土曜日の午後。雲ひとつない空に、冷たい冬の陽射しが差していた。
今日は、久しぶりにしおりと出かける約束をしていた。
とはいっても、特別な場所に行くわけじゃない。ただ、近所のショッピングモールをぶらぶらするだけ。
でも、それだけで十分だった。
「ヒロくーん、こっちこっち!」
しおりは、駅前のカフェの前で手を振っていた。白いニットに、チェックのマフラー。耳まで赤くなってて、寒さの中にいるのに、どこか春みたいな雰囲気があった。
「お前、はしゃぎすぎ」
「だって、今日ずっと楽しみにしてたんだもん」
俺の隣に並ぶと、自然と腕が絡まってきた。手袋越しに感じる体温が、じわりと染みてくる。
「今日は何買うの?」
「んー、実は決めてない。けど、ヒロくんと一緒ならどこでも楽しいから」
さらっと、そういうこと言うから困るんだ。
「……それならまず、本屋寄ってもいいか?」
「もちろん! あたしも見たい雑誌あるし」
モールの中は冬物セールで賑わっていた。買う気がなくても、並ぶマフラーや手袋、ぬいぐるみたちを眺めているだけで、ちょっとした小旅行みたいな気分になれる。
本屋に着いて、しおりは女性誌の棚へ、俺は新刊コーナーへ。
しばらくして戻ってくると、しおりが俺に手を差し出してきた。
「これ見て! ふたりで作れるスイーツ特集! ヒロくん、今度作ろ?」
「……いや、俺料理苦手だし」
「だからこそ、一緒にやるんだよ。ほら、混ぜたりとか焼いたりとか、分担したらできるって」
「……まあ、お前が付き合ってくれるなら」
「付き合うどころか、甘やかすけど?」
俺は思わず吹き出した。
「言うようになったな」
「だってヒロくん、すぐ照れるのが可愛いんだもん」
その言葉を聞いて、本当に顔が熱くなった気がした。
それから、雑貨屋を冷やかして、フードコートでホットココアを頼んで、ふたり並んで飲んだ。
椅子に座ると、しおりが少しだけ頭を俺の肩に預けてくる。
「ねえヒロくん」
「ん?」
「こうしてるとさ、“ふつう”の高校生の恋人って感じするよね」
「俺たち、高校生で恋人じゃん」
「うん。でも、前はいろいろあったからさ。やっと、ちゃんと“今”を過ごしてる気がするの」
しおりの声は、小さくて優しかった。
「俺も、やっと笑えるようになったよ」
「じゃあ、これからもいっぱい笑って。あたし、ヒロくんが笑ってる顔が一番好きだから」
その言葉に、また照れそうになって、ココアのカップを持ち上げてごまかした。
だけど本当は、言いたかった。
──俺も、今のお前が、一番好きだ。
*
日が暮れ始めると、モールの中の明かりがよりあたたかく感じられた。
外に出ると、風が少し強くなっていて、俺は思わずマフラーをきゅっと首に巻き直した。
「ヒロくん、耳、赤くなってるよ」
「寒いんだから当たり前だろ」
「ふふ……ほら」
しおりが、ポケットからカイロを取り出して俺の手に押しつけてくる。
「使いなよ。あたし、手つないでるだけであったまるから」
そんな台詞をさらっと言えるのは、きっと本人にとっては何気ないことなんだろう。
でも俺は、毎回そのたびに心臓の動きがおかしくなる。
「ありがとな」
「どういたしまして」
駅に向かう途中、住宅街の角を曲がったところで、ふわっと白いものが降ってきた。
「……雪」
「ほんとだ」
街灯に照らされて、舞う雪がゆっくりと落ちていく。
しおりが空を見上げながら、小さく笑った。
「ねえヒロくん、もうちょっと歩かない? 遠回りして帰ろ」
「寒いぞ」
「……でも、今だけは、ちょっとだけ長く一緒にいたいの」
その言葉に、断る理由なんてあるわけがなかった。
「わかった。じゃあ……こっちから回って帰るか」
俺たちは並んで歩き出す。
雪は少しずつ強くなっていたけど、どこかあたたかい気持ちで満たされていた。
途中、誰もいない小さな公園に寄り道した。
ブランコが軋む音だけが静かに響いている。
ベンチに腰を下ろして、ふたりで雪の積もり始めた芝生を眺める。
「なんか……夢みたいだね」
しおりがぽつりと言った。
「夢?」
「うん。こうして隣に座ってて、雪が降ってて……好きな人と一緒に、何でもない時間を過ごしてるのがさ」
俺は答えなかった。
ただ、しおりの手を取って、しっかりと握り直した。
それだけで、言葉は足りた。
しおりの肩が、俺の肩にそっともたれかかってくる。
「ヒロくん……今日ね、ほんとはひとつだけ、言いたいことあったの」
「ん?」
「あたし、今が一番しあわせだよ」
俺はしおりの頭をなでながら、そっと答えた。
「俺も」
雪は静かに降り積もっていく。
世界がまるで、俺たちだけを包んでいるみたいだった。