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第64話 雪


 土曜日の午後。雲ひとつない空に、冷たい冬の陽射しが差していた。


 今日は、久しぶりにしおりと出かける約束をしていた。


 とはいっても、特別な場所に行くわけじゃない。ただ、近所のショッピングモールをぶらぶらするだけ。


 でも、それだけで十分だった。


「ヒロくーん、こっちこっち!」


 しおりは、駅前のカフェの前で手を振っていた。白いニットに、チェックのマフラー。耳まで赤くなってて、寒さの中にいるのに、どこか春みたいな雰囲気があった。


「お前、はしゃぎすぎ」


「だって、今日ずっと楽しみにしてたんだもん」


 俺の隣に並ぶと、自然と腕が絡まってきた。手袋越しに感じる体温が、じわりと染みてくる。


「今日は何買うの?」


「んー、実は決めてない。けど、ヒロくんと一緒ならどこでも楽しいから」


 さらっと、そういうこと言うから困るんだ。


「……それならまず、本屋寄ってもいいか?」


「もちろん! あたしも見たい雑誌あるし」


 モールの中は冬物セールで賑わっていた。買う気がなくても、並ぶマフラーや手袋、ぬいぐるみたちを眺めているだけで、ちょっとした小旅行みたいな気分になれる。


 本屋に着いて、しおりは女性誌の棚へ、俺は新刊コーナーへ。


 しばらくして戻ってくると、しおりが俺に手を差し出してきた。


「これ見て! ふたりで作れるスイーツ特集! ヒロくん、今度作ろ?」


「……いや、俺料理苦手だし」


「だからこそ、一緒にやるんだよ。ほら、混ぜたりとか焼いたりとか、分担したらできるって」


「……まあ、お前が付き合ってくれるなら」


「付き合うどころか、甘やかすけど?」


 俺は思わず吹き出した。


「言うようになったな」


「だってヒロくん、すぐ照れるのが可愛いんだもん」


 その言葉を聞いて、本当に顔が熱くなった気がした。


 それから、雑貨屋を冷やかして、フードコートでホットココアを頼んで、ふたり並んで飲んだ。


 椅子に座ると、しおりが少しだけ頭を俺の肩に預けてくる。


「ねえヒロくん」


「ん?」


「こうしてるとさ、“ふつう”の高校生の恋人って感じするよね」


「俺たち、高校生で恋人じゃん」


「うん。でも、前はいろいろあったからさ。やっと、ちゃんと“今”を過ごしてる気がするの」


 しおりの声は、小さくて優しかった。


「俺も、やっと笑えるようになったよ」


「じゃあ、これからもいっぱい笑って。あたし、ヒロくんが笑ってる顔が一番好きだから」


 その言葉に、また照れそうになって、ココアのカップを持ち上げてごまかした。


 だけど本当は、言いたかった。


 ──俺も、今のお前が、一番好きだ。


 *


 日が暮れ始めると、モールの中の明かりがよりあたたかく感じられた。


 外に出ると、風が少し強くなっていて、俺は思わずマフラーをきゅっと首に巻き直した。


「ヒロくん、耳、赤くなってるよ」


「寒いんだから当たり前だろ」


「ふふ……ほら」


 しおりが、ポケットからカイロを取り出して俺の手に押しつけてくる。


「使いなよ。あたし、手つないでるだけであったまるから」


 そんな台詞をさらっと言えるのは、きっと本人にとっては何気ないことなんだろう。


 でも俺は、毎回そのたびに心臓の動きがおかしくなる。


「ありがとな」


「どういたしまして」


 駅に向かう途中、住宅街の角を曲がったところで、ふわっと白いものが降ってきた。


「……雪」


「ほんとだ」


 街灯に照らされて、舞う雪がゆっくりと落ちていく。


 しおりが空を見上げながら、小さく笑った。


「ねえヒロくん、もうちょっと歩かない? 遠回りして帰ろ」


「寒いぞ」


「……でも、今だけは、ちょっとだけ長く一緒にいたいの」


 その言葉に、断る理由なんてあるわけがなかった。


「わかった。じゃあ……こっちから回って帰るか」


 俺たちは並んで歩き出す。


 雪は少しずつ強くなっていたけど、どこかあたたかい気持ちで満たされていた。


 途中、誰もいない小さな公園に寄り道した。


 ブランコが軋む音だけが静かに響いている。


 ベンチに腰を下ろして、ふたりで雪の積もり始めた芝生を眺める。


「なんか……夢みたいだね」


 しおりがぽつりと言った。


「夢?」


「うん。こうして隣に座ってて、雪が降ってて……好きな人と一緒に、何でもない時間を過ごしてるのがさ」


 俺は答えなかった。


 ただ、しおりの手を取って、しっかりと握り直した。


 それだけで、言葉は足りた。


 しおりの肩が、俺の肩にそっともたれかかってくる。


「ヒロくん……今日ね、ほんとはひとつだけ、言いたいことあったの」


「ん?」


「あたし、今が一番しあわせだよ」


 俺はしおりの頭をなでながら、そっと答えた。


「俺も」


 雪は静かに降り積もっていく。


 世界がまるで、俺たちだけを包んでいるみたいだった。

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