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第三章⑪

 右南は、眠るようにして亡くなった。


 昼寝をしてくると言って、約束の時刻に起こしに行ったときにはもう息をしていなかった。


 満砕が二十五歳のときだ。享年百三歳だった。献栄国の平均寿命が六十歳であることを踏まえると、かなりの大往生だったと言える。


 瓏家の者たちが嘆き悲しむ中で、満砕は葬式の手配に忙しく走り回っていた。悲しみに暮れる時間と資格を与えられないまま、式の準備に奔走する。それは当然だった。満砕は今や、右南の身内ではないのだから。


 義弟が亡くなった衝撃はもちろんながらあった。それ以上に、右南は満砕のたった一人の理解者であった。この時代で唯一、零周目の満砕を知っていた人物だった。


 かつて右南が言っていたこれが「置いていかれた側」の感覚なのだ。


 ――これは、きついな。


 立憐にも、右南にも、夏陀や悠都にも、この思いを感じさせてしまったのか。


 満砕は今になって、彼らの気持ちを知るはめとなった。


「――満砕」


 廊下を早足で進んでいたとき、名前を呼ばれた。振り返った先には美少女から美女に成長した麗蘭がたたずんでいた。


 小さく丸みを帯びた頬はすっきりとして、身長もぐんっと伸びた。凛々しさを感じる美しい容姿は瓏家の血を多分に感じる。悠都から引き継がれた長い金髪を惜しげもなく背中になびかせている。


 白い喪服に身を包んだ麗蘭は、沈鬱さを宿しつつも、気丈に振る舞っていた。来年成人を迎える彼女は、ずいぶんと逞しさも身につけた女性になったと思う。


 麗蘭は気遣うような目で満砕を見つめた。


「休みなく働き過ぎよ。こちらで少し休憩しましょう」


「ですが……」


「あなたの主人は私なのよ。誰も文句は言わないわ」


 高慢にも見える態度でありながら、麗蘭の言葉にはどこまでも優しさに満ちていた。


 満砕が手元に持っていた荷を麗蘭は見止めてから、有無を言わさないうちに背を向けられた。


「四阿で待ってるわ。お茶の用意をお願いね。ちゃんと二つ分持ってくること!」


 言い終えるが早いか、麗蘭は去っていった。


 満砕はまず、ほかの家僕に麗蘭に呼ばれたことを報告した。お嬢様は相変わらずだなあ、と苦笑する同僚たちに背を押され、今度は厨に向かう。茶と茶菓子の準備を、言われた通り二人分してから、足早に中庭の四阿へ向かった。


 外の天気は冬から春に変化する風が吹いていた。長時間居続けるにはまだ少しだけ肌寒い。茶を暑めに入れてきて正解だったと心中で思う。


 麗蘭は四阿の縁に肘をついて、ぼうっと空を見上げていた。早春の薄い雲がかった空の奥を見つめている。


 満砕が近づいたのに気づくと、盆に乗せられた茶菓子を見て嬉しそうな顔をした。盆を机に置いてから、まずは肩掛けを麗蘭に手渡す。


「相変わらず気が利いているわね」


 誉め言葉をいただき、満砕は「恐縮です」と礼を言ってから茶器に茶をそそいだ。


「曾爺様は、あなたのそういうところを気に入ったのかしら?」


 熱くなった茶器に手を添えて、冷えた体を温めている麗蘭がぽそりと口にした。


「……さあ、どうでしょう。聞いたことがありませんでした」


 右南と再会した当初、彼は満砕が義兄であるとは知らなかったはずだ。


 にもかかわらず、満砕をそばに置いてくれた。補佐役として、本当ならば必要がなかっただろう役職を与えてくれた。


 当時は深く思わなかったが、最初から右南は何かに気づいていたのかもしれない。


「あなたと一緒に、巫子様のお話を曾爺様からたくさん聞いたわね」


 冷めてきた茶に口をつけた麗蘭が、楽しそうな声で追想する。満砕も「そうでしたね」と同じ温度で呼応した。


「対面してお会いしたことなんてないのに、ずいぶんと巫子様に詳しくなっちゃったわ」


 くすくすと手を口に当てて笑う麗蘭に、満砕も自然とつられて微笑んだ。


 麗蘭は武人としてかなり優秀であると聞き及んでいる。瓏家当主が次々代当主に麗蘭を据えようとしているという話も聞いたことがある。女性でありながら、ほかの後継者に引けを取らない実力に、瓏家も安泰である。


