駅に着くころには、空気はすっかり夜の冷たさをまとっていた。
改札を抜けて家路へと歩き出す途中、しおりが俺の袖をそっとつかんだ。
「ねえヒロくん、もう少しだけ寄り道しない?」
「どこ行くんだよ」
「公園。あそこ、夜になるとライトアップされてて、ちょっときれいなんだ」
「お前、寒がりのくせに……」
「ヒロくんがいれば寒くないって言ったでしょ」
苦笑しながらも、俺はしおりのリクエストに付き合うことにした。
公園の入り口には低い柵があり、そこから奥の遊歩道には白と橙の灯りが交互に点いている。木々の枝にはまだ少しだけ雪が残っていて、照明の反射でゆらゆらと光っていた。
ベンチに並んで座り、ふたりで空を見上げる。街の光にかすむ星空だったが、しおりの目は星なんかよりずっときれいに輝いていた。
「なあ、しおり」
「ん?」
「今日はありがとな。……お前が嬉しそうにしてる顔、ずっと見てたら、なんかこっちまで幸せになった」
「じゃあ、あたしがもっと笑えるように、これからもいっぱい連れ回して?」
「お前、どっちが連れ回してるんだかわかんねーな……」
「ふふ。じゃあ、“ふたりで”連れ回し合いっこしようよ」
俺はふと、ポケットの中にしまっていた小さな包みを思い出した。
「……そういや、これ」
「え? なにこれ?」
「さっきの商店街で買った。お前、ストラップ欲しそうにしてたろ」
「え……うそ、覚えてたの……?」
「お前が触ってから棚に戻したやつ。あれ、俺がこっそり買っといた」
しおりは受け取った包みをそっと開けて、中から出てきた桜のモチーフのガラス細工を見て、目を潤ませた。
「ヒロくん……ほんとに、ありがとう」
「お前のスマホ、殺風景だったからな」
「うるさい……あたし、今すっごく泣きそうなんだけど……」
「泣くなよ。笑ってろ」
そう言った瞬間、しおりは涙をこらえながらも笑っていた。
「ヒロくん、大好き。ほんとに」
「俺もだよ」
それ以上、言葉はいらなかった。
指先がそっと触れ合い、やがて重なって、ふたりの距離はまたひとつ近くなった。
冬の夜。吐く息が白く交じり合う中で、俺たちはずっと、ただ手をつないでいた。
時間が止まってほしいと思った。
これ以上の幸せなんて、きっと、もういらなかった。
*
しおりと別れたあと、俺はいつもより少しだけ遠回りして帰った。
帰り道の空には星がいくつか瞬いていて、あの公園で見た空と繋がっているような気がした。
あいつの笑顔、ストラップを見たときの目の輝き、俺の腕に寄りかかるぬくもり──全部、今でもはっきりと思い出せた。
部屋に戻り、ジャケットを脱いでソファに倒れ込む。
スマホを取り出して画面をつけると、しおりからの通知が届いていた。
『今日はありがと。また“特別な日”、作ろうね』
短いメッセージなのに、胸の奥にふっと優しさがしみわたる。
俺も返す。
『おう。次はもっとすげぇやつな』
送信ボタンを押した直後、“既読”の文字がつく。
数秒して、すぐに返事が届いた。
『じゃあ期待してる♡』
そのあと、ハートマークをもうひとつだけ送ってきた。
笑いが漏れた。ほんと、あいつらしい。
次の“特別”を、どんな形にしようか──考え出すと止まらなくなった。
*
次の日、学校の昼休み。
教室の窓際に座ってぼんやりしていると、後ろからひょいと影が差す。
「川崎くん、お弁当、いっしょに食べない?」
しおりだった。
制服の上にカーディガンを羽織って、手にはふたつのお弁当箱。俺のぶんまで作ってきてくれたらしい。
「また手作り?」
「当然。今日はお礼弁当」
「昨日のお礼か」
「そう。いっぱい楽しかったから、そのぶん詰め込んだ」
ふたりで人気のない図書室裏のベンチに座って、しおりの手作り弁当を開ける。
開けた瞬間、ふわっと湯気があがる。保温ジャーの中には、たまごそぼろと鮭フレークが綺麗に二色に分かれて乗っていた。
「うまそう」
「でしょ? ほら、食べてみて」
箸でひと口運ぶと、ほろほろの鮭とほんのり甘い卵が絶妙なバランスだった。
「……マジで美味い」
「よかった〜。ヒロくんの『うまい』が聞きたかったんだ」
しおりは嬉しそうに笑って、同じおかずを口に運ぶ。
ただの昼休み。それなのに、すべてが愛おしく感じた。
冬の光が校舎の窓から差し込み、ふたりの肩に温かく降り注いでいた。