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第四章①

 自身が四回の生を受けていることを満砕は知った。


 巫子歴百六十年、満砕が四十三歳のときだった。


 ――また随分と高齢に生まれ変わったな。


 初めて転生していたことを自覚した二周目と比べて、三周目の自分はあまりにも冷静だった。


 頭痛や吐き気はない。代わりに、二周目の最期が思いだされる。気が遠くなる感覚が今の体も覆い尽くそうだった。


 どうにか現実を意識する。献栄国の黒髪と青目を持つ、特徴のない顔の男性。今の満砕は四十三歳の中年だ。二十七歳で死んだ前回を思うと、だいぶ年寄りな気がしてしまう。


 満砕が三周目の自分を振り返っていると、隣に立っていた青年が声を弾ませた。


「ね! 巫子様のお披露目に来て良かったでしょう!」


 青年の方を見て、満砕は思いだす。自分はこの青年の説得に負けて、生まれてから一度も見に来たことがない、巫子の披露の場にやってきたのだ。


 彼の名前は清慎羅せいしんら。満砕の弟子である。


 ――そうだ、俺はこの生では学者なんだ。


 歴史学を研究している学者で、何人もの弟子を抱えている。


 満砕は古代生物についてばかり関心を持っていた。一応、人間に分類される巫子に対して興味はなかったため、姿を見に来たことがなかった。今日この日、慎羅に連れてこられるまでは。


 歓声が遠くで聞こえている。その喝采の渦の中にいると言うのにもかかわらず、自分だけが取り残された心地であった。


 頭上を見あげる。櫓の上に立っている、白く輝く存在を。


 ――おまえは今もなお生き続けてくれているのか。


 かつて、満砕が「生きてくれ」と願ったことを守り続けてくれているのだろうか。


「――慎羅」


 弟子の名を呼ぶと、慎羅は「はいっ!」と元気良く返事をした。


「研究室に戻る。やることができた」


 簡潔に述べると、満砕は立憐に背を向けた。後ろから慎羅の戸惑いの声が聞こえてくる。


 巫子を崇める民衆とは真逆の方向へ、ずんずんと足を進める。逆行する満砕を苛立たしげににらんでくる民を無視して、かき分けるようにして広場をあとにした。


 記憶の中にある道順を辿り、王都の中央市場から離れた一角にある研究区画に足を踏みいれる。この区画には献栄国内の最先端の学問が集結しているのだ。


 国から任されている歴史学研究所、その最奥にある満砕のための研究室へ入る。そこには数人の男女が古文書を囲んで討論していた。


 満砕の入室に気づいた弟子たちが一斉に挨拶をくれる。


「満砕師匠せんせい、おかえりなさい」


「早かったですね。慎羅と一緒に大祭に行ってきたんじゃないんですか?」


 ここにいる彼らは、大祭に興味が湧かない変わり者たちだ。満砕の弟子たちはこういった献栄国への信仰心や愛国心をどこかに置いてきた者ばかりが所属していた。


 唯一、流行や人気なものに目がない慎羅がここでは珍しい部類だ。「巫子様は献栄国の歴史そのものですよ⁉」と喧伝していたが、歴史の中でも興味ある部門が分かれている弟子たちには響かなかったようだ。


 そうだ、と思い返す。誰も大祭へ同行してくれないと嘆いていた慎羅を哀れに思い、満砕は彼に同行したのだ。


 にもかかわらず、早々に帰ってきた師匠について、弟子たちは口々に話し合う。


「やっぱり師匠は巫子様に興味なかったんだよ。賭けは俺の価値だな」


「あら、賭けなんて最初から勝負になってなかったじゃない。慎羅以外、『師匠が巫子に興味を持つ』の方に入れなかったんだから」


 弟子たちが軽口を叩き合っていたころ、ようやく慎羅が研究室に帰ってきた。


「はあ、はあ……。せ、師匠、いきなりどうしたんですか?」


 群衆をかき分けてきたせいか、慎羅はヨレヨレに疲れきっていた。肩で息を整えながら尋ねてきた。


 満砕は弟子を見回して、全員に聞こえるよう声を張った。


「たしか書庫に巫子関係の古文書が保管されていたな。悪いが運ぶのを手伝ってくれ」


 言うが早いか、満砕は書庫へといち早く向かった。


 数拍遅れて、背後から弟子たちの戸惑いの声が上がった。それからしばらくして、バタバタと慌ただしく行動を起こす音が聞こえてくる。


 書庫に入ると、黴臭い独特な匂いが鼻を突いた。定期的に入れ替えをしても、古文書特有の古臭さは取れないものだ。


 出入口の手前に置かれている書棚ほど、書物は新しい。巫子に関する書物を流し見て、ほとんどが右南が揃えていた書物ばかりであると確認する。三周目の現在でも、内容はすべて頭に入っている。


