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第68話 大好き

 駅に着くころには、空気はすっかり夜の冷たさをまとっていた。


 改札を抜けて家路へと歩き出す途中、しおりが俺の袖をそっとつかんだ。


「ねえヒロくん、もう少しだけ寄り道しない?」


「どこ行くんだよ」


「公園。あそこ、夜になるとライトアップされてて、ちょっときれいなんだ」


「お前、寒がりのくせに……」


「ヒロくんがいれば寒くないって言ったでしょ」


 苦笑しながらも、俺はしおりのリクエストに付き合うことにした。


 公園の入り口には低い柵があり、そこから奥の遊歩道には白と橙の灯りが交互に点いている。木々の枝にはまだ少しだけ雪が残っていて、照明の反射でゆらゆらと光っていた。


 ベンチに並んで座り、ふたりで空を見上げる。街の光にかすむ星空だったが、しおりの目は星なんかよりずっときれいに輝いていた。


「なあ、しおり」


「ん?」


「今日はありがとな。……お前が嬉しそうにしてる顔、ずっと見てたら、なんかこっちまで幸せになった」


「じゃあ、あたしがもっと笑えるように、これからもいっぱい連れ回して?」


「お前、どっちが連れ回してるんだかわかんねーな……」


「ふふ。じゃあ、“ふたりで”連れ回し合いっこしようよ」


 俺はふと、ポケットの中にしまっていた小さな包みを思い出した。


「……そういや、これ」


「え? なにこれ?」


「さっきの商店街で買った。お前、ストラップ欲しそうにしてたろ」


「え……うそ、覚えてたの……?」


「お前が触ってから棚に戻したやつ。あれ、俺がこっそり買っといた」


 しおりは受け取った包みをそっと開けて、中から出てきた桜のモチーフのガラス細工を見て、目を潤ませた。


「ヒロくん……ほんとに、ありがとう」


「お前のスマホ、殺風景だったからな」


「うるさい……あたし、今すっごく泣きそうなんだけど……」


「泣くなよ。笑ってろ」


 そう言った瞬間、しおりは涙をこらえながらも笑っていた。


「ヒロくん、大好き。ほんとに」


「俺もだよ」


 それ以上、言葉はいらなかった。


 指先がそっと触れ合い、やがて重なって、ふたりの距離はまたひとつ近くなった。


 冬の夜。吐く息が白く交じり合う中で、俺たちはずっと、ただ手をつないでいた。


 時間が止まってほしいと思った。


 これ以上の幸せなんて、きっと、もういらなかった。


 *


 しおりと別れたあと、俺はいつもより少しだけ遠回りして帰った。


 帰り道の空には星がいくつか瞬いていて、あの公園で見た空と繋がっているような気がした。


 あいつの笑顔、ストラップを見たときの目の輝き、俺の腕に寄りかかるぬくもり──全部、今でもはっきりと思い出せた。


 部屋に戻り、ジャケットを脱いでソファに倒れ込む。


 スマホを取り出して画面をつけると、しおりからの通知が届いていた。


『今日はありがと。また“特別な日”、作ろうね』


 短いメッセージなのに、胸の奥にふっと優しさがしみわたる。


 俺も返す。


『おう。次はもっとすげぇやつな』


 送信ボタンを押した直後、“既読”の文字がつく。


 数秒して、すぐに返事が届いた。


『じゃあ期待してる♡』


 そのあと、ハートマークをもうひとつだけ送ってきた。


 笑いが漏れた。ほんと、あいつらしい。


 次の“特別”を、どんな形にしようか──考え出すと止まらなくなった。


 *


 次の日、学校の昼休み。


 教室の窓際に座ってぼんやりしていると、後ろからひょいと影が差す。


「川崎くん、お弁当、いっしょに食べない?」


 しおりだった。


 制服の上にカーディガンを羽織って、手にはふたつのお弁当箱。俺のぶんまで作ってきてくれたらしい。


「また手作り?」


「当然。今日はお礼弁当」


「昨日のお礼か」


「そう。いっぱい楽しかったから、そのぶん詰め込んだ」


 ふたりで人気のない図書室裏のベンチに座って、しおりの手作り弁当を開ける。


 開けた瞬間、ふわっと湯気があがる。保温ジャーの中には、たまごそぼろと鮭フレークが綺麗に二色に分かれて乗っていた。


「うまそう」


「でしょ? ほら、食べてみて」


 箸でひと口運ぶと、ほろほろの鮭とほんのり甘い卵が絶妙なバランスだった。


「……マジで美味い」


「よかった〜。ヒロくんの『うまい』が聞きたかったんだ」


 しおりは嬉しそうに笑って、同じおかずを口に運ぶ。


 ただの昼休み。それなのに、すべてが愛おしく感じた。


 冬の光が校舎の窓から差し込み、ふたりの肩に温かく降り注いでいた。

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