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2-3 思わぬ再会


 丞相に言われた通り、口が堅く比較的自分に友好的で協力的な人材を選び、憂炎ユーエンは再び老師の部屋を訪ねた。ふたりにはこれから妃嬪である麗思リースー妃の待つ、胡蝶フーディエ宮に行くとしか伝えていない。行かないことにはその依頼内容もわからないと。それでもふたりは快く了承してくれた。


 ひとりは二十二歳で道士の階級は乙。白黎バイリーという名の青年で、臆病だが慎重な性格故に、見切りをつけるのも早い。つまり、判断が早いし鼻が利くという、引き際を見極めるのが上手い道士。


 そういう者がいることで妖者との戦いにおいて自身や周りの者たちが生き残る確率が上がると、憂炎ユーエンは考えている。


 もうひとりは十六歳で同じく階級は乙。柳雨リィウユー。若いが向上心があり、前向きな性格。年齢の割に周囲に対して気が利き、協調性がある。経験は足りないが要領が良く、俯瞰で物事を見ることができる。


 前線に立つことはまだないが、その分周りの補助をするのが上手い道士だ。今回が初任務となるが、間違いなく今後の戦力になる人材なのだ。


白黎バイリー柳雨リィウユーか。確かに口は堅いし、信頼できる人材といえよう。では丞相殿、」


「この任務は成功以外の帰還は難しいと思ってくれ。何日かかろうとも、可能性がある限り戻れない。つまり、失敗はけして許されないということだ。それを踏まえたうえで、私についてきなさい」


 はい、と三人は丞相に対して拱手礼をし、それをもって任務を引き受けるという意思を示した。そして丞相が先頭になって天師府を後にし、ここから離れた場所、後宮の敷地内にある胡蝶フーディエ宮へと向かう。



 すでに夜も深まり、美しい満月が闇空を照らしているような時間だった。



◇◆◇◆◇◆◇



 後宮。皇帝の妃たちや未成年の皇子や皇女、女官、宦官などが暮らす場所。本来は男子禁制である後宮だが、この国においては道士のみが【怪異】を退けられるため、妃と名の付く者の導きがあれば依頼をして招くことが可能だった。


 もちろん女性の道士もいたが、皇帝の意向により、能力が高い者が早急に解決することを優先としていることもあって、大概は道長どうちょうが赴くことになっている。


 が、道長どうちょうは未だ王都には戻っておらず、その次に候補として挙がったのが首席道士である憂炎ユーエンだったのだそうだ。いつ帰って来るかもわからない道長どうちょうを待っている暇はない。つまり、事は一刻を争うということなのだろう。


 胡蝶フーディエ宮に着くまでの間、少し違和感を覚えていた。後宮になど足を踏み入れたことがないので、これが当たり前なのかもしれないが、それにしても。


(人払いでもしているのか?)


 深夜といっても女官や侍女たちの姿さえないのはさすがにおかしい。あえてひとのいない時間帯、もしくは裏道を選んで歩いていたとしても、だ。


 しん、と静まっていることや誰ひとりとしてすれ違うことのなかったその違和感に、今回の依頼の件に対して、麗思リースー妃がどれだけ内密にしたいと思っているのかを物語っている気がした。丞相が手を回したのか、それとも麗思リースー妃の意思かはわからないが、厄介なことに巻き込まれていることは事実。


「お待ちしておりました、丞相殿。道士殿たちも。さあ、中へお入りください」


 胡蝶フーディエ宮の前で、初めて宦官のひとりが姿を見せた。その面持ちはかなり疲れた印象があり、迎えた声も弱々しかった。


 早々に促され、すぐに扉が閉められる。案内されて通路を進んだその先に、再び立派な扉が現れた。宦官が声をかけると、扉の向こう側から「入れ」という少し神経質そうな女性の声が返ってくる。


 開かれた扉。丞相含め、憂炎ユーエンたちは頭を下げたまま跪いて、姿勢を正し胸の前で腕を囲って指を重ねると、いつもの簡易的なものではなく、儀礼的な拱手礼の形を作った。


「丞相殿、無理を言ってすまなかった。しかし事態は深刻。医官たちも常駐してもらっているが、一向に回復の兆しがない。病ではないのなら、怪異の仕業か、もしくは呪術の類としか考えられぬ」


