翌日。教室の窓際でぼんやりと空を見上げていると、リセが近づいてきた。
「ヒロ、昨日……どこ行ってたの?」
「ちょっと、調べたいことがあって」
曖昧に笑って答えると、リセは少しだけ唇を噛んだ。
「もしかして、水原先輩のこと……」
「ああ」
「……そうなんだ」
それ以上は何も聞かれなかった。たぶん、リセも分かっているんだろう。
俺が何を信じようとしているのか。
何を証明しようとしているのか。
放課後。
昇降口の前で水原が待っていた。制服のまま、スマホを見つめていた彼女は、俺に気づくとゆっくり顔を上げた。
「……来てくれて、ありがとう」
「こっちこそ。時間、ありがとう」
「歩こうか」
並んで歩き出す。
すれ違う生徒たちがちらりとこちらを見る。けれど、俺たちは何も言わずに、ただ静かに校門を出た。
人気の少ない公園のベンチに座り、俺はUSBメモリを取り出した。
「これ、見てほしい」
水原は訝しむようにそれを受け取り、じっと見つめた。
「これ……なに?」
「白野が、リセに渡した写真。お前が撮ったって言われたやつ。……それ、実際に撮ったのは、白野の後輩だった。依頼されて、指定された場所で、お前を装って撮った」
「……」
「証拠もある。ファイル情報も、証言も」
水原は、目を伏せた。
唇がわずかに震えていた。
「……なんで、そこまでしてくれるの」
「ずっと、気になってた。あのときのお前の顔。俺を拒絶したときの、あの泣きそうな顔。……信じたいって思った」
「私……ほんとに、何もしてないよ」
「分かってる」
ベンチの横に置いたUSBメモリに、彼女の手が重なった。
「ありがと……川崎くん」
彼女の声は、かすれていた。
涙をこらえるようにして、目を閉じていた。
俺は、そっとその肩に手を置いた。
「まだ終わってない。白野のこと、きっちり片をつける」
「……うん」
その夜、俺はPCを起動し、USBの中身をもう一度開いた。
白野が張った罠。
それを、一つ一つ解いていく作業が始まる。
俺の中で、何かが動き出していた。
復讐じゃない。正しさでもない。
ただ、誰かの未来を守るための、行動だった。
海斗からの証拠を元に、俺はまず学校側に報告を入れた。
水原に関する“誹謗中傷行為”が、在校生ではない大学生──白野晴人──によって行われているという内容だ。
写真の捏造、偽アカウントによるSNS投稿、そしてそれをリセに渡すという間接的な誘導。
証拠の整合性は取れている。海斗が提出してくれた撮影ログとファイル名、メタ情報が、それを物語っていた。
「ご報告、ありがとうございました。対応については追って……」
教師の口ぶりは曖昧だったが、当然だろう。相手は外部の大学生。学校側が直接的な処分を下せるわけじゃない。
だが、これでいい。これで、水原の“公式な記録”が守られれば十分だった。
問題は、白野本人だ。
このまま逃げ切られるわけにはいかない。
俺は水原に連絡を取り、会って話すことにした。
午後。俺と水原は、以前にも訪れた公園のベンチに並んで座っていた。
「これで……少しは、終わったのかな」
水原は空を見上げて言った。
「まだ全部じゃない。白野本人には、ちゃんと話す必要がある」
「でも、あの人……もう、あたしたちとは別の世界の人間なんだよ?」
「そうだな。でも、逃げさせたくない。お前にしてきたこと、全部本人に認めさせたい」
水原は小さく笑った。
「川崎くん、変わったね。前はもっと……曖昧だった気がする」
「お前が変えてくれたんだよ」
言ってから、少し照れ臭くなった。
でも、今はもう嘘をつきたくなかった。
「会いに行くつもりなの? 白野先輩に?」
「ああ。場所は……例の喫茶店、覚えてるか?」
「……うん。わかった。私も行く」
「いいのか?」
「あたしのことなのに、あたしがいかないのはおかしいでしょ」
その横顔には、もうかつての迷いはなかった。
そして日曜日。
俺たちは、かつて白野と水原がよく使っていたという喫茶店を訪れた。
先に着いていた白野は、テーブル席に腰掛けて、スマホを見ていた。俺たちに気づくと、表情を消した。
「……来たんだ」
「当然だ」
「今さら、何の用?」
「全部、お前が仕組んだこと。証拠もある。もう逃げられない」
白野は笑った。
「証拠? 証言? そんなもの、誰が信じるんだ?」
「信じなくても構わない。俺たちは、事実を確認しに来ただけだ」
水原が、静かに口を開いた。
「先輩。どうして、こんなことしたんですか? 中学のときも。今回も」
「……君を守りたかった」
「守る? 私を潰して?」
「しおりが僕のものでなくなった瞬間、世界が壊れたんだよ!」
白野の声が、店内に響いた。
客がちらりとこちらを見たが、誰も口を出す者はいなかった。
「しおりが他の男のところに行ったから、僕は……!」
「だからあたしを悪者にしたの?」
「……もう、どうでもいい」
白野は立ち上がり、コートを手に取った。
「もう君たちの世界に俺の居場所はない。消えるよ。今度こそ」
その背中を、水原は見送った。
何も言わなかった。
でも、彼女の目に浮かんでいた涙は、もう悔しさではなかった。