リセの家を後にした俺は、次に水原の家に向かうことにした。彼女の言い分も聞かなければ。
水原の家に着くと、インターホンを押したが応答がない。何度か押しても反応がなかった。
「おかしいな……」
考えていると、スマホが震えた。水原からのメッセージだった。
『ごめん、今日はゆっくり休みたい。また明日ね』
短い文面に、彼女の疲れが感じられた。返信は簡潔に。
『わかった。明日学校で』
翌日、俺が教室に入ると、リセの姿があった。机に向かって黙々とノートを書いている。
「おはよう」
「あ、ヒロ。おはよう」
リセは少し緊張した様子だったが、いつもの優しい笑顔を見せた。
「調子は?」
「うん、大丈夫。昨日はゆっくり休めたから」
「そうか」
リセは少し躊躇った後、小さな声で言った。
「水原先輩は?」
「連絡はしたけど、まだ会ってない」
「そう……」
授業が始まり、何とか平常心を保とうと努めた。だが、水原との関係、リセとの関係、そして白野の言葉が頭から離れなかった。
昼休み、俺は水原のクラスに向かった。教室に入ると、水原は窓際で一人、弁当を食べていた。
「水原」
「あ、川崎くん……」
彼女の表情には疲れと不安が滲んでいた。
「大丈夫か?」
「うん、ごめんね。昨日は会えなくて」
「気にするな」
俺が隣に座ると、水原は少し距離を置いた。いつもなら喜んで腕に抱きつくのに。
「川崎くん、聞きたいことがあるんだけど……」
「なんだ?」
「昨日、リセちゃんに会った?」
「ああ」
その答えに、水原の表情が曇った。
「そっか……」
「ただ話し合っただけだよ」
「……うん」
水原は弁当を見つめたまま、俯いた。
「川崎くん、もしかして、あたしのこと信じられなくなった?」
その問いに、俺は一瞬言葉に詰まった。信じたいという気持ちと、もやもやとした疑念の間で揺れていた。
「水原、俺はお前を信じてる。それだけは確かだ」
水原の目に涙が浮かんだ。
「でも、もう少し時間が欲しい」
「……そっか」
水原は小さく頷いた。その表情には諦めと悲しみが混ざっていた。
「わかった。川崎くんがあたしを疑うのも無理ないよね」
「疑うっていうより、ただ真実が知りたいだけなんだ」
「うん……」
その日の放課後、三人はそれぞれ別々に帰った。俺は一人、夕暮れの街を歩きながら考えていた。
土曜日がやってきた。俺とリセは、白野が指定した駅前のカフェに向かった。
カフェに入ると、最奥の席に白野の姿があった。俺たちを見つけると、手を挙げて合図した。
「やぁ、来てくれたんだね」
白野は余裕の笑みを浮かべていた。その態度に、無性に腹が立った。
「白野、話って何だ?」
俺たちが席に着くと、白野はコーヒーを一口飲んでから、ゆっくりと口を開いた。
「川崎くん、君はしおりのことをどれだけ知ってる?」
「お前が何を言いたいのか、わからないんだが」
白野は意地悪く笑った。
「君の借金を肩代わりした金、どこから出てきたと思う?」
「水原の家が金持ちなのは知ってる」
「そうそう。でも、なぜ彼女の家が金持ちなのか考えたことある?」
「はあ?」
「興味を持つべきだよ。なぜなら、それは君と深い関係があるから」
白野はスマホを取り出し、画面を俺たちに見せた。そこには新聞記事のスクリーンショットが映っていた。
「これは2年前の記事。水原グループが教育関連会社を買収したというニュース」
「それが何だっていうんだ?」
白野は意地悪く笑った。
「その買収された会社、知ってる?」
「……」
「見覚えあるでしょ? そう、君のお母さんが働いていた会社だよ」
俺の血の気が引いた。そして、それが水原の家の会社に買収されたというのか。
「これはたまたまだろ」
「たまたま? それなら、このニュースは?」
白野は別の記事を見せた。買収後、多くの社員が整理解雇されたというニュース。
「ほら、ここに名前がある。『川崎美樹』。君のお母さんだよね?」
母の名前が確かにそこにあった。俺は言葉を失った。
「つまり、しおりの父親は君のお母さんを解雇した張本人。そして、それが原因で君のお母さんの生活が苦しくなった。投資や競馬に手を出すようになったのもその頃からだよ」
リセが息を呑む音が聞こえた。
「つまり、水原先輩は……」
「そう、彼女は最初から全てを知っていた。川崎くんのお母さんが自分の父親の会社で解雇されたこと、その後の経済的苦境、そしてギャンブルへの依存。全部把握した上で近づいた」
俺の頭の中が真っ白になった。もしそれが本当なら、水原は最初から俺の不幸を知っていたことになる。そして、その不幸を利用して近づいたということか。
「これだけじゃない」
白野は続けた。
「しおりはね、君のお母さんの借金の取り立てを止めさせることもできた。水原グループならそれくらい簡単にできる。でも、そうしなかった」
「何で?」
「さあ、どうしてだと思う?」
白野の目が意地悪く光る。
「川崎くんを"買う"ためさ。彼女は君を自分のものにするために、わざとお母さんの借金を放置して、最後の最後で"救世主"を演じた」
俺の中で怒りが湧き上がってきた。だが、同時に疑念も。これはあくまで白野の言い分。本当かどうかは確かめないと。
「証拠はあるのか?」
「う~ん、決定的なものはないね。でも、状況証拠は十分だろ?」
「水原にも言い分があるはずだ」
「もちろん。だから彼女に直接聞いてみればいい。でも、君は自分の心に正直に答えられるかな?」
白野は立ち上がり、コーヒー代を置いた。
「僕は事実を伝えただけ。あとは君自身で判断して」
そう言い残して、白野は颯爽と店を後にした。
残された俺とリセ。俺は頭を抱えた。
「ヒロ……」
リセが心配そうに声をかける。
「信じられない……でも、もし本当なら……」
「ヒロ、水原先輩に確かめるべきだよ」
「ああ」
俺はスマホを取り出し、水原に電話した。しかし、応答はない。何度かけても出ない。
「出ないな」
「家に行ってみる?」
「そうするか」