目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第7話 少女が運ばれたその理由

 闘技場の外にはアレンがまだ見たことのない街並みが広がっている。


 街を二分する大通りの西側にはギルドセンターや教会、王宮の他、浴場や商店、魔法店、食堂に倉庫など商店街が、東側には住宅街が設置されている。


 闘技場は住宅街のさらに東奥、スラムの中にひっそりと造られていた。奴隷の多くはスラムの出身だ。戦争に敗れた種族や民族が身を寄せて生活している。日の当たる住宅街や商店街に住んでいたのに、何かをきっかけに落ちぶれて流れ着いてくるものもある。アレンは奴隷階級出身で、両親は僅かなお金のために幼いアレンを闘技場に売った。


(あの子もそんな理由なのだろうか? それにしても店主が言うように奴隷とは言えないほど品格があったが)


 貴族だとしても落ちぶれて娘を娼館に売り飛ばすなんてことは聞かない話じゃない。だが、闘技場なんて──。


 アレンは頭を横に振った。せっかく亡くなったグリングから譲り受けた本『アンフィテアトルムの地理』を読んでいるのに全く頭に入っていない。ともすれば、本の記述からすぐに金髪碧眼の少女のことを連想してしまう。見た目的には同じくらいだが、少女、とそう言ってもいいだろう。実年齢が違い過ぎる。


 予想外に住宅区の中は静かだった。アレンはすぐにでも悲鳴が上がるものだと覚悟していたものだが、時々聞こえる雑談と足音くらいで少女の声は聞こえなかった。


(わざわざ闘技場に来るくらいだから何か取り決めがあるのかもしれない)


「ああ──くそっ」


 アレンは本を枕元に置くと、夜闇を照らしていたランプの赤い灯りを消して眠りにつくことにした。


(グリング。何があろうとも生き逃げる。……それだけでいいはずだよな?)


 微睡みの中で少女の瞳が思い出される。力強い輝くような瞳にアレンの意識はぼんやりと過去を遡っていた。生まれるよりも遥か遠い過去。その記憶の中の少女も同じ強い意志の宿る目をしていた。アレンは、なかなか眠れず何度も寝返りを繰り返していた。





「──そういうことか」


 次の日、再び戦場に招集されたアレンは少女が乱暴されなかった理由を知った。鮮やかな金髪の少女一人を、下品な笑みを浮かべた男達がぐるりと扇状に囲む。満席の観客もこれから何が行われるのかを知って、いつもとは色の違う声援を送っている。


 そして、そのことを知っているであろう咲いたばかりの花のような少女は、固い表情で使い慣れていないであろう長剣を両手で握り締めていた。


 銅鑼が鳴り、戦いが始まる。スキルを発動させたアレンの瞳には、全ユニットが赤色を纏っていた。


(こんなの戦いなんかじゃねぇだろ。一方的ななぶり殺しだ)


「さぁて、誰から行く? ん?」


 運悪く今回も当たってしまったのはヴィポだった。灰色の半巨人は舌舐めずりをすると、値踏みするように少女の身体に視線を這わせる。


「誰でもいいぜ、こんな女チョロいもんだ」


 別の声が応えた。


「じゃあ、一斉にかかるのはどうだ? 全員、本当は自分がいきたいんだろう?」


 誰かの下衆な提案を受けて一人ずつ少女ににじり寄っていく。アレンの目には一マスずつ着実に少女の陣地へと近付いていくのが見えていた。


 アレンは鈍色のナイフを手にするも、後ろにも前にも動けないでいた。


 勝ち筋がまだ見えない。場を支配するボスキャラは変わらずヴィポであるものの、倒す手段はないし唯一の味方も失い立ち向かう術もない。自分一人だけがこの場で勝ち残るためには他の全ユニットに協調すればいいだけだが、何かが強く拒んでアレンの動きを止めていた。


「来るなら来なさい! 全員斬り捨ててやるわ!」


 少女は長い髪を揺らしながら左に右にと剣を振るうも、剣筋が素人同然なのはここにいる誰の目にも明らかだった。 


「どうしたぁ? アレン行かないのかぁ?」


 隣にいた奴隷が声を掛けてくる。地の精霊の血を引いているのか、通常よりもかなり背の低い、褐色の肌からおそらくはドワーフ族の奴隷。


(俺は……)


「大丈夫だぁ、噂に聞いたけど、今回の戦いは特別仕様。女を慰み者にして終わりだとよぉ。へへ、初めてでもよぉ、そんな腰引けてどうすんだ? こういうことは欲望に任せりゃいいのよぉ!」


 その様を想像してアレンは目を瞑る。思わず身震いする自分がいた。


「じゃあ、俺は行くでなぁ」


 何も言わないアレンに興味がなくなったのか、髭面の小人は自分よりも大きな斧を担いで横を通り過ぎていった。


 その間にも「やぁ!」だの「たぁ!」だのソプラノの高い声が闘技場に発せられる。


「へへっ、さぁてまずは身ぐるみ剥がしちまうか!」


 ヴィポの野太い声にハッとして目を開くと、少女と目が合う。次の瞬間には、ヴィポが少女の領域に侵入し、素早く後ろへと回った。


「やぁあ!!!」


 空を切った剣を後ろから重い拳がはたき落とすと、ヴィポは少女の両腕を持ち上げて羽交い締めにする。


「は、放しなさい! 今すぐ! 汚い手で私に触らないで!!」


(──逃げろ)


「威勢がいいなぁ。やる気がむくむくと大きくなる。でも、これで……どうかな?」


 少女の剣を拾った別の男が斜めに斬る。スパン、と着ていたローブと布の服が切れて胸元がはだけた。


(……逃げろ)


「面白いな! 俺にもやらせろよ! はぁっ!!」


 別の奴隷が2回剣を振るうと布地はズタズタに切り裂かれて大勢の観客の前で真っ白な下着姿が露わになった。指笛や卑猥な笑い声が会場中を包み込む。


「逃げろ」


 アレンは気づかぬうちに呟いていた。ナイフを持つ手が震えているのを見て、自分の状態が冷静じゃないことを知る。


(落ち着け。ただのショーだろ。こんなこと、いやこれ以上のことも戦場では何度も起こっている。どの時代も兵士はまともじゃいられない。頭のどっかがおかしくならなければ日常的に命をかけたやり取りなんてできるわけがない。こんなの、こんなの生き逃げるためには当たり前のことだ)


「さぁて、そろそろ、その可愛い顔にでも──」


 また別の、脂ぎった男の顔につばが飛んだ。少女はキッと睨みつける。


「恥ずかしくないの!? ──まあ、そうよね! 一人の女に寄ってたかって! あんたみたいな男は一人じゃなんもできやしない!」


「な、何だと、てめぇ!」


 続けて少女は闘技場全体を見回して吠えた。


「いい!? ここにいる全員、恥を知りなさい!! 日もまだ高い朝から、むさ苦しい男たちに捕まってる女を見て何が楽しいのよ! 私がピーピー小鳥みたいに鳴くとでも? 舐めんじゃないわ! 私は絶対に屈しない! 諦めない! 噛み付いてでも呪ってでもあんた達全員を殺してやる!!」


 一気に怒号が飛び交う。囲んでいた奴隷たちは全員が得物を手にして少女の声を封じようと訳の分からぬ声を上げて凄んだ。


「全員、黙れ!!!!」


 ヴィポが会場中を震わすような大声を出した。一触即発だった雰囲気は消え去り、静かになる。


 黄色の瞳がアレンの方を見た。


「アレン、来い。お前がやれ」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?