 三周目に入ってから作成された、四十三年間分の新刊だけを選択して書棚から取りだしていく。


「せ、師匠!」


 事態を呑みこめていないのだろう、動揺を顔に浮かべた弟子の一人が駆け寄ってくる。無言で彼に取りだしたばかりの書物を手渡していった。


 弟子は「え? え?」と困惑の声を上げながら、積み重なっていく書物と満砕を見比べた。次から次へと足されていく書物を落とさないよう慌てて持ち直した。


「それをすべて私の机の上に置いてきてくれ」


 そう言い残すと、満砕は書庫の奥へと向かった。「えー?」といまだに現状を理解できない弟子の声が書庫に響く。もちろん満砕は説明せずに放置した。


 巫子関係の古文書の棚の前には、ほかの弟子たちが先に行動を起こしてくれていた。


「満砕師匠、こちらはどうなさいますか?」


 思慮深い彼女は、満砕の行動の意味を理解できていなくても、冷静に対応していた。


 満砕は丁重に動かすように指示を下す。先ほどと同じように自分の研究机に置くように告げた。


「師匠! とうとう巫子様の偉大さを理解してくれたんですね!」


 そばかす顔を輝かせる慎羅に視線を向けた。返事をするのが面倒で、にこりとだけ微笑んで見せただけで無視をする。ほかの弟子たちが不思議そうに見あげてくるので、それらに一々反応するのも煩わしくて見なかった振りをした。


 三周目の満砕は、古代生物以外は興味のない男だった。大した成果もない学問だと揶揄する者もいたが、好きなことを集中して調べ尽くし、歴史学の第一人者として活躍することで、国から今の立場を保証されるようになった。


 研究所の管理を任されるようになってからは、献栄国各地に散らばっている古文書を収集して、年代別に分けて研究する毎日だった。


 同類には甘い部分があり、歴史学にしか興味ない似た者が次第に集まり、慕ってくれる弟子が幾人もできた。


 巫子関連の書物も、古文書を集める過程で自然と集まったものだ。しかし、信心深さが欠けていた以前の満砕は、今までそれらを分類別にしたあと放置していた。主にこれらの関連書を熟読していたのは慎羅くらいだっただろう。


 巫子を見に行ったと思ったら、巫子について研究しだした師匠を、弟子たちが驚くのも当然の帰結だった。


「私はこれから巫子制度や献栄神についての研究をする。おまえたちはいつも通りそれぞれの仕事を行ってくれ」


 書物を運び終え、全員揃った弟子たちに向かって端的に告げる。


 最初は混乱を見せた弟子たちも、それから毎日毎日古文書にかじりつく満砕を見て、師匠が本気だと気づいたようだった。古代生物以外にも興味の湧くものがあったのか、と驚く者がいる反面、「師匠の中ではきっと巫子も古代生物なんだよ。実際、長生きだし」と勝手に納得していた弟子もいた。


 同胞の存在に歓喜で騒がしかった慎羅でさえ、しばらくすると、とやかく追及してくることがなくなった。満砕の熱中の仕方があまりに異様だったからだろう。


 満砕の心が逸るのも不思議なことではない。


 ――俺はもう四十三だ。平民出身の研究職が、いまさら護衛兵になれるはずもない。


 それなら、今の満砕にできることは一つだ。


 幸運なことに、三周目の今回も知識を吸収するのに最適な環境にある。古文書を読み解く頭脳も知識も、四十三年間という下積みのおかげですでに身についている。


 ――徹底的に、この世の仕組みを解き明かしてやろうじゃないか!


 満砕はところどころが欠けている古文書の表紙を、手袋をはめた手で優しくなで上げた。


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