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第21話 心が落ち着かぬ崎十郎と、義母園絵

 翌日は非番だった。

 朝から吹き降りで雨戸を開けられぬために家の中はひどく暗かった。


 身体の芯まで冷たくなる。


 昨日の今日では心が落ち着くはずもなかった。


 朝餉のあと、自室で袴をはいていると、優雅な衣擦れの音とともに園絵がやってきた。


「おや、崎十郎殿、このような雨の中を、お出かけですか」


「身体が鈍っては困りますゆえ、これから稽古場へ行ってまいります」


 屋敷にいると、園絵に一挙手一投足を見張られて困る。


 痒いところに手が届く世話はありがたかったが、お小言付きは、いただけなかった。


「精が出ますこと。なれど、このような日こそ屋敷うちでじっくりと勉学に勤しまれてはいかがですか。崎十郎殿は学問が不得手で困ります。近頃は、俳諧に凝っておるようですが、少しは書にも励んではいかがです。みみずが這ったような水茎とは情けなや」


 崎十郎のすることなすことにケチをつけぬと済まないらしい。


養母はは上は、弘法大師さま顔負けの達筆ですから」


 崎十郎は茶々を入れた。


「幼い頃は、寺子屋にも通わせてもらえぬ暮らし向きであったとはいえ、わが加瀬家にまいってから、はや十八年。もはや、幼い頃の不勉強を理由にできますまい」


 矢継ぎ早に小言が繰り出された。


「そのようなことは、わかっております。なれど拙者は、役方(文官)ではございませぬ。武門こそ誇るべき、番方(武官)なのです」


 少し強めに言い返した。



 こんなとき、思い切り仏頂面に見える、表情に乏しい〝能面〟顔が役に立つ。


「い、いかにも……」


 眉根を少しばかり寄せながら、園絵は口ごもった。


「御小人目付のお役目は、身に危険が及ぶやもしれぬゆえ無理もありませぬが……」


 言葉は、たちまち小さくなって途中から聞きとれなくなった。

 小言はようやく終わったらしかった。


 近頃は園絵のほうが、ほんの少しだが譲歩する機会が増えた。


 歳とともに気弱になったかと思えば、物足りなくも寂しくもあった。


「今は、お玉ヶ池の道場に通っておるのでしたね。崎十郎殿が稽古場を次々に変えるゆえ、こたびも、すぐやめるかと気を揉んでおりましたが」 


「周作先生が神田お玉ヶ池に玄武館を移されたのちに通い始めましたので二年余になりますな」


 上州高崎で北辰一刀流を興した千葉周作成政は、文政五(一八二二)年、日本橋品川町に玄武館を開いた。

 その後、文政八年に、神田お玉ヶ池に引き移ってから、まもなく三年が経とうとしていた。


「旦那さまがあまりにも優れておられましたゆえ、いかなる師匠も物足りぬと、よーくわかっておりますよ。おほほほ」


 園絵は亡き文内に思いを馳せるように、うっとりとした表情を浮かべた。


 文内存命中は激しい夫婦喧嘩が絶えず、間に入った崎十郎はたまったものではなかったから、夫婦とは不可思議なものだった。


「周作先生は、当年とって三十六歳。脂の乗りきった剣客です。人柄も優れておられます。玄武館が開かれてから、まだ六年しか経っておりませぬが、門弟の数は鰻上りに増える一方です」


 崎十郎の賛辞に、園絵は唇をわずかに歪めた。


「旦那さまも、周作先生とやらのように剣で身を立てれば良かったのかもしれませぬなあ。じゃが、旦那さまは生粋の武人。人気を得るような教授の仕方など、無理なお方でした。旦那さまと違って、周作先生とやらは、さぞかし商才をもっておられるのであろうな」


 園絵は見も知らぬ周作の人となりを曲解して憎々しげに評した。


「お言葉ですが、周作先生は、いままで拙者が渡り歩いていた師匠がたとは違います。そもそもいままでの道場では……」


 崎十郎は、とくとくと説明し始めた。



 これまでの一刀流諸派の道場では、修得までに、小太刀刃引、仏捨刀、目録、カナ字、取立免状、本目録、皆伝、指南免状の八段階を経ねばならなかったが、周作は、初目録、中目録免許、大目録皆伝の三段階にまで簡素化した。


「十年もかかる修行が五年で修得できるのです。期間もさることながら、修得のための費用も安くつくという塩梅ですよ」


 北辰一刀流の新しさは、初心者でも取り組みやすい工夫に現れていた。


「はっきり申して、周作先生には、かの宮本武蔵のごとき天賦の才はありませぬ。たゆまぬ努力と知恵によって、北辰一刀流を確かな流派に育て上げられました」


 周作の生き方は、凡才を自認する崎十郎にも通じるものがあった。


「これからは、剣の師を変えることもございますまい」


 胸を張って言い切った。


 まだなにかあらさがしでもされるかと思ったが……。


「崎十郎が選んだ師匠ならば、教え導いた旦那さまがお認めになったことにもなりましょうなあ」


 園絵な得心したように大きく頷いた。


(なんだかんだ言っても、やはり心のうちでは拙者を信頼してくださっておるのか)


 崎十郎は、にんまりした。


 顔には出ていなかったろうが……。



 園絵は崎十郎の袴のわずかな歪みを、ぴしりと直した。


「薫陶も半ばのうちに旦那さまが亡くなられたゆえ、未熟者のままな有り様が、どうにも情けない。……とはいえ、崎十郎殿にも、多少の見る目くらいはありましょうからの」


 やはり一言が多い園絵だった。

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