今日はただ単に、病み上がりの咲良が人の多い場所へ遊びに行くというから、何かがあったらすぐに対応できるよう保護者として近くに控えていただけだった。それは保護者として当然の仕事だった。
けれど出掛けたその先で起こったトラブルについてあれやこれやと手を回すのは僕の仕事ではない。僕は原則としてお金にならないことはしない守銭奴だ。ただの善意で世の為人の為に行動できるような人間ではない。
とはいえ、自分の生活に関係するような事態においては話が別だ。
咲良の友人が何やら怪しげな男に絡まれているところに遭遇して無視はできない。友人に何かがあれば咲良が悲しむ。
それは彼女の保護者として、看過できない未来だった。
「……次から次へと湧いてくるものだ、邪魔者が」
剣呑な雰囲気を纏った男が睨むような視線を向けてくる。どうやら彼の標的は場に乱入した僕へと移ったらしい。
「あなたが何者かは知りませんが、女子高生二人へ迫るにしてはただならぬ様子でしたよ。とはいえ、僕はお互いの為にこれ以上の無益なトラブルは避けたいと思っているんですが、どうでしょう。この場はどうにか引き下がってもらえませんか?」
そんな言葉を返しながら、僕はため息をつきたくなるのを必死に我慢していた。
やれやれ、僕がたまたま近くにいて良かった。
僕が間に入らなければ、きっと彼女達はただでは済まなかったことだろう。
「――H3システムによる事象干渉が効かないとはな。ただの邪魔者かと思っていたが、求めていた邪魔者だったか」
後半の言葉の意味はよく分からなかったけれど、前半については彼の言葉の内容を察することができた。けれど少し間違ったことを言っている。
H3システムによる――状況から見て僕らが使う幸福丸のK3システムと似たようなものであると仮定する――攻撃はしっかり僕に通用していた。
彼と彼女達の間へ咄嗟に割って入った僕は、その次の瞬間に身体の各所で常識外れな破壊が起こったことを察知した。
脚の腱は切れ、腕の骨は砕け、内臓がいくつか破裂する――そんな人間が死ぬか死なないかのラインを探るような攻撃に対して、反射的にK3システムによる超常現象を発生させる。
破壊された僕の身体はその痛みを脳が明確に認識する前に修復され、傍目には何も起こっていないように見えただろう。
結果として確かに何も起こっていないのだから、犯罪にも問えまい。
けれどそれはたまたま幸福会に所属し超常の手段を持つ僕が相手だったからで、今の埓外な能力が彼女達へ向けて放たれていれば、傷害か傷害致死の被害者が二人生まれていた。
「……人に向けて暴力を振るうことに心が痛んだりはしないんですか?」
「愚問だな。私の手で誰がどうなろうが全ては瑣末事だ」
なるほど、精神性がイカれている。
この男、先程の特殊能力とこの独特な雰囲気から考えて、異次元生命体と協力関係にある人間のようだけど――
「――それなりに、気が合いそうですね」
先程のお返しに、相手の人体へ直接作用する破壊を念じる。
K3システムによる超常現象の正体は、イメージの実現だ。人間の精神と密接に作用し合うダークエネルギーを利用し、頭に思い浮かべた想像を具現化する。現実世界に顕在化した想像が正しい現実とかけ離れているほど必要なポイントが多くなる。
そしてこの時に必要となるイメージは、曖昧ではいけない。明確に、より詳細に思い浮かべなければ、実現はしない。疑問を抱いてもいけない。まっすぐに心の底から願わなければ叶えられない。
つまるところK3システムは豊かな想像力を持つ者ほど向いていると言える。
そして時には、常人と一線を画した残虐性やイカれた精神性が必要となるようなイメージもある。
「……まさか人体の直接破壊とはな。破壊子ちゃんですら失敗するというのに。……随分とイカれた男のようだ」
「あなたに言われたくありませんよ」
僕からの攻撃を受けて一瞬苦悶と驚愕の雰囲気を漏らした男だったけれど、平然と立ったままだ。先程僕がしたのと同じように、自分の身体を治療したのだろう。
イカれた男にイカれた奴認定されて肩を竦めるしかない僕だったけれど、相手は何やら楽しげにくつくつと笑い声を漏らした。
「私以外にもこんな奴がいたとはな。いや、一般人に溶け込んでいるお前の方が、私より余程たちが悪い。そんな壊れた精神で、正義のヒーローが務まるのか?」
随分と好き勝手言ってくれる男だけど、最後の問いかけは全く意味が分からない。
「……正義のヒーロー? 人違いじゃないですか? 僕は正義でもヒーローでもありませんよ」
「ふふふ、確かにその通りかもしれないな。君は理由も無く他人の為に行動する人間ではない」
「よくお分かりで。けどお金さえ払ってもらえれば、大抵のことはやりますよ。僕は何でも屋が生業なもので」
何でも屋の看板は伊達じゃない。収入の半分以上を占める何でも屋の仕事を通して、僕は世の中で経験できる大抵のことには触れてきたと思う。僕に言うことを聞かせたいなら、お金を払ってくれさえすればそれでいい。僕の生活圏に害の無い頼み事ならば喜んで引き受けよう。
「では、報酬を支払えば私達の目的にも協力してくれるのか?」
「僕の日常に影響の無い内容ならば」
そんな返答に男は黙って、無言のままに視線を交わす。
それからしばしの沈黙。
やがて彼はふっと笑ってこう言った。
「今日はそろそろ帰るとしよう。君との商談は時間の無駄だと、私の直感が告げている」
「お帰りですか。最後に名前くらいはお聞かせ願いたいものですが。これからお付き合いもあることでしょうし」
すると彼は目深に被っていたハットを取って穏やかな所作でこちらに向かって歩み寄り、胸ポケットから革製の名刺入れを取り出した。
「株式会社安泰世界専務取締役――いや、この場はこう名乗った方がいいだろう。秘密結社アンチ・ワールド幹部、柊木
「何でも屋地獄の沙汰代表兼、特定非営利活動法人幸福会アソシエイトの立花弥生です。幸福会の方は生憎名刺を切らしておりまして、すみません」
こちらも昨日咲良の友人へ渡したのと同じ名刺を取り出し、交換する。
受け取った名刺は一枚。
表にはホワイトのバックカラーに黒字で株式会社安泰世界の情報。そして裏にはブラックのバックカラーに白字で秘密結社アンチ・ワールドの情報。秘密でもなんでもないなと僕は思った。
丁寧な手付きで僕から名刺を受け取った彼はそれを一瞥し名刺入れへと仕舞った後、くるりとこちらに背を向ける。
「私としては、君には二度と会いたくないな。きっと商売の邪魔になる」
「残念ながら、商売敵の縁は客との縁より結び付きが強いものだと思いますよ」
とはいえ、二度と会いたくないという意見には僕も同意だ。
けれどこの厄介な縁はそうそう切れてくれないだろうという予感も僕の本心。
いやはや、心から残念だと、僕は思う。