 瓏家は巫子の護衛役を担っている武家だ。優秀な者は当然ながら護衛兵として選出される。


 しかし、麗蘭は女性であるがゆえに、選ばれる道は絶たれていた。現巫子が男性であるため、異性の麗蘭は護衛兵になれないのだ。


 昔から右南に話を聞かされていた麗蘭が、この事実を知ったときの落ちこみ様は凄まじかった。まだ幼かった彼女は感情を隠す術を学んでいる最中だった。涙を目のふちに溜め、それでも泣かないよう耐えていた。神殿の決まりであるため、文句を言っても仕方のないことだと理解ができる年頃だったのだ。


「私、巫子様に対して憧れが強く表れちゃって、今思うと不敬だけれど、あれは一種の恋心だったわ」


 かつてを思い浮かべる麗蘭は、当時の幼い自分を思って弾んだ声を上げた。


 茶を半分ほど飲んだとき、茶器を机の上に戻した。麗蘭は対面に座る満砕に向かって背筋を正した。


「曾爺様の私室は書室として私がもらい受けたから、これからも通って良いわ。私が呼んだときだけ、追従してちょうだい」


 話が一気に変わり、満砕は戸惑いながら自分も茶器を机に置いた。


「ですが、麗蘭様――」


 否定を口にすると、麗蘭はむっとした。子どもっぽい、不貞腐れた顔を向けてきた。


「さっきから『ですが』『ですが』って! 私が良いと言っているのだから、あなたは私の言う通りにしておけば良いのよ」


 詰め寄らんばかりに、人差し指を鼻先に突きつけられる。麗蘭は止まらない勢いで口を回した。


「あなたが曾爺様と何を調べていたのかは、今も私は知らないままよ。曾爺様は最期まで私に教えてくれなかったから。……けど、それが曾爺様と満砕にとって、ひいては巫子様のためになるのなら、護衛兵の任を請け負っている瓏家はいくらでも支援するわ。だから、遠慮なく何でも言いなさいな」


 指を下ろすと、麗蘭は鼻を鳴らして腕を組んだ。


 あまりにも自分に都合の良い待遇に、おずおずとしながらも尋ねずにはいられなかった。


「麗蘭様は……どうしてこれほどまでも、私に良くしてくださるのですか?」


 右南はすべてを知っていた。満砕の事情も、立憐の現状も。だからこそ、彼が協力的であったと思っている。義弟の献身を利用したことを今でも悔いているが、義弟自身がそうすることを望んでいた。


 麗蘭は満砕の問いに呆気に取られた顔をした。


「あら? あなた、その台詞を曾爺様には言えた? 私だから言ってるのではなくて?」


 あまりにも図星で息を止めてしまう。満砕がその返しに何も言えないでいると、麗蘭は深いため息を吐いた。


 そして机に手を突いて立ちあがると、素早く満砕の隣に移動してきた。


「あなたとはそれなりに信頼関係を築いてきたつもりだったけど、まだまだ甘かったみたいね」


 困惑していると、麗蘭は満砕のすぐそばに立った。先ほど鼻先に向けられた人差し指が、今度は満砕の額に当てられる。意識が前頭に集中した。


 麗蘭は人の悪い笑みを浮かべて、高慢な態度で言ってのける。その様子は自信に満ちた彼女には似合っていた。


「満砕、覚悟なさい! 曾爺様と同じくらい大事にしてあげるんだから」


 貴族らしい言葉でありながら、やはりそこには温かな情が含まれていた。


 右南が満砕を家族として扱っていたのを、一番近くで見ていたのは麗蘭だった。だからこそ、彼女は快く満砕を歓迎してくれるのだろう。


 麗蘭の指が離れてようやく、満砕は深々と頭を下げた。心からの礼を最大限に述べたのだった。


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