「ガッ!」
ライアンの口から鮮血が飛び散り、遠くから再び悲鳴が上がる。
「……ライアン」
首に突き付けられたナイフへのトラウマと、ただ一方的に痛め付けられているライアンの姿に、恐怖に震える声でフィーがライアンの名を呼ぶ。
すると、ライアンはよろけながらもなんとか立ち上がり、フィーを安心させるように笑って見せた。頭から血を流しながらも、それでも懸命に笑うその姿があまりにも痛々しくて、フィーの目からは自然とポロポロと涙が溢れ落ちていった。
「……泣いてんじゃねぇよフィー。待ってろ、すぐ終わらせるから」
「いちゃついてる暇はねぇぞガキィ!」
そんな咆哮とともに大男の拳が再びライアンを襲うが、それを間一髪で避けると今度はお返しとばかりに大男の脇腹へ渾身の拳を放つ。しかし、大男は意図も容易くその拳を片手で軽々と受け止めると、そのままライアンの腕を引っ掴んでそのまま近くの花壇へ向けて放り投げた。
「それは読んでんだよ!」
ライアンはそう叫ぶと、花壇に叩き付けられるよりも早く身体を捻り、危なげなく着地してみせた。
「しょーじきあんま使いたくねぇけど……イニ! 許可くれ!」
「ダメよライ! 回復してまだひと月も経ってないのよ!? それにここは――」
「んな悠長なこと言ってる場合じゃねぇだろ!? こいつはここで倒さないとダメだ!」
「でもッ!」
フィーの腕の中で、イニが迷うように身じろいだのが分かった。そんな二人の会話を聞きながら、フィーは祈るようにイニを抱きしめる手に力を込める。
「ッ! あああああもう分かったわよ! その代わり、ちゃっちゃと終わらせなさいよ!!」
やがて半端ヤケクソ気味にイニがそう叫ぶと、ライアンはニッと口の端を吊り上げて不敵に笑う。その頼もしい表情は、あの日フィーを助けてくれた時と同じで、フィーの中に横たわる恐怖がほんの少しだけ和らいだ気がした。
「ありがとな、イニ」
ライアンがそう言うが早いか、彼の耳元で揺れるオレンジ色のラクリマが赤く輝き始め、やがてその輝きはライアンの右手の中で、一際明るく揺れる炎を生み出した。その光景に、フィーの背後で女性が息を呑んだのが分かった。
「……ウソ」
「ガキィ……テメェまさか」
大男が怪訝そうに呟くも、ライアンはハッと挑発するように笑った。
「喋ってっと舌噛むぞ。歯ァ食い縛れよ」
そんな言葉を残し、ライアンは一気に踏み込むと男が防御の姿勢を取るよりも早く、炎を纏ったままの拳を勢いよく顔面に叩き付ける。大男はふらりと一瞬体勢を崩すも、すぐに踏ん張ってニヤリと笑った。
「……嘘だろ今ので倒れねぇのかよ!?」
大男は楽しそうな表情で口から垂れた血を拳で乱暴に拭うと、威圧するように首をゴキっと鳴らした。それを見たライアンは軽やかにバク転をして距離を取る。
「速さならあのノロマと同じか少し遅いぐらいか……クハハッ! ガキィ、テメェいいなァ!! 名前教えろよ! なぁ!?」
両手を広げ、そう高らかに叫ぶと、大男はグッと拳を握って見せた。
「あぁ? 名乗って欲しけりゃ先にてめぇから名乗るんだな」
「あん? なんだよそりゃあ。物語の読みすぎじゃねぇか?」
「そーかい。なら、てめぇに名乗る名前はねぇなぁ!!」
ライアンがそう叫びながら勢いよく駆け出すと、今度は足に炎を纏い大男の胸元へ思いっきり蹴りを叩き込む。しかし、大男は一切怯むことなくそれを真正面から受け止めると、もう楽しくて楽しくて仕方がないとでも言うようにクハハッ! と楽しげに笑うのだった。大男とは対照的に、ライアンの表情にはどこか苦しげなものが浮かんでいる。
「まさかそれで本気とか言わねぇだろうなぁ?」
「ハッ! なわけねぇだろ岩野郎!」
口ではそんな風に軽口を叩いているが、これまでのダメージが蓄積しているのか、先程から時折苦しそうに顔を歪めている。
ライアンはバックステップで大男から距離を取ると、ぎゅっと拳を握る。すると、彼の拳に先程よりも遥かに強い輝きとともに再び炎が産まれた。グッと脚に力を込めると目にも止まらぬ速さで一気に大男と距離を詰め、そのまま渾身の一撃を大男の腹部へとめり込ませる。
しかし、大男はまたしても倒れることもなければ、よろけることもない。ただ楽しくて楽しくて堪らないとでも言いたげに、ニヤァと口角を上げた。
「いい一撃だガキ。このままテメェの名前を知れねぇのは惜しいな。テメェの流儀じゃあ、先に名乗るんだったか? なら自己紹介といこうか。俺の名はサタン。そんであっちの銀髪の女がリヴァイアサンだ。んで? テメェは誰だ? 生きてたら教えてくれや」
「はぁ!? 何でアタシの名前まで勝手にバラしてんのよ!」
リヴァイアサンだと勝手に名乗られた銀髪の女性がフィーの背後で叫ぶも、サタンはその声を無視してライアンの燃える腕を引っ掴むと、勢いよく地面へ叩き付ける。
あまりの衝撃に石畳にクレーターができ、その中心にあるライアンの身体からはバキッと嫌な音が辺りに響いた。
「――――――ガァ!!」
そんな悲鳴にもならない声を上げ、ライアンは右肩を抑えてのたうち回る。
「なぁおい。まさかこれで終わりじゃねぇだろ? こっちは名乗ってやったんだぜ? そろそろ教えてくれよ、てめぇの名前をよぉ」
どこか興醒めだとでも言いたげなサタンを睨みながら、ライアンはなんとか立ち上がる。しかし、その姿は誰が見ても満身創痍で、これ以上戦えば待つのは死だけなのは誰が見ても明らかだ。
それでも、ライアンは決して目から光を失うことなく、強い眼差しのままサタンを睨み返す。