市立図書館は高校の裏通りを少し入ったところにある。冬の夕暮れは早くて、すでに空は藍色に染まり始めていた。
館内はあたたかく、ほんのりと本の匂いがする。
あたしが調べていたのは、心理学のコラム。ちょっとした宿題のテーマ選びのためだったけど、正直に言えば、ヒロと一緒にいる理由が欲しかっただけだ。
「このへんの棚、読みやすそうだな」
ヒロくんが適当に手に取った文庫本の背表紙を眺めて、あたしは隣に座った。
「なに読んでるの?」
「“人はなぜ嘘をつくか”ってやつ」
「ヒロくんも嘘、つくの?」
「……必要なときには、な」
「たとえば?」
「たとえば、“大丈夫”って言うときとか」
「……あたしも、それ、ある」
静かなページをめくる音だけが響く。ふたりで黙って本を読む時間は、会話よりも深く、なにかを共有できている気がした。
隣に座る彼の存在が、だんだんと“近くて、遠くて、でも触れられる距離”になっていく。
こういうのを、恋って言うんだろうか。
「ヒロくん」
「……ん」
「今日さ、手、つないでもいい?」
「今さらだな」
「うん。でも、改めてお願いしたくなった」
彼は少しだけ戸惑って、それから無言であたしの手を取った。
あたたかい。
図書館の窓の外では、小さな雪が舞い始めていた。
*
図書館の帰り道、外の空気はさらに冷たくなっていた。吐いた息が白くなるたび、あたしはヒロくんの手を握り直した。
「ねえヒロくん、明日……お弁当、作ってこようか?」
「……爆発とかしないだろうな」
「失礼なっ。そこまでポンコツじゃないよ?」
冗談半分で言ったのに、あたしの声がちょっとだけ震えていたのに気づいたのか、ヒロくんが優しく笑った。
「食べたい、しおりの弁当」
その言葉だけで、今日の寒さも全部吹き飛ぶ気がした。
「じゃあ、明日のお昼はお楽しみに」
「期待してる」
あたしは上機嫌で頷き、ヒロくんの腕に自分の腕を絡めた。
「それとね、あたし、あさっての放課後、ちょっと寄り道したいとこあるの」
「どこ?」
「内緒。でも、ヒロくんと一緒に行きたいの」
「……わかったよ」
「うん、ありがと」
街灯の下、雪がちらほらと舞い落ちてくる。白い粒がコートに積もるたび、ヒロくんがそれを指で払ってくれる。
「風邪引くなよ」
「じゃあ、あたしのこと、あっためて」
「……ばか」
ヒロくんが真っ赤になって、目をそらした。
その顔を見て、あたしはまた笑った。
こうして並んで歩ける時間が、何よりの宝物だった。
翌日。
お弁当箱を抱えて登校するだけで、朝からそわそわしてしまった。
学年が違うから、昼休みに会うのは少し難しい。でも、あたしはこっそりと教室を抜けて、校舎裏の自販機前に向かった。
そこには、ちゃんとヒロくんがいた。
「来たな、シェフ」
「うるさい。味見なしのぶっつけ本番なんだから、文句禁止」
ベンチに並んで腰を下ろし、あたしはお弁当箱を開けた。
「おお……」
「まず見た目は合格だと思うの」
「見た目はな」
「じゃあ食べて、ヒロくんの舌で判断して」
一口、彼が卵焼きを頬張る。
数秒、沈黙。
「……うまい」
「ほんと!?」
「ああ。ちゃんと味付けされてる」
「ふふん、料理できるって証明されたね」
次はミートボール、唐揚げ、ブロッコリー、ちょっと大きめのおにぎり。
「これ、握るの大変だったんだから」
「ありがとな、しおり」
「どういたしまして、ヒロくん」
ふたりで笑って食べるお弁当は、寒さも忘れるくらい暖かかった。
教室に戻る時間が近づいてきたとき、ヒロくんがそっと言った。
「……また、お願いしてもいいか?」
「もちろん。ヒロくんのためなら、毎日でも作っちゃう」
言ってから、恥ずかしくなって顔を伏せた。
でも、ヒロくんは小さく笑って「ありがとな」ともう一度言ってくれた。
冬の昼下がり。あたしの心は、ずっと春みたいにぽかぽかしていた。