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第63話 宝物

 市立図書館は高校の裏通りを少し入ったところにある。冬の夕暮れは早くて、すでに空は藍色に染まり始めていた。


 館内はあたたかく、ほんのりと本の匂いがする。


 あたしが調べていたのは、心理学のコラム。ちょっとした宿題のテーマ選びのためだったけど、正直に言えば、ヒロと一緒にいる理由が欲しかっただけだ。


「このへんの棚、読みやすそうだな」


 ヒロくんが適当に手に取った文庫本の背表紙を眺めて、あたしは隣に座った。


「なに読んでるの?」


「“人はなぜ嘘をつくか”ってやつ」


「ヒロくんも嘘、つくの?」


「……必要なときには、な」


「たとえば?」


「たとえば、“大丈夫”って言うときとか」


「……あたしも、それ、ある」


 静かなページをめくる音だけが響く。ふたりで黙って本を読む時間は、会話よりも深く、なにかを共有できている気がした。


 隣に座る彼の存在が、だんだんと“近くて、遠くて、でも触れられる距離”になっていく。


 こういうのを、恋って言うんだろうか。


「ヒロくん」


「……ん」


「今日さ、手、つないでもいい?」


「今さらだな」


「うん。でも、改めてお願いしたくなった」


 彼は少しだけ戸惑って、それから無言であたしの手を取った。


 あたたかい。


 図書館の窓の外では、小さな雪が舞い始めていた。


 *


 図書館の帰り道、外の空気はさらに冷たくなっていた。吐いた息が白くなるたび、あたしはヒロくんの手を握り直した。


「ねえヒロくん、明日……お弁当、作ってこようか?」


「……爆発とかしないだろうな」


「失礼なっ。そこまでポンコツじゃないよ?」


 冗談半分で言ったのに、あたしの声がちょっとだけ震えていたのに気づいたのか、ヒロくんが優しく笑った。


「食べたい、しおりの弁当」


 その言葉だけで、今日の寒さも全部吹き飛ぶ気がした。


「じゃあ、明日のお昼はお楽しみに」


「期待してる」


 あたしは上機嫌で頷き、ヒロくんの腕に自分の腕を絡めた。


「それとね、あたし、あさっての放課後、ちょっと寄り道したいとこあるの」


「どこ?」


「内緒。でも、ヒロくんと一緒に行きたいの」


「……わかったよ」


「うん、ありがと」


 街灯の下、雪がちらほらと舞い落ちてくる。白い粒がコートに積もるたび、ヒロくんがそれを指で払ってくれる。


「風邪引くなよ」


「じゃあ、あたしのこと、あっためて」


「……ばか」


 ヒロくんが真っ赤になって、目をそらした。


 その顔を見て、あたしはまた笑った。


 こうして並んで歩ける時間が、何よりの宝物だった。



 翌日。


 お弁当箱を抱えて登校するだけで、朝からそわそわしてしまった。


 学年が違うから、昼休みに会うのは少し難しい。でも、あたしはこっそりと教室を抜けて、校舎裏の自販機前に向かった。


 そこには、ちゃんとヒロくんがいた。


「来たな、シェフ」


「うるさい。味見なしのぶっつけ本番なんだから、文句禁止」


 ベンチに並んで腰を下ろし、あたしはお弁当箱を開けた。


「おお……」


「まず見た目は合格だと思うの」


「見た目はな」


「じゃあ食べて、ヒロくんの舌で判断して」


 一口、彼が卵焼きを頬張る。


 数秒、沈黙。


「……うまい」


「ほんと!?」


「ああ。ちゃんと味付けされてる」


「ふふん、料理できるって証明されたね」


 次はミートボール、唐揚げ、ブロッコリー、ちょっと大きめのおにぎり。


「これ、握るの大変だったんだから」


「ありがとな、しおり」


「どういたしまして、ヒロくん」


 ふたりで笑って食べるお弁当は、寒さも忘れるくらい暖かかった。


 教室に戻る時間が近づいてきたとき、ヒロくんがそっと言った。


「……また、お願いしてもいいか?」


「もちろん。ヒロくんのためなら、毎日でも作っちゃう」


 言ってから、恥ずかしくなって顔を伏せた。


 でも、ヒロくんは小さく笑って「ありがとな」ともう一度言ってくれた。


 冬の昼下がり。あたしの心は、ずっと春みたいにぽかぽかしていた。



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