセは俺の対面に座った。居心地の悪い沈黙が部屋を満たす。


「ヒロと水原先輩に伝えなきゃいけないことがあるの」


「なに?」


 水原が甘い声で尋ねるが、その目は冷たく警戒している。


 リセは小さく息を吐き、バッグから封筒を取り出した。


「これ白野さんから渡されたものなんです」


 その言葉に、水原の表情が一瞬で変わった。目が見開き、顔から血の気が引いていく。


「白野に会ったの?」


「うん。昨日連絡があって」


 リセは俺だけを見て言った。


「水原先輩のことを調べてほしいって」


 水原は封筒を見つめ、顔が青ざめた。指先が小刻みに震えている。


「中身、見たの?」


「見ました。これが本当なのか、先輩に直接聞きたくて来たんです」


 俺は混乱し、二人の間に流れる緊張に戸惑っていた。


「リセ、白野のやつ何て言ってたんだ?」


 リセは言いづらそうに言葉を選びながら説明した。白野の言葉、写真、水原の非公開SNSのスクリーンショット。そして何より、母親の借金と俺との契約のことまで白野が知っていたという事実。


 話を聞くたび、俺の中で不安と怒りが高まっていく。白野がどこからこの情報を得たのか。そして水原を貶めようとしている意図が見え隠れしていた。


「そんな」


 水原はうつむいたままだった。唇を強く噛みしめ、両手は震えている。


「水原、大丈夫か?」


 俺が彼女の肩に手を置くと、リセの目に一瞬嫉妬の色が浮かんだ。


 水原はゆっくりと顔を上げた。その瞳には涙が浮かんでいた。


「川崎くん.リセちゃん」


 水原はかすれた声で言った。


「あたし、確かに川崎くんのことを前から知ってて、一目惚れして.ずっと想ってた。だから.この学校に来たのも、偶然じゃない」


 水原は泣きそうな顔で続けた。


「でも、盗撮なんてしてない! あの写真は白野先輩が捏造したものだよ!」


「じゃあ、SNSの投稿は?」


 リセが冷たい声で尋ねる。その口調には明らかな敵意が込められていた。


 水原は目を伏せた。


「それは.本当。あたし、川崎くんに会いたくて転校したの。でも、ストーカーじゃない.ただ好きだった」


 俺は複雑な気持ちを抱えながら、水原を見つめていた。彼女の告白は意外だったが、それが彼女の感情を偽りにするわけではない。


「水原」


 そこでリセが立ち上がった。その目には怒りと悲しみが混ざっていた。


「私、最初からなにかあるって思ってました。水原先輩は手段を選ばない人なんですね」


「ま、待ってよリセちゃん!」


「じゃあこれは何ですか?」


 リセは封筒から写真を取り出し、テーブルに叩きつけた。それは俺のアパートを遠くから撮影した写真だった。


「これ.あたしじゃない」


「じゃあSNSの投稿は? 『ついに川崎くんのいる学校に転入できることになった。お父さんに頼んでよかった。絶対に手に入れてみせる』これはどう説明するんですか?」


 水原は言葉につまった。


「リセ、落ち着け」


 俺は二人の間に入った。


「白野のやつ、こんな形で俺たちを引き離そうとしてるのかもしれない」


「ヒロ」


 リセは悲しそうな目で俺を見た。


「水原、盗撮とかはしてないんだよな?」


「確かに川崎くんのこと調べたりはしたけど、そんな異常なことはしてない!」


 リセはまだ疑わしそうに水原を見ていた。その目には明らかな敵意と悲しみが混ざっている。


「でも」


 リセが小さな声で続けた。


「お金でヒロを縛ったのは事実ですよね?」


「それは、あたし、他に方法を思いつかなくて」


「リセ、それは違う。俺と水原の関係は、もう金で結ばれてるわけじゃない」


 その言葉に、水原の目が大きく見開かれる。


「川崎くん」


「これでもヒロは水原先輩を選ぶんだね」


 リセは急いでバッグを手に取り、立ち上がった。


「私.帰ります」


「リセ、待てって」


 俺が呼び止めようとしたが、リセは振り返らなかった。


「もう、ヒロの気持ちがわかったから」


 そう言って、リセは部屋を後にした。ドアが閉まる音が、妙に重く響いた。


 水原は俺の前に膝をつき、泣きながら言った。


「川崎くんあたしのこと信じてくれるの?」


「ああ」


「白野先輩のことも、あたしが川崎くんの情報集めてたことも.全部知ってもなお?」


 俺は深く息を吐き、水原の手を取った。


「始まりがどうであれ、今の気持ちは本物だ。それだけは確かだよ」


 水原の顔に安堵の表情が浮かんだ。


「ありがとう川崎くん」


 俺たちは黙ったまま、互いの手を握りしめていた。だが、リセの悲しそうな顔が頭から離れない。彼女の気持ちを無視するのは、あまりにも残酷だと感じた。


「リセに謝らないとな」


「うん、あたしも謝りたい」


 水原はそう言いながらも、なぜか安心したような表情を浮かべていた。まるで、ライバルを退けた勝者のように。

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