「決めつけるのはまだ早いでしょう。それに、そんなことを口にして誰かに聞かれれば、それこそ妃嬪様のお立場が危うくなります」


「わかっておる。だがこれで皇子を失えば、関わった者たち全員の首が飛んでもおかしくはない事態となろう」


 頭を下げ瞼を伏せたまま、憂炎ユーエンは妃嬪の息子である第三皇子の噂を思い出していた。


 第三皇子である皓懍ハオリェンは、幼い頃から霊障の影響を受けやすい体質だったようだが、ある時期を境に改善されたという。


「故に、今あの宮殿にいるのは丞相殿が人選してくれた信頼できる者だけ。それはつまり、なにかあれば丞相殿の責任ということにもなろう」


「そのとおりにございます。では妃嬪様、こうしている間にも時間は過ぎてしまいますから、早々に本題に移った方が良いでしょう」


 丞相はしれっと責任を自身に押し付けてきた妃嬪に対して、さっさと本題に入れと促す。彼は彼でいい度胸をしていた。穏やかな笑みまで浮かべ、なんてことはないという顔でさらっと受け流す。


 普通なら真っ青になって、口ごもってしまってもおかしくないだろう。いくら自分たちの間に薄い天幕が下ろされ、相手の目を見ずに済んでいるとしても、だ。


 隔たれた先に見えるのはぼんやりとした人影。妃嬪、麗思リースー妃は小さく嘆息したのち、事の次第を語りだす。


 あれは三日前の深夜のこと。


 皓懍ハオリェンが自身の居である紫華ズーファ殿の自室の扉の前で、意識不明の状態で発見された。特に目立った外傷もなくなにかの病かと思われたが、優秀な侍医や医官が診ても原因がわからず、いまだ眠ったままなのだという。


 そして眠り続けたまま、今夜で四日目を迎えようとしていた。


「三日後に行われる祭事までに原因を解明し、皇子を目覚めさせるのだ。それができなければ、そこにいる者たちも含めて全員、例外なく罰することになろう。その首を繋げておきたければ、肝に銘じて事に当たれ」


 麗思リースー妃から半ば脅しともとれる命を賜り、憂炎ユーエンたちは顔を上げることもないまま宮を後にした。憂炎ユーエンはともかく、後ろを重い足取りで歩くふたりの道士たちの表情がぎこちない。丞相とは途中で別れ、引き継ぐようにある官人が門の前で待っていた。


 華衛かえい府の官人、烏影ウーインだった。


「ここからは俺が案内するぜ。あんたらも災難だったな。だがその前からいる奴らに比べればまだマシな方さ」


 皇子は紫華ズーファ殿の寝所で眠り続けている。そして丞相が厳選して集めたという、信頼できる者たちが数日そこに軟禁状態になっていることも知った。


 皇子の身の回りの世話を任された女官がふたり、医官が三人、護衛官がひとり、今夜からさらに道士が三人増えることになる。


 案内された先。紫華ズーファ殿の前で烏影ウーインも案内人の役目を終えるとさっさと去って行った。彼もいろんな意味で忙しい身だ。次の任務へと移ったのだろう。


 門の前には衛兵がふたり立っており、憂炎ユーエンが玉佩を見せると道を開けてくれた。中に入るとそこには女官がふたり立っており、そこで憂炎ユーエンは、思いもしない人物の姿を目にすることになる。


「お待ちしておりました、道士殿。どうぞ、中へ」


 女官たちは拱手礼をして頭を下げたまま挨拶をした。しかしゆっくりと顔を上げて憂炎ユーエンの姿をその視界に映した時、右側に立つ女官が石のように固まってしまった。


「ん? どうしたの、玲玲リンリン


「····な、なんでもないです! ちょっとぼんやりしてしまって!」


「あらあらこんな時にいけない子ね。お仕置きが必要かしら?」


「 け、結構ですっ!」


 隣の女官が彼女の耳元でなにか囁いた途端、真っ赤な顔で動揺する姿に、ますます憂炎ユーエンは首を傾げるしかなかった。


 玲玲リンリンと呼ばれていたが、彼女はいつから道士を辞めて女官になったのか····。


 視線が再び重なる。


 しかしその表情は困惑気味で、この偶然の再会を喜んでいるというわけではなさそうだった。重なったのも束の間、すぐに視線を逸らされてしまう。


 眠り皇子がいる寝所に案内される道中、前を歩く彼女の後ろ姿をじっと見つめながら、憂炎ユーエンはなんだかもやもやした気分になるのだった。




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