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2-4 秘密の依頼


 時は李清リーチンが訪ねてきた数日前へと遡る。


 師である嗚嵐ウーランの部屋に朝餉と茶を届けるため、暁玲シャオリンはいそいそと支度をしていた。汁物と先に作っておいた粥、これだけではさすがに失礼と思い、後で食べようと思っていた柘榴の実を添えて片方のお盆にのせる。もう片方のお盆には茶器がのせられ同時に運ばれていく。


師父しふチンおじさん、お待たせしま····わっ」


 両手が塞がっていたので、扉を右肩を押し付けて開けるまでは良かったが、そこから一歩踏み出した途端に体勢を崩し、お盆が傾きそうになったその瞬間。塞がれていたはずの両の手のひらの上からお盆がふたつとも消えていただけでなく、斜めに傾いだ自分の身体も倒れずに済んでいることに驚く。


 ゆっくりと見上げてみれば、右腕で自分を支え、左腕と手の平に器用にお盆をのせた嗚嵐ウーランが、すぐ横に立っていた。


暁玲シャオリン、いつも言っているでしょう? 急がば回れ、横着はよくないと」


 料理と茶器がのったお盆は、どちらも嗚嵐ウーランがあの一瞬で入れ替わるようにお盆を受け取ってくれたおかげで、一滴も零れることなく済んだようだ。いったいどうやったんだろう····と暁玲シャオリンはひとり驚いていたが、頭の上で「はあ」と大きなため息が聞こえてきた。


「いいですか、暁玲シャオリン。君は優秀な弟子であり、目に入れても痛くない私の大切な家族でもあります。しかし厄介なのは、優秀なのにおちょこちょいでどこか抜けているという、天然で可愛らしいところが最大の魅力だということ」


「え、ええっと····それは、褒められているのでしょうか?」


「褒めてるな、間違いなく」


 うむ、と李清リーチンは頷く。つまりは『優秀なのに天然で可愛らしい』という、長所と短所の微妙な相違が良いといっているだけである。見た目は若いが中身じじいの、ただの可愛い孫自慢にしか聞こえない。


「このような良い意味で相違のある性格が好きな類の人間が、この世にどれだけいると思います? そうでなくとも君は仙女の如く美しく可愛らしい。この山から下りてしまえば、変な虫がわんさか寄ってきてもおかしくないのです。ましてや王宮にはいろんな人間がいますから。いいですか? 私のいないところでは、絶対にそのような無防備な姿を見せては駄目ですよ?」


 うわぁ······めちゃくちゃ饒舌に語ってるから言いにくいけど、ここははっきりと言うべきかな?


「ええと····つまり、師父しふたちみたいなひとには気を付けろってことですか?」


「言われてるぞ、嗚嵐ウーラン。過保護もそこまでいくと病気だ。自重しろ」


李清リーチンあなたのことですよ、自重してください」


 嗚嵐ウーラン李清リーチンを見据えて言い放つ。そんなふたりのやり取りに対して、暁玲シャオリンは「どっちもどっちですよ」と心の中でぼそりと呟くのだった。


師父しふ、とりあえず地に足を付けたいのですが····」


「仕方ないですね、」


 残念そうに嘆息しつつも、抱えていた暁玲シャオリンをそっと立たせてくれた。やっと自分の足で地に立つことが叶った暁玲シャオリンは、嗚嵐ウーランの手の上にのっているふたつのお盆を受け取り、丸い机の上にひとつずつ並べていった。


「あれ? そういえば、さっき王宮がどうとか言ってませんでした?」


暁玲シャオリン····本来なら君をあそこに行かせるのは絶対に反対ですが、事が事なだけに今回だけは許可せざるを得ないようです」


「それはどういう?」


「まあまあ。とりあえず朝餉を食べながら話すとしよう。腹が空いてはなんとやらだ。順を追って説明するから、暁玲シャオリンもここで一緒に食べよう」


 李清リーチンはいい香りのする料理を前に、目尻に皺を寄せながら穏やかな笑みを浮かべた。



◇◆◇◆◇◆◇



 李清リーチンの話は実に単純なことだった。深夜に自室の前で倒れていたところを発見されてから、二日間眠り続けている皇子を目覚めさせること。そう、話は単純。しかし事はそう簡単ではないらしい。


「医官たちも手を尽くしたがまったく原因がわからない。病的な部分でも外傷的な部分でもない。まあ、倒れた時の打撲痕などはあったが、例えば誰かに殴られたとかそういう類のものはなかったという意味でな」


 眠ったまま目を覚まさない眠り皇子こと、第三皇子の皓懍ハオリェン。病でないのなら【怪異】の仕業ということもあり得る。


 しかしそういう事態のために天師府があり、王宮には大勢の道士たちが交代で常に控えていると聞く。それに天師府の道士の中には、階級にもよるが皇帝陛下の許可を得られれば、王宮内のあらゆる場所を探索できる者もいたはずだ。


「これは妃嬪様からの内密な依頼で、運悪く捉まってしまってね。口が堅い信頼できる者を集めて、皇子の宮殿に集めろと命じられたもんだから。とりあえず皇子の護衛官殿と、腕がよく真面目な医官を三人用意した。これから道士も三人増える予定だが、もしもということもある」


「それで私? でも外部の者が王宮になんて入れませんよね?」


 武官にしろ文官にしろ役職には手続きが必要だ。王宮の道士になるには三年に一度行われる試験に合格するのが必須である。これは合格者がいない年もあるくらい厳しいもので、その試験を乗り越えた王宮の道士たちは、階級はあれど皆が優秀な人材であるといってもいい。


暁玲シャオリンには私の方で一時的な役職の手続きをして、道士ということは隠したまま潜入してもらう。もうひとりが君の補助役となって、手助けしてくれる手はずになっている」


「もうひとり? その方も道士なんですか?」


 暁玲シャオリンは不思議そうに訊ねる。


「いや、私の直属の部下で、若いが臨機応変に動ける今どき貴重な子でね。先に女官として送り込んでおいた。彼女なら皇子とどうこうなんてことも心配ないし、本職が武官だから護衛としても力を発揮できるので最適といえよう」


 はあ、と隣で嗚嵐ウーランが本日何度目かわからない、深いため息を吐く。


「誠に不本意なのですが、君には女官に扮して、皇子が目覚めない原因を探ってもらいたいのだそうです。しかも解決するまで戻れない上に、失敗すれば罰せられるかもしれないという最悪の依頼です」


「その最悪の事態を招かないためにも、暁玲シャオリンに来てもらいたいと思っているんだ。それにもし皇子が君の存在に気付けたら、飛び起きてくれる可能性も無きにしも非ずというか····とにかく、暁玲シャオリン、君が必要なんだ」


 なぜ自分が行って皇子が飛び起きのかは謎だったが、暁玲シャオリンに断る権利はないだろう。


 そもそも嗚嵐ウーランがすでに許可しているわけだし。女装はちょっとあれだが、おそらくいけるだろう。声も低くないし、頑張ればそれっぽく話すことも可能だ。バレないようにもうひとりの女官役のひとが助けてくれるのなら心強いし。


「わかりました。師父しふがすでに許可を出している件ならば、断る理由もありません。それに少し、いえ、実はすごく興味があります。皇子様がなぜ目覚めないのか。その原因も」


「そうだろう、そうだろう。君も関わりのある御方だからね」


「え? そうなんですか?」


 まったく記憶にないことを言われ、暁玲シャオリンは首を傾げる。そんな暁玲シャオリンの様子を見て、嗚嵐ウーラン李清リーチンは視線だけ交わし、不憫そうに見つめるのだった